研修中、スライドを指して指導主事が訂正を述べた。
「いつも強調しているのですが、自分が間違えてしまいました。学校教育目標と書いてありますが、それはありません。あるのは、学校の教育目標、あるいは、学校教育の目標です。」
それを聞いて思う。そんなんほとんど言葉遊びのレベルやん。たとえば、小学校という学校教育の目標か、具体的なある学校の教育目標か、という話の違いに過ぎひん。だから、指導主事も間違うんやで。
せやのに、ことさら「学校教育目標なんて言葉はありません」て強調するなんて、何を意固地になってんのかと思う。こんなことにこだわるヒマがあるんやなって、思ってしまうわ。
最近おもしろい話を聞いたよ。もう県の偉いさんだが、指導主事時代に研修にてこう話したそうだ。「みなさんの学校の教育目標を学校名を外して並べたら、どれが自分の学校のかわかりますか? わからないでしょう」って。ホンマや。学校中でも義務教育の学校、普通教育でどれだけ学校ごとの違いがあるって言うんやろ、違いをつけるなんて無理な話ちゃうのん。
こんな、どうでもええことに血道を上げて議論したり、うまくできひんからって「意識改革」と叫んだり、学校教育という世界に合わへん道具で何とかしようともがいてること、止めにせえへん?