新たな教育委員会制度に関するシンポジウムを聴いた。
狭義の教育行政に留まらない「総合行政」として、とりわけ福祉と関わって学校教育、社会教育、生涯学習の施策が捉えられつつあることを確かめるとともに、「民意」と専門性、「教育の専門性」の内実、意思決定と葛藤や調整、といったことについて考えなければと、多くのことを学べた。
その一方でこうも思う。都道府県と市町村、合わせて1800ほどの教育委員会が置かれる、自治体の規模、産業や人口構成などから導かれる課題は、相当に幅のあるもので、全予算占める教育関係予算の相対的比率のみならず絶対額の違いも著しいことだろう。くわえて、首長の教育関係施策に対する意識や構えも一様ではないと考えられる。
この点で、教育委員会は法的根拠を持った制度ではあるけれど、教育に関わる現実をどれほど規定するものかと考えると、はなはだ心もとないだろうと私は捉える。何より、どのような意思決定と予算執行がどんな事実を生み出し、またその事実が関係者、住民や保護者そして児童・生徒にどのように受け止められ、またいかに効果を上げたかは、事実上、測定不可能なのだから。予算をいかに獲得したか、という軸だけならまだしも、それでは教育政策論といった話にはならない。
私の色眼鏡が過ぎるのだろうけれど、こうしたマクロな制度の議論はつまるところ「いろいろある」という域を出ない、と思われるからこそ、私の研究関心はメゾ、あるいはミクロへと移っていった。現実を説明する手がかりとして、上のような制度の説明力は乏しいんじゃないかなあ、というのが私の受け止めだ。間違っているかもしれないけれど。
かくも教育にはエビデンスがない。それを分かった上で何を議論するのか。見えないにもかかわらず見えるかのように話をしている自分たちをメタ認知することなのか。あるいは、ごく限られたことであっても事実を見いだし、その比較や分析を行うことなのか。わからないことはなお多い。どなたかご教示をお願いする次第だ。