生徒たちと宿泊行事に出かけて、彼らの様子を見ていると思う。こうやって、何となくではあるけれど、振る舞いが再生産されるんやなって。
もちろん学校にもよるだろうけれど、たとえば食事シーン。スリッパを揃えて脱ぐ、係は早い目に来てテーブルを拭く、いただきます、ごちそうさまと手を合わせて、一斉に食べ始め、食べ終わる、食べ終えた食器を重ね、ごみは別に捨てる、といった一連の行動が、見よう見まねでできるようになっていく。
そんな経験の一部が、学校生活を通じて得られていく。指導という故もあるけれど、周りがそうしているからという面もあるだろう。一人の人間が生徒や市民になっていく社会化を思う。
こうしたことに関心を向ける大人たち、その代表格でもある教員が、授業をしておしまい、という態度にならないことは明らかだろう。無限定で無期限の「仕事」が、こうして増殖するのではないだろうか。