学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

客観的にも学校を捉える

これまで拙ブログをご覧くださっている方には明らかだろう、私が「学校教育って、主観的で、瞬間的な出来事にあふれているよね」ってわかったようなことを常日頃、口にしていることを。

こんな味方に、「ちょっと待ってや」とのメッセージとも聞こえた、学校事務職員の皆さんの研究会に参加させてもらう機会を得た。とても勉強になったし、軽いショックを受けた。そうやなあ、学校教育は主観的で瞬間的、だから再現性が乏しいけれど、学校という場は、相当に客観的で継続的、つまり再現性が高い面も強いなあ、って。

たとえば、消耗品をどのように置けば、きれいに無駄なく、あるいは全部がなくなる前に次の発注ができるのか。コンピューターのデータ管理はどうすれば効率的、つまり省力的、低ストレス、快適にできるのか。これらをアイディアの試みを通じて、すなわち新しいことを実践し、普遍化できないかを確かめていった、という報告をたくさん聴く中で、これらの工夫や改善が、働きやすい学校、ひいては児童・生徒の利益にもつながる学校を支えることになるなあ、と強く思わされたのだ。

学校教育は、教員の話術や教材だけで行われる訳ではない。黒板やチョーク、あれこれの紙、セロテープやビニール紐、トイレットペーパー、インターネットを含む情報などが下支えをしてくれている。備品がない、消耗品が足りない、教科書が届かない、出張に行けない、基本的に事務的な仕事がカバーしてくれることだろう。これらがあって初めて、安心して教員は生徒に向かい、生徒も気持ちよく学ぶことができる。

「そんなこと、あたりまえやん」と仰る向きもあるだろう。けれど、このことを実感を伴ってわかること、そして、支えてくれる人たちに感謝しつつ、狭い意味での教育に携わること、主観と客観の両にらみで学校を捉えようとすることは、必ずしも当たり前ではないように思う。

大きな課題をもらった気がする。少しづつ知っていきたい。
[PR]
by walk41 | 2016-01-22 17:13 | 学校教育のあれこれ | Comments(1)
Commented by ポッピーママ at 2016-01-29 23:27 x
すごい違和感。管理職から上意下達、会議の在り方や提案の仕方まで指図されて、それに従わなければ、意見を表明することも、自由な意思表明も、はばかられるような雰囲気って何だろう。とにかく、人間相手の仕事じゃないみたいです。効率的に、早く次年度の方針を出すって、それで、何か不都合が出たら、修正しようっていう声も上げられなくなるんじゃないかと危惧します。大声で言ったもの勝ち、管理職の意向に沿う者が、尊重されるって、ほんと感じ悪い。どれだけ気持ちをむしばまれるか。うんざりです。
<< 嬉しかったこと 「すべては戦争のために」 >>



教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
非言語に見られる自己認知と自..
at 2017-08-23 11:41
お店の名前
at 2017-08-22 09:11
地毛は大切?
at 2017-08-21 10:30
「言い切れる正しさ」
at 2017-08-21 09:34
「子どもらしさ」と感情の表出
at 2017-08-19 16:13
人一倍
at 2017-08-18 12:45
Platoon
at 2017-08-16 23:25
〜しか〜ない
at 2017-08-15 19:34
7月4日に生まれて
at 2017-08-14 22:54
耐えられる能力
at 2017-08-13 16:29
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧