小学校教員から聞いた。研究授業という名の授業公開が行われる日、その教室に見に行ったら、「今日のめあて」に「研究授業を頑張ります」と書いてあったそうな。
児童が教員を励ましてくれるのは嬉しいし、それだけ教員とのラポールが築けているとは言えるけれど、その授業を見てああだこうだって話をするとは、いったい何をしているのかと思う。
かくも児童・生徒は、この時間が何か普段とは違うことを知っているし、おおよそはそこでの期待に応えようとする。こんな「出来レース」見ても、指導案に沿ったまあ無難な授業が行われることを確認するだけで、ちょうどParisに行って「やっぱりエッフェル塔が立ってるわ」と写真に収まるが如しだろう。何か新味、ひいては知的興奮を得ることはあるのだろうか。
こんな不思議な儀式を続ける学校、誰がこれを変えるのだろうか。それともこのままでいいと思っているのだろうか。