学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

問いを作り出す

世はアクティブ・ラーニングと賑やかだ。

何がこれに当たるのか、どんな方法があり得るのかは、他の人に委ねるとして、最大公約数的に「21世紀型学力」の育成を捉えるならば、次のような説明ができるかと思う。

それは、①既に用意されている問いと答えに対して、どれだけ答えに近づいたかで評価されるこれまでに対して、②認知する情報から、既存の問いとは異なる問いを立て、これで何が考えられるのか、議論できるのか、どんな広がりや深まりを見込めるのかを試すこれから、と対比できるだろう。①がquestion であるのに対して、②はissue と「問い」の英訳を当てればいい。

question はanswerと答えが決まっていることを前提にするのに対して、issueは答えがあるのかどうかすらわからない。そこで求められるのは、問いとして考察、議論する価値が社会的に成立することだ。

だから、issueを扱おうとする人には、答えのあるなしを気にかけるのではなく、その問いがどのような意味を持つのかを適切に判断できること、また問いを考察、議論する際に、多面的な視野を持ち、和やかな雰囲気を醸し出せることが必須の能力となる。

こう考えると、新しい学びを提唱、擁護しようとする人は相当の覚悟をしなければならないことに気づけるだろう。授業者あるいは学習随伴者として自分があれるような、見識の広さ、即断しない慎重さと我慢強さ、そして寛容さとこれらを支える肉体的・思考的体力が必要だからだ。

つまり、これまでの自分の専門領域のみに通じている、自分の経験に依拠して決めつける、わかったようなことを言う、独り合点する、わからなさや曖昧さに耐えられず、「何が言いたいんだ」と語気や感情を荒げる、いずれも資格なしだ。

教育論は基本的に教えられる児童・生徒の変化に関心を向ける。けれど、学び論隆盛の世にあっては、彼らに直接に臨む教員あるいは大人のあり方にこそ注目しなければならない。そして、自分が変わることは教員にとって決して容易ではないと考えると、はたして学び論を喧伝してよいのだろうかと疑問すら生まれる。先生たち、ホンマにそんな覚悟があるのん。


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by walk41 | 2016-10-19 15:11 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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