ネット上で見たあるお母さんの憂鬱、小学校低学年の娘さんのクラス担任が発行する学級通信について、数人の児童の名前が繰り返し、頑張っています、褒められることですと取り上げられ、自分の娘の出番がないのだとか。こういう学級通信でよいのだろうかと。
ここにも、学校という組織のユニークさが現れている。学級は学校あってのもので、学校なくして学級は存在しない。だから、学級通信は学校の活動の一部であり、その内容は学校の管理責任者である校長が責任を持たなければならない。ところが、学校によっては、その内容やスタイルが学級担任に丸投げされており、学校として責任を負えない格好になっている場合がある。これが、それぞれ教員による個業的な業務遂行と、学校の一員として求められる分業ー協業的な業務遂行との葛藤である。
その折衷になるのだろうか。私の知っている学校では、発行した学級通信や学年通信を全教員に配布するとともに、後にも閲覧できるようにファイルに綴じている。個々の業務が熱心のあまりに暴走しないための仕掛け、と言うには弱々しいだろうか。
とまれ、学級通信は学校名で出す公的な文書である。学級担任が実質上発行するものであっても、その内容と結果は学校に帰結する。せめて、これから教員になる皆さんには、個々の教員の裁量とそれを担保する学校組織の一員としてのあり方について、考えられる思考体力を、今のうちにしっかりと培ってほしい。