複数の附属学校を持つ特徴ゆえもあるとは思う。けれど、公立学校でも近隣の学校との関わりはあるし、そこでのつながりを大切にすべき場面もきっとあるだろう。もちろん、学校ではない団体やグループからのお願いもありうることだ。
たとえば、他の学校から依頼が来る。自校の発表の場をもらえないかと。なるほどそれはいい試みだし、受ける側にとっても得るものはあるだろう。けれど、時期がよろしくないとか、会場の手配上そのスタイルでは難しそうだといった懸念も生まれる。それでも、おつきあいのある学校だから、あるいはウチからもお願いすることもあるだろうからと踏んで、なんとか受ける方向で調整できないだろうかと尽力する。
こうしたことは、津々浦々の学校で起こっていることではないだろうか。自分の学校の計画や都合だけでは必ずしもことが進められないということが。いわゆる義理人情も含めて、学校外との関わりが時として自校の不便さをもたらしかねないとしても、まあ受けないと仕方ないなあと判断することが。
学校の最前線に身を置くと、ある意味で当たり前の日常がいろいろと飛び込んでくる。学校を外から眺めているだけだと、単位学校経営、学校の自主性・自律性とスローガンを叫んで済むかもしれないけれど、実際的には、地域社会や同窓会、時として何の関係もないところとの接点が生まれることもあり、何となくではあっても「全体的によりよく収まるように」考え、行動しようとする場合がまま見られる。
一つの学校に確固たる主体性や自己性といったものを無前提に置かないこと、そこで校長ほかのリーダーシップが必要だといたずらに喧伝しないこと。学校は目標を掲げ、その実現に向けて諸力を合わせて邁進するとうい組織というよりは、波に揺られる小舟のように、一応目指す港はあるのだけれど、他にも港は多くあるし、必ずしもそこに着かなくてもよい。むしろ、港にたどり着かず長く海にさまよう状況すら決して珍しいわけではない。ただ沈みさえすることがなければまずは良しとしよう、というイメージが、小・中学校にはふさわしいのではないだろうか。