学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

阿呆を言うでない

「国立教員養成大学・学部・大学院・附属学校の改革に関する有識者会議」での一委員が提出した資料(2016.12.5)を見て、目が点になった。およそ頭がいいとは言えない、こんなん有識者とちゃうやろって、突っ込みたくなる文面である。

この資料はこう書き始められている。「医学部の附属病院が廃止等で取り沙汰されることはない。高度専門職業人の育成に欠かせないからである。ところがどうだろう。国立の教育学部附属学校については、縮小や廃止の議論が出てくる。これは、教育学部が職業人教育としての教育研究をしていないからであり、附属学校が職業人教育としての役割を果たしないからではないか。」

はあ、マジですか、である。この文章を書いた人は真剣に考えたのだろうか。だとするならば、失礼ながら論理の力がすこぶる弱い。大学教員とは思えない頭の鋭さである。

医学部附属病院は、医師や看護師の養成といった教育以外に、診療、研究、地域貢献・社会貢献といった機能を担っている。診療について言えば、大学附属病院だから、より質の高い医療が受けられるだろうという期待を伴ってである。ましてや今は高齢化社会、病気に苦しむ人も増えているはずだ。ニーズがいっそう高まっている最中に廃止が取りざたされるはずがない。

また研究については、人体とその治療や予防に対する期待はさらに高く、しかもハードルは高い。資源がより投下され、新たな知見が求められるだろう。もっともそれは、人間を客体に捉えて可能な発想であり、主体性が前提とされる近代教育とは基本的に逆のベクトルならではのことである。おおよそ健康な児童・生徒を迎えて教育を行う学校という場に、治療や予防との親和性は低い。「こんな教育を施したら、あんな大人になりました」と確実に説明できることなど何もない。

くわえて、幸いなことにと言うべきか、教育が人の生死を左右することはまずない。これに対して医療はまさに命を預かる業務である。命あっての物種、これに勝る価値を見つけるのは難しいくらいなのだから、その最前線にある病院の廃止が考えられないのは当たり前のことである。

そもそも、附属学校の廃止を言い出すのは、金勘定が合わないと見なす政治家とそれを操る官僚であって、世論ではない(金勘定をするならば、もっと多くのお金をかけて附属学校を立派にしようという発想もあってよいのだが、論理的に片方しか考えられないのだ)。

世の多くの人は附属学校に関心を抱かないから、何も知らない。だから、増設も廃止も思いつくはずがない。自分の子どもを附属学校に通わせているのに、「このまま大学まで内部進学できるんですよね」と発言する向きもあるほどなのだから。

かくして、「有識者」による思いつきの作文がもっともらしさを帯び、政策として具体化される。この知的水準は恐ろしいほどに低い。こんな委員を選び、正統性を与えていく手法を疑わないということ自体が、現在の大人の学力を示すのである。


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by walk41 | 2016-12-13 10:48 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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