学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

「聖職」のこれから

「各宗派、僧侶の質向上を目指す」(朝日新聞、201701014)を、興味深く読んだ。

座禅を組む来訪者に対して、警策で打ち、身体に触れて姿勢を直していた僧侶も、「体罰」や「セクハラ」と非難される昨今にあって、変わることを余儀なくされているという。

厳密には違うけれど、広く宗教は世間という俗と「あの世」や「神の世界」といった聖の間をつなぐ立場として、人々の精神に深く関わる役割を果たしてきた。それゆえに、敬われるべき存在として長らく位置づけられてきたし、檀家ほか人々に対する「上から目線」があっても、戒名制度ほか「葬式仏教」であっても、容認されてきた。

ところが、法話に「もっと人を楽しませるエンターテイメント的視点、聞く側に立った視点をもって」などの意見も聞かなければならないなど、寺を取り巻く環境の変化は無視できなくなっている。ドイツでも、キリスト教信者であっても教会には属しない人が増え、教会が土地などを売り出しているとも聞く。

この構図は学校の教員にも当てはまる。かつては、

「児童、生徒の学び、知ろうとする権利を正しく充足するためには、必然的 に何よりも真理教育が要請される(教育基本法前文、一条参照)。誤った知識や真理に基づかない文化を児童、生徒に与えることは、児童、生徒の学習する権利にこたえるゆえん」(家永教科書訴訟、「杉本判決」1970年)

とも言われたが、この論理は今や見る影もない。そもそも確固とした真理が知識や文化の中に存在するのか、そして教師にこれへと誘う能力があるのか、と基本的疑問が一般化している。学校や教員に「聖」性を認めることが難しいのだ。

僧侶と同様、教え導く立場から「サービス業」へ、「叱る」立場から「叱られる」立場へ教員も変わってきているのならば、学校の存立基盤をどこに見出すのか。とるべき方向は「教育」なのか「福祉」なのか、あるいは…。「忙しい」と目前のことに追われるだけでなく、中長期的な視野でじっくり考える(考える際に忙しいという言葉は似つかわしい)時間を持つことがより求められていると思う。



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by walk41 | 2017-01-15 06:38 | 身体 | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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