大学院生と話す。教員の威信の話になった際、この春から教職に就く彼女らに、どのように見られていると思うかを尋ねたところ、「すごいね」と返ってきたと、同様に話したのだ。
さて、この「すごいね」は、難関を突破したことに対する賞賛の意味ではないらしい。そうではなくて、モンスター保護者もいるとも聞く、部活動などで休日も乏しい、色々な子どもへの対応に追われるといった、いわばブラックな職場に身を投じると決めたことへの驚きだというのだ。ああ、そうなのか。
うち一人の院生は、「憐れむような視線を感じた」とも話した。だから、「すごいね」は、「自分にはとてもできないけれど」という感心を含む同情でもあるのだろう。もちろん、違う見方もあった。こちらは男性の学生だが、自分の故郷では、先生に対する尊敬の度合いは(まだ)高いとも聞いた。地域差も考慮する必要はあるだろう。
職業に貴賎はないという一方、「より良い仕事」と思われることは、リクルートメントの上でも優れて重要なことだ。かたや、あれもこれもと教員に求めつつ、その社会的眼差しが望ましいものではないとするならば、職場はブラック化する。より優秀な人物を教職に誘うための条件が、いっそう求められていると思う。