沖縄県恩納村の博物館を訪れる。昔のこの地の暮らしが伝わる展示になっており、勉強になる。失礼ながら、村立の施設にしては頑張っているなあと感じた。
この中に、海学校、山学校という言葉のあったことを知り、とても興味ふかく説明を読んだ。曰く、学校に向かうも、途中の海や山で時間を過ごして、結局学校には行かずじまいで終わることがあったこと、子どもたちは学校はつまらないところとわかっており、学校的な勉学はしなかったけれど、生活上の知識はしっかり身につけていたと、1915年生まれの人の回想が紹介されている。そして、海や山で過ごしたことを、子どものたちの間で海学校、山学校と呼んでいたということも。
面白いなあ。学校が日々の労働とはかけ離れた知識や技術を扱っていたこと、それを子どもは経験的にわかっていて、海学校、山学校としてやり過ごしていたことがわかる。そして、学校も来ない子どもの家に連絡するすべもなかっただろうから、おそらく、学校の方もなあなあで済ませていただろう。海や山で遊んだ子どもは家に帰って「行ってきました」と親に報告したのだそうだから。
現在、学校の位置づけはずいぶんと変わってしまったけれど、人工物としての学校という視点の大切さを持ち続けるためにも、歴史を学ばなければならないと強く思う。当たり前に見えることが決してそうではないことを、繰り返し確かめるために。