「哲学のように答えの出る話ではなかった」という一文について、正反対の解釈があったので、おもしろいなあと思ったのだ。
ひとりは、哲学は答えが出るものではない、その話も同様に、答えが出るものではない、と理解したのに対して、もう一人は、その話は答えがでるものではないが、哲学は答えが出るもの、だから別物と述べているのだと捉えた。
哲学は答えが出るものではないというのが一般的な理解だと思うので、後者の人は変だなあと解したのだ。
~のように~ではない、という文章が二通りに捉えられる、というのは日本語学的に適切な理解だろうか。もしそうならば、これはどのように教えればいいのだろうか。不思議だなあ。