教育史の教科書的には、1905年、日露戦争あたりで日本では義務教育学校への就学がほぼ果たされた、というのが一般的に理解だ。
けれど、写真のような「子守教育所」の様子(旧開智学校所蔵)からすれば、1910年頃に至ってなお、子どもが(たぶん自分のきょうだいではなく)赤ちゃんをおんぶし、試験まで子どもを抱きながら受けている、ということに驚かされる。この様子は、教科書でどのように説明されるだろうか。
これも学校就学というのなら、今のイメージとは大きく異なるだろう。一般化して理解する上で、個々のケースに即することは難しいが、そのための想像力はより必要だと思わされる。