元中学生の話を聴く。
部活動の顧問の教員は、納得する結果が出なかったり、練習が不十分と思った時には、中学生に向かって「歯を食いしばれ」と命じて、顔を殴り、その勢いでよろけて後ろに下がった生徒を追うように再度殴ったという。その結果、生徒がグランドの端から端まで、よろめき、下がるまで、殴られ続けたのを見たと。
ウン十年も前の話ではない。世はすでに体罰許さずというモードになっていたはずだ。なのに、こんな状況があったとは。
部活動は教育課程に含まれない、聖域でもある。その危険性は重々承知のはずだ。にもかかわらず、そこでプチ君主のように振る舞って、自身に疑問を持つことがおそらくなかっただろう教員の話に触れるに、何と怖ろしいことかと思わされる。
教職は人格的な行為が多く、これを避けることはできないけれど、そのことと、人格的に振る舞ってよいということとは同義ではない。教員はあくまでも学校あっての職である。自身の行為の源泉が人格に由来するかのようなとんでもない勘違いをすると、上のような暴挙が起こりうる。
重ねて言う。教員は国家、教育委員会、学校が背光現象として位置してこそ、成立する立場だということを忘れてはいけない。「子ども相手の仕事」(残念ながら、昨今では大学生、さらには大学院生との関係においてもこう言えるだろう)をしてはいないか、学問の自由、教育の自由を組織的あるいは自律的に行使しているか、が納税者に対する説明責任として問われる。