学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

発言/表現することに対する責任

小学校で管理職をなさっているKojiさんから、複数回コメントを頂戴した。ありがとうございます。

その一つ、「教え子を戦場に送るな」と記した拙記事について、本旨とは外れるがと断わられた上で、

>憲法改正が現実味を帯び、本気で意見をぶつけ合わなければならない時なのに、教員は公務員であるがために言論封殺。その前に各自の考え自体を持たない、正否を調べようとしない、偏った教えを子供達にすることは、もちろん行けないと思うが、教えてはいけないと言うことと、考えを持ってはいけないと言うことは、全く違うことのように思えるが、現実はそうではない。歴史問題しかり。教える側の教師が正しい知識と見解を持ち合わせずして物事の本質の何割を教えられるのだろうか。

と述べられている。このことをどう考えればいいだろうか。

いま、あるテーマの関係で、大学人のキャリアを少し調べている。その中に、エネルギー教育に関わる人がいたが、その方の名前を検索していたら、「とんでもないことを発言していて許せない」旨をブログで、名指しで非難する人のページを見つけた。福島原子力発電所の事故を受けて、あんな大惨事を引き起こしたのが「原発安全神話」でもあったのに、今なお、市民がエネルギーについて適切に理解することが大切だと述べるなど、その無責任ぶりに腹が煮えくりかえる、と言うのだ。

こんな一文に接するに、研究職はもちろん教育職も(この両者を兼ねている立場はいっそう)、自分は何を発信しているのか、表現しているのか、それは広い意味でどんな社会貢献に繋がりうるかを問わなければと知らされる。

もちろん、世の中の多くの事柄は、これが正解というものは少なく、時代や地域、立場などによって事柄自体の見え方も一様でないから、それらの交通整理を促すことも、立派な社会貢献だ。いたずらに正義を振りかざさないためにも、認識の段階ですでに慎重であるべきだろう。

その上で、何かを発言、発信することに伴う責任を引き受ける覚悟も必要となる。あとで「なんか、そうじゃないかなって思ったんで」とか「そういう言い方がもてはやされた時代だったでしょ」と、責任回避や転嫁をしない強さを持たなければ。

そんなふうに後々、責任が問われるようなテーマに臨んでいるか、火の粉が及ばないような「安全」なところでお茶を濁してはいないか。あるいは、大人であることの絶対的優位に乗じた「子ども相手の仕事」をしてはいないか、さらには、相手がすでに大人であっても、成績評価者であることに甘えて、いい加減な授業や応対をしてはいないか。

「学問の自由」や「教育上の自由」がそれなりに認められているのは、それを行使する者に自らを律する力のあることを前提にしているからである。なのに、雑談、放談や暴言を省みない態度(自分に甘く他者に厳しい)、あるいは、無頓着や迎合、歓心を買うさま(自分に甘く他者に甘い)という表現に陥ってはいないだろうか。使命を忘れ、納税者を忘れた「給料泥棒」と、誹りを受けないためにも、高い自律性を持つこと、そのための自身の広く修行が求められると、この頃いっそう思う。





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by walk41 | 2017-07-11 16:12 | 研究のこと | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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