学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

PTA

学生と授業をするのは基本的に楽しい。「内職テロ」や明らかに妨害的なシーンに出合わない限りは。

概ね熱心で好意的な学生たちと話をする。お題は、PTAのあり方についてだ。この団体を巡る怨嗟には事欠かず、学生の保護者の苦労話も多く出される。そこで考えてみよう。たとえば、全員加入を強制するのではなく、やりたい人がやるというボランタリーな性格に改めるという案はどうだろうか。

たしかに、活動規模は縮小されるだろうし、この点で学校も手助けが減る点で困るだろう。ところが、これ以上に問題が起こることに授業の中で気づかされた。それは、PTAが保護者としての代表性を担保できなくなることである。

消極的な人が仮に構成員の多数であっても、全員加入であれば、そこでの決定や活動は会員の総意に基づく、と立論できる。秘密選挙で役員が選ばれているのだから「民意」を受けていることになる。

これに対して、ボランタリーなグループであれば、保護者としてのPTA代表性を主張できなくなる。「やりたい人がやってるんだからいいんじゃないの」とは言えないところがネックだ。

たとえば、このグループが「運動会のスムーズな運営に協力したい。ついては、子どもの撮影は広報の腕章を付けている人以外は認めない」と決めたとしよう。それに異を唱える人は「そんなことを勝手に決めるな」と立腹するだろう。あるいは「卒業を控えた子どもと保護者、お世話になった先生たちと日曜日に昼食会をしたい」と決めても同様だ。「ウチはそこに入っていないから、先生に良く思われないんじゃないか」と邪推されるかもしれない。つまりは、その集まりが代表性を担保できないゆえに起こりうる問題である。

代表性を持ち得ないグループの存在は、学校にとっても困る。偏っているのではないか、一部の利害を優先しているのではないか(今風に言えば、「お友達内閣」がダメなことに通じる)、常に心配しなければならないからだ。かくして、PTAが全員に入ってもらっていなければならないと帰結される。それがどれほど消極的な人に占められていたとしても、代表性を持ちうるからだ。

現状に問題があり、どうしたものかと悩むテーマは多いけれど、じゃあどうすればいいかと舵を切るための妙案がなかなかないことも、また事実である。これを突破できるような大なり小なりの勇気、そして思考体力が要るのだと強く思わされる。

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by walk41 | 2017-07-28 11:07 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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