学生のレポートを読んでいると、彼ら/彼女らがどんな子ども時代を学校で過ごしたかが垣間見える。
ある学生の場合、小学生さらに中学生に至ってまで、算数・数学で用いる大きな三角定規で授業中、教員に頭を叩かれたことを記していた。中国地方の公立学校での話だ。当の学生は、今なお暴行だとは意識していなかったが、それほどまでに馴染まされてしまっていることが、大変残念である。
あるいは別の学生は、小学生の頃、教員が竹刀を持って教室をうろついていたことを記憶している。子どもに向かって振り上げられることはなかったそうだが、恐怖心を植え付けるには充分だったことだろう。
また、これは直接に聞いた話だ。この学生が在籍した公立中学校で、定期テストの理科の問題を解けなかった女子生徒が、何を思ったか、たとえば「ラーメン」とか「ご飯」とおよそ正解とは思われない言葉を解答欄に書き込んだ。このことに対して、担当教員がテスト返却の際に、クラスメンバーの前で彼女を激しく叱責したという。
下品な表現を許していただくならば、自分のことをなめた真似をして許せない、という怒りだったのだろう。もちろんこの生徒の行為が褒められたものではないにしても、そのことを公衆の面前でなじるのは、どのような教育論に基づくものだろう。きっとそのようなものはないのだ。恐らくは、自分の感情を抑えられず、反発が起こらないだろうと踏んで無茶ぶりを発揮したと思われる。
教育効果をどう捉えるかという議論もあるけれど、小学生6年生の7年後、中学校3年生の4年後は大学生である。比較的短くその効果のいかんは明らかになるではないか。「後生おそるべし」と心して児童・生徒に臨んでこそ、リスクマネジメントにもなると言うべきだろう。なのに、こんな事例が聞こえる学校っていったい…。