現職の教員の皆さんと時間を過ごす。
話の発端は、信念や主義・主張にも依る教員の職務上、学級、学年間で教員の違いがあり、連携や一貫が難しいのではという私からの問いかけに対して、こんなクラスを担任したことがあるというエピソードが寄せられたことだ。
新しいクラスになって、給食時間、児童が列をなすのでどうしたのかと尋ねると、前の担任は、給食当番のエプロンを忘れると、みんなに迷惑がかかるから、前に出て全員に謝らせていたのだという。この習慣が残っている児童は、担任教員が替わったにもかかわらず、そうすべきものと思い、謝るべく並んでいたのだ。
確かに忘れ物をするのはよろしくない。けれど、それは全員を前にして謝らせるほどのことだろうか。忘れ物が繰り返されれば、きっと否定的なアダ名も付くだろう。そのラベリングが、「クラス困り者」として排除されていくだろうことは容易に想像できる。
かくして、いじめは正義とセットで起こる。そのきっかけを担任教員が作り出している場合もある。正義を振りかざすことが危険だとは、このことからも導ける。