家人が話す。…人一倍ではダメだ、人の二倍、いやもっと頑張らねばいけない、と中学校時代の教員に言われたことに、今なお感謝を述べる高校生の投書があるよ、と。
この文面の限り、二つのことを思う。一つは、人一倍が、人と同じではなく二倍を指す言葉だと教員が伝えていないこと、不正確である。もう一つは、かくも素朴な、あまりに素朴な教員の言葉を真に受けて、有難いとまで思わせる教員とその背後にある学校の光背現象が見られるということである。
自分が中学生時代には、当たり前に聞いた「日本人は農耕民族だが、西欧人は西欧人は狩猟民族だ」と、大学にもなると恥ずかしい発言を教員がしていたことを覚えている。「子ども相手のお気軽な仕事」をしていた教員がいたのだ。それを批判的に(今風には、アクティブ・ラーニング風に)捉える能力もない場合は、「へえ、そうなんだ」と鵜呑みにするしかないではないか。
こうして大人の犠牲になる子どもがまた一人生まれる。子どもを御すのはある意味で容易い。けれど、そこを踏ん張って強権的に振舞わないように自制すること、それができてこそ、自律的と言うべきだろう。