先月下旬のドイツ連邦議会選挙の投票日直前、ドイツの友人が怒っていた。ネオナチ張りの主張を続けるAfD(ドイツのための選択)の躍進が見込まれるという報道に対してだ。彼女はこの事態を"Fiasko(野心的な企てが滑稽な結果で終わるような大失敗:Weblio訳を拝借)"だと述べ、大いに憂いていたが、実際にAfDはおよそ13%を得票し、第3党に躍り出た。メルケル首相の続投は決まったが、連立政権の組み合わせはまだ確定していない。
さて、日本でもなぜか急に総選挙が行われることになり、そしてなぜか政党がなくなり、「安保法制反対」と叫んでいた議員が、新しい政党に入れてもらうためにこれを口にしなくなった。国民の信託を受けたはずなのに任期を全うせず、政党でも選ばれたはずなのにその政党があっという間に消滅し(そもそも、党をなくすことを党大会を経ずに決められるのだろうか。党員がよく黙っているなあ)、幟に新しい政党の名前を貼り付けて演説をする様である。
こんな訳のわからない状態なのに、まるで競馬の予想かのような報道が続くのもまさにFiaskoである。代表制民主主義とは、政党とは、投票とは…、社会の教科書に書いてあるようなこととかけ離れた事実が連なっている。こんな茶番あるいはパロディ、はたまた悪い冗談はどうして起こっているのか。けれど、まったく気持ち悪いことに現実なのだ。