本州と四国を結ぶ三つの橋の一つ、しまなみ海道を北から南に進むと、尾道から今治に至る。
その今治に波止浜(はしはま)という地名があり、離島への船が出る港もある。
さて、この波止浜をインターネットで検索しようとするも、なかなか見つからない。ほどなく、その理由がわかった。それは、波止場(はとば)という漢字の並びに馴染んでいるために、最初の二文字を「はし」とは読まずに、「はと」と読んでしまう癖が自分に付いているからだと。
思い返せば、山梨県に住んでしばらくは、「やまなし」と京都の地名、山科(やましな)をよく言い間違えていたが、山梨県にひとたび馴染むと、反対に山科を「やまなし」と言うことになった。そして今は、再び「やましな」派だ。
言葉の表記は客観的だが、それをどう読むかは、読み手の経験にもとづく偏り、傾きにも依っており、この点で、文字を読むことは文脈依存的である。これが話し言葉や非言語となれば、その表出と変化のスピードの早さから言って、より各主体の文脈に沿って把握されることになる。「コミュニケーション能力が大切」などと、のっぺりと捕まえるのではない、より分析的な姿勢が求められるゆえんである。