学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

「~以外は不可」

学校の文書を読んでいると、「~以外は不可」という表現にまま出合う。論理的には、「~は可」と等価だと思うのだが、この両者は学校ではちょっと違うのではないか、とは家人の弁だ。

たとえば、「水とお茶以外は不可」という表現は、「水とお茶は可」と同じ意味かと思う。けれど、学校においては次のように解釈されるのではないかという見立てだ。すなわち、「水とお茶は可」とは、他の飲み物はどうなのかという質問に答えなければならない。これは大変な面倒だ。ジュースはどうなんですか、コーヒーはどうなんですか、と。この徒労を避けるために「~以外は不可」とした方がよいという考え方が成り立つ。

だったら、「~のみ可」としたらいいのではと思うが、邪推をすれば、「不可」というおっかなさ、強い感じをアピールしたいのではないかと思う。だって、「~はいいよ」よりも「~はいけない」と言う方が、偉そうでしょう。いわゆる上から目線になっているもの。

論理的には等価であっても、感情的にはそうではないという両者間にズレがあるとすれば、このケースはそのことを説明するのに適っているかもしれない。「静かにしましょう」よりも「話を止めてください」、「~は持ってきていい」よりも「~以外は持ってきてはいけない」の方がより暴力的な感じがするのではないか、という問いである。

その一方、肯定的に表現する方が協力を得やすいという報告もなされている。「トイレを汚すな」ではなく「トイレをきれいにつかってくれてありがとう」はその一例だ。「~はできない」ではなく、「~だったらできる」という言い換えも可能だろう。「不」や「非」といった強い言葉を避けて、より受容的さらには共感的な言葉を用いることが、人を元気づけるという経験も今後さらに広がっていくことだろう。

学校が基本的に人に強いる装置としてあるのだから、それを和らげ、覆い隠す工夫は意味がある。にもかかわらず「~以外は不可」(大阪府の高校生が起こした裁判に即せば、「黒髪以外は不可」となる。「黒髪は可」「黒髪のみ可」よりも、いっそう暴力的に聞こえることだろう)という表現が今なお少なくないとすれば、学校が人間の生理や情動にまだまだ適ったものになっていないことを一つ示すものである。

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by walk41 | 2017-11-16 22:43 | ことばのこと | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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