学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

カテゴリ:身体( 287 )

好みの幅広さ

秋も本格化、各地で行われているだろう祭りの一つ、ジャズフェスティバルに出かけた。広場でのステージを覗いたあと、小さなお店に入ったところ、これまた小さなスペースにジャズライブができるようにしつらえてある。

二人組みのライブが終わり、今度は三人のグループが演奏の準備を始めた。すると、このグループ目当てのお客さんが一番近くに席を取って、写真を撮り始めたのだ。

もちろん、ファンの心理はそうでない人におよそ分かるものではない、とは知っているつもりだ。それでもなお、グループをいわば激写続ける、30代半ばと思しき女性ファンの様子を見て、はなはだ失礼ながら、まるで映画のワンシーンかのように、つまりとてもユニークな構図に感じたことだった。

そのグループは30代、40代と思われる男女で、いわゆるビジュアルが際立つ訳では全くなく、かといって演奏が上手い、歌に惹かれるとも思われない。MCもボソボソで、これだけ小さな場なのに話し声がしっかり届かないほどである。演奏中、周りを見渡しても、聴いていると思われる人は、その追っかけ女性の他にいたかどうか。

30分ほどが経ち、持ち時間が尽きたのだろう。カンパ用の入れ物が用意されたけれど、入れたのは彼女ともう一人の男性のみ。その他の客は曲が終わっても拍手すら起きなかった。私個人としては、これまた失礼だが、演奏を聞かされ続けるのが辛かったので、やっと終わったとホッとしたくらいである。

趣味はまさに人さまざまだと言うけれど、多くの人が関心を持たない、恐らくは冴えないこのグループが、一人の女性に元気を与え、励ましたことも事実である。そしてこのグループにとっても、きっと同様だろう。

自分の物差しでわかったような気になるなと、これまたわかったようなことを思うけれど、事実はもっと深く広い、そんなことを思わされた夜だった。


[PR]
by walk41 | 2017-10-15 12:43 | 身体 | Comments(0)

「奏を功する」

ある教育委員会の会議にて聞こえた言葉だ。

「このことが、奏を功したと言ってよいでしょうか…」。いやいや、功を奏するなんだけれど。まあいいよね、みんな黙っていたし…。

思い起こせば、鉄筋コンクリートを「鉄コン筋クリート」といった類いの言い間違いは、いそらく枚挙にいとまがない。だから、どうしてそう言ってしまうんだろうって、笑うのが「正解」だよね。


[PR]
by walk41 | 2017-10-12 20:20 | 身体 | Comments(0)

付いた力は自分ではわからない

今は文化芸術系の分野に進んだが、学生時代は教育系の大学で過ごした君が思った、という話に触れることがあった。私の聴いた限り、こんな感じだ。

劇場の業務の一つとして、小学生たちと接する機会が最近あり、多くの子どもたちと楽しく過ごした。が、ふと周りを見ると、ぎごちない同僚たちの姿が目に入った。いつもは、東京の旧帝国大学卒業生だからと恐れおののいていた人や、外国で調査をしてきた人なんだと、ちょっと怖々だった同僚たちが、子どもとうまく接することができない様子に驚かされたのだ。誰もが、子どもといわば自然に関わることができるわけではない。これはいったいどういうことだろうか。

振り返れば、大学時代の教育実習や座学を含む教育-学習に関わる経験が、それなりの子どもとの接し方を導いているのではないか、と。学生時代は、大学でいったい何を学んでいるのだろうと思わなくもなかったが、後になってみれば、知らないうちに、子どもと関わるいわゆる力量のようなものが身についていたのではないだろうか、と。

教育-学習に関することだけでなく、学んだことは実は自分にはよくわからないのだということは聴くに値すると思う。もちろん、振り返りや自己評価も大切だろうけれど、自分では捉えきれないものがどうしてもあって、それがふとした機会に気づかされることがあるという構図だ。

翻ってみれば、学んでいる当人ですらどうなのかがわからないのに、第三者の一人でもある教員がいかに「子どもの学び」を捕捉できるのだろうか。つまるところ、教育や学習といったものは、当事者も掌握できない「ロマン」の世界に属すると見なした方が適切ではないか、とも思わされるのだ。





[PR]
by walk41 | 2017-10-11 23:31 | 身体 | Comments(0)

対人サービス労働におけるコスト論

家人に勧められて、青山昌史ほか『社会の中の芸術』(放送大学教材、2010)に収められている坂井素思「芸術価値と経済価値」を読んでいる。ちゃんと理解できたとはまだ言えないが、アメリカの経済学者の立てた次の論理を鋭い指摘と思った。

曰く、サービス産業特有の「コスト病」、すなわち赤字体質が生じるのは、自動車産業などに見られる技術革新が、生産性の増大をもたらし、労働者の賃金を上昇させる。このことは、製造部門比べて生産性が増大するわけではないサービス部門生産性との格差を拡大させ一方、製造部門の労働者の賃金上昇が波及することから、サービス部門の賃金上昇させ、芸術団体などのコスト高を招く。さらに、おしなべて賃金の上昇した労働者のサービス需要が高まる中で、芸術団体の活動への需要も増大し、雇用も増大、結果としてさらなるコスト高に至るというモデルである。

この中で、次のような記述があるのだという。「人間の発明の才によって自動車の生産に必要な労働を減少させる方法が考案されてきたが、シューベルトの四重奏曲を45分間演奏するのに必要な人間の労働を、合計3時間の延べ労働時間以下にまで減少させることに成功したものは誰もいない。」

その通りである。PDCAサイクル論を振りかざし、右上がり目標達成へと鼓舞しようとも、これまで一年間かけてやってきた授業を例えば8ヶ月へと短縮する教育課程は作れないし、授業者の話すスピードを例えば3割増しにして児童・生徒の理解をより早く促そうというわけにもいかない。ましてや学び論が席巻する昨今、そのスピードは落ちることこそあれ、早まるとは考えられないだろう。

これを敷衍すれば、子どもの成長をもっと早めようという議論に繋がるが、これがいかに馬鹿げているかは論を待たない。いつまで子どもで、いつから大人になるかは、時代や地域によって一様ではなく、社会的な眼差しに基本的に規定されることを思い返してみよう。あるいは客観的にも、他の生き物と同様、成長のスピードや習得の適時性が、せいぜい数百年の「教育の発明」によって左右されるシロモノでないことも明らかである。

かくして、対人サービス労働の生産性の上昇があまり見込めないにもかかわらず、製造部門と同じかのようなモデル設定そのものが不適切なことがわかる。なのに、上昇するはず(しなければならない)という神話に支えられた教育論議をしていること自体が、当事者の「低学力」を示すことに気づいていないということ、まさに大いなる不幸と言うべきだろう。

[PR]
by walk41 | 2017-09-28 23:41 | 身体 | Comments(0)

挙手の際の指

b0250023_09202303.jpg
南西ドイツの中等学校、9年生の授業風景です。中等学校でも、いわば普通に手が上がることを、自分が知っている中学生と違って面白いなあとは思っていましたが、何回となくこうした場面に居合わせているのに、次のことには、はっきりと気づいていませんでした。

その一つ、基礎学校の児童を含め、授業中に挙手して教員に当てられたとき、立ち上がる生徒はドイツで見せてもらう学校にはいません。日本でも中学校あたりになれば同様のこともあるでしょうが、小学校では指名されて立ち上がり、加えて椅子を納めることまで求められ、ようやく発言できるという、神経質なまでの行儀が強いられます。これは違いと言っていいでしょう。

もう一つは、手を挙げる際の指の格好です。人差し指を突き出すように挙げる様を、日本とは違うとは思っていましたが、その背景に、ナチズムが支配した時代の挙手仕方、「ヒトラー総統万歳!(Heil Fühler Hitler!)を忌避するべく、子ども頃から躾けられるゆえとは知りませんでした。複数の友人から聞いたことです。五本指を突き出すと、確かにそのようにも見えますものね、なるほど全体主義を再来させてはいけないという一つの知恵なのでしょう。

見慣れているからこそ、気づきにくいことがまだまだあるのだと、今回も学ぶことができました。

[PR]
by walk41 | 2017-09-25 09:35 | 身体 | Comments(0)

名前を呼ぶこと

引き続き、教育実習の学生に関わる話。

学生は文字通り学ぶ立場にあるのだから、仕事っぽくできなくても当たり前だ。だから、教育の内容や方法に通じていなくても、さして問題とは思われない。その上で、同じ学生でも違いの見えるポイントの一つが、生徒の名前を覚え、名前を呼ぼうとするかどうかのように思う。

短い期間に、たくさんの生徒の名前を覚えることは、決して容易ではない。けれど、覚えようとしている学生の姿勢は、多くの生徒にとって好感を持てるものだろう。そうした関心を自分に向ける学生の授業は、そうでない場合と比べて、より肯定的なはずだ。

①ある学生はがんばって生徒の名前を諳んじようとする。②別の学生はそこまではいかないので、実習校から渡された席順と名前を記した用紙をこっそり見る。③さらに別の学生は、その用紙をどこかになくしたのか持たず、もちろん覚えてもおらず、生徒が付けている名札を見ては、授業をしようとする。これらの違いが、生徒とのラポールに及ぼす影響のあるとは、仮説していいだろう。

ことほどさように、「いい教員」とは教科の内容に通じているだけでは決してなく、曖昧きわまりない児童・生徒と彼ら/彼女らの力学に臨むべく、柔軟に対応できる態度と能力を有することと導ける。学校風に言い換えれば、生徒指導に関わる力だろう。

これは、勉学に励んだから身につくというものではなく、日々の経験とその反芻や反省の繰り返しの結果とも言えるだろう。それは、教えることが難しく、それぞれに学び取るしかない。「大学における教員養成」つまり、大学に入ることが教員養成教育の前提とされているとは、教えられるだけでなく、学ぶ潜在力を予期してのものである。生徒ではなく学生と呼ばれるのは、学ぶことができるだろうとの期待を込めてだと、心してほしいな。

[PR]
by walk41 | 2017-09-06 15:41 | 身体 | Comments(0)

非言語に見られる自己認知と自己主張

youtubeを見ていると、道路上のトラブルを特集したものに出くわす。

怖いモノ見たさで覗くと、交通法規無視で暴走するクルマ、接触しかけたのか怒りでクルマのドアを激しく蹴るライダー、合流地点で入れる入れないのバトルを繰り広げた後、あろうことか自分のクルマを相手にぶつける輩と、驚くシーンが満載である。

こうした映像を見ていて思う。実寸よりは大きいけれど、クルマは自己主張のツールでもあり、その前提として自己認知が伺われる点で、「クルマとドライバーのありよう」を考えるのは一興だろうと。

たとえば、クルマに自身を投影させたい向きにとって、その大きさ、デザイン、色、性能、これらに伴う価格は、自己願望の投影である。この点で、借金をしてまでクルマを買うのは、「実物大以上の自分を求めているから」と解するのは、意地悪だろうか。所謂いかついクルマで「これに乗ってる俺って…」と思うのは、クルマという非言語を通して自分の強さ、大きさ、金持ちさをアピールすることでもある。お金を出せば選べるナンバープレートの番号に拘る人もいる。過日、ルール無視いっぱいの二台のワゴン車と遭遇したが、同じ数字のプレートナンバーだった。「お友達」なことを確かめたいのだろう。また、「・893」のナンバープレートを付けて無茶な横入りをした上、自分の前には決して入れなかったクルマを見たとは、家人の談だ。

ちなみに、サングラスは相手に自分の目を見られずに、相手を見ることができるツールである。「目は口ほどにものを言う」がゆえに、目力がないと自覚していれば目を閉ざすしかない。もちろん、目を開けない訳にはいかないから、サングラスを遣う(光に弱い方などは別にして)。相手の目を見ることができない相手は、非言語上のメッセージのやりとりができないから、不利になる。シールドいっぱいのクルマは、このサングラスと同じ理屈で見えないことによる不安を回りにかき立てる。まことに迷惑な話である。





[PR]
by walk41 | 2017-08-23 11:41 | 身体 | Comments(0)

地毛は大切?

朝日新聞でいま特集している「学校の変なルール」。その一つである「地毛証明書」に関して、学校にとって悩ましい、けれど傍目には阿呆らしいテーマなので、ここではふざけた思いつきをお許し願いたい。

この記事にこうある。「ある都立高の副校長は『地毛を大切にするように呼びかけているので、証明書が必要だ』と言います。」

なるほど。じゃあ、加齢に伴って髪の毛が減ってきたからとカツラを被ったり、おしゃれにと付け毛をするのもダメだね。地毛は大切だから。もちろん、付け加えるだけじゃないよ。脱毛なんてもってのほか。地毛を大切にしなきゃ。さらに、地毛だけではないからね。地肌も大切にしなければいけないから、化粧もダメだよ。さて、どれだけの教員がこれに耐えられるだろうか。

かくも、教育は「黒を白と言いくるめる」ほどの暴力性を伴う。この点で同記事中、身体に関してあれこれ言うのは人権侵害だと憤る、尾木教育評論家の弁はナンセンスである。評論家とはそんな程度なのだろうが、こんな人の言がなぜ活字になるのか不思議でならない。読者の頭を悪くすることをマスメディアは狙っているのだろうか。

じゃあ、服装はどんなものでもOKなの? 生徒が教員を「〜くん」と呼んでもいいの? そもそも、学校に行きたくなければ理由が何であれ行かなくてもいいの? 残念ながらそうはいかないから悩ましく、どこで線引きをすればいいのか、と当事者は葛藤するのだ。保護者の意に関わらず、子どもを学校に行かせなさいと規定する法律が、すでに人権侵害なのだから。

だから、学校は強面で行くか、それともやんわりと臨むか、はたまたこの中間でやるのかの選択を迫られる。それは、生徒、保護者、「伝統」、教員たちの信念などによって左右されるが、それは「学校らしく」あるための保険のようなものだから、内容や度合いは一様ではない。こうして時々「変なルール」が生まれることになる。関係者が違和感を感じなければそのままだが、変だなと思うと「問題」として現れる。たとえば、宗教関係の作法など、当事者でなければ相当に変でも、「そんなものだ」と了解されているからこそ、続いているのである。

そんな線引きをしなくてもいいじゃないか、は一理ある主張だ。けれど、それは「もし、〜が起こったらどうしよう」と心配する人には届かない。旅行保険をかける人に「まあ、滅多なことで事故や事件には合いませんよ」と言っても仕方ないのと同じである。

なぜ保険をかけようとするのか。それは学校が常に多くの生徒を預かることが初期値に設定されているからに他ならない。小規模校ではルールが少なく、生徒の行動をより制御できる小学校、中学校、高校の順にルールが厳しくなりがちなのは、このためである。学校の基本形ともいうべきものが残る以上、「変なルール」は行き続け、なくなることはない。




[PR]
by walk41 | 2017-08-21 10:30 | 身体 | Comments(0)

「子どもらしさ」と感情の表出

現職教員の皆さんとの勉強会、とても楽しく過ごす。

その中で、子どもの頃は「箸が転げても可笑しい」と笑うのに、大人になると「何が可笑しいのか」と不機嫌な輩が増えるね、という話から、次のようなモデルを作れるのではないかと盛り上がったのだ。

すなわち、子どもー大人、私的世界ー公的世界というX軸と、笑いの表出(発現)というY軸を設定すれば、負の相関を示すことができるのではないか、この点で「子どもらしい」とは、「わかったつもり」にならない上でも、とても大切ではないか、と。

また、これを敷衍して、いろいろな感情の表出にまで話を広げると、怒りについては子どもらしさや私的世界のいかんに影響されず、いやむしろ、X軸を辿るほど、大人になる、公的になるほどに、怒りが高まる(「キレる40,50代」)のかもしれないとも思わされる。

主体だけに因っているのではなく、文脈によって人の感情の表出が異なるとすれば、自分と周りの世界をどう認知しているかが、このことと大きく関わっていることは明らかだ。恐れを知らない、疑うことを知らない、立場や肩書きを気にしない(そもそも持っていない)人は、どのような感情表出とその前段階の感情発露をしやすいのか。

あるいは、これと反対に、恐れ不安がり、猜疑心に満ち、自分の立場を強調したがる向きは、どんな感情を生みがちで、また表出しがちなのか。

こんな点からも、教員あるいは人間を観察、理解できることを、とても興味深く思う。

[PR]
by walk41 | 2017-08-19 16:13 | 身体 | Comments(0)

耐えられる能力

耐えると聞くと、暑さや寒さ、痛みに耐えるとイメージする人もいるだろうけれど、別の耐えるもある。それは、わからなさに耐える、あるいは、わからないという落ち着かなささ、気持ち悪さに耐えるということである。


例えば、他者の話に耳を傾けるという場合、たどたどしい、要領を得ない話ぶり、自分に何が求められているかがわからない状況は、なかなかくたびれる。「つまりは?」「結局のところ?」と声を上げてしまいかねない。そこを耐えられるか、傾聴できるか、は能力だろう。


あるいは、何か我慢できなくなり、感情的な爆発をしかねない時に、一歩引いて、自身をクールダウンさせることができるかどうかも、能力いかんである。「許せない」「我慢ならない」と即断する前に、一呼吸を持てるかどうか、「怒りたくなったら10を数える」という教えも、このことを踏まえてのものだろう。


この文脈で言えば、我慢強くあるとは、できるだけ耳を傾けること、状況を見据えること、敢えて判断を保留して、沈黙や静止状態を維持すること、と具体化できる。すぐに反応、行動しない、けれど多面的に観察、考察している、そんな逞しさ、したたかさを自分も持ちたいと思う。



[PR]
by walk41 | 2017-08-13 16:29 | 身体 | Comments(0)



教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
nation
at 2017-10-17 12:45
好みの幅広さ
at 2017-10-15 12:43
スクールソーシャルワーカー
at 2017-10-14 10:59
「奏を功する」
at 2017-10-12 20:20
付いた力は自分ではわからない
at 2017-10-11 23:31
まずは良かった
at 2017-10-09 19:14
Fiasko/fiasco
at 2017-10-08 10:40
青か緑か
at 2017-10-06 09:39
丁寧な言葉遣い
at 2017-10-05 10:26
目標を実現することが即、教育..
at 2017-10-02 22:05
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧