学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

カテゴリ:ドイツのこと( 112 )

ドイツにおける国家(Staat)

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ドイツの教育や文化・芸術事情を、日本語で紹介するページは少なくないが、そこには誤った紹介も見られる。たとえば、新国立劇場のHP中(https://www.nntt.jac.go.jp/centre/library/theatre_w/06.html)、次のような記述がある。

「ドイツにナショナルシアターはない?」という小見出しの中、こう記されている。「…戦後、ドイツは東西に分断されたが、西ドイツではナチス時代の苦い過去を繰り返さないために、文化や教育は地方自治体(州、市)が運営を担い、国家は介入しないという「州の文化高権」が確立された。国の憲法にあたる基本法で表現の自由の理念を掲げ、その実施は州が責任を負う仕組みだ。言い換えれば、国は文化行政を州にまかせ、口も金も出さない。…」

これは正しい紹介ではない。連邦制を採用するドイツにおいて、多くの権限は州(Land)に属する(連邦基本法、第30条「この基本法に規定または許可のない限り、国家の権限の行使と国家の責務の実現は州の事項である」)。この点では、州こそが国家(Staat)であり、連邦と州の関係は、中央政府に対する地方自治体ではない。

たとえば、バーデン=ヴュルテンベルク州の州立美術館はStaatsgalerie(国立ギャラリー)と称するし、バイエルン州の州立劇場はStaatstheather(国立劇場)の名を冠している。あるいは、教員資格試験はStaatsexamen(国家試験)と呼ばれるが、これは州ごとに行われ資格が付与される。いずれも州すなわち国家だ。

州よりも大きな政府(連邦)があるから、そちらが国で州は地方だと、ひょっとしたら素朴に思ったのかもしれないけれど、ドイツの場合はそうではない。丁寧に見なければならないと、自戒も込めて思わされる。

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by walk41 | 2017-12-16 21:58 | ドイツのこと | Comments(0)

恐るべし学校評価

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ドイツのニュースページにリンク先が貼り付けられているあるページは、読者の卒業年度と卒業校を尋ねるもので、自分のことを登録すると、そこに集っている人たちと交流できる仕掛けになっている。

ずいぶんと以前に伺ったことのある、とあるギムナジウムを見る。すると、この学校の卒業生が行ったのだろう、学校に対する評価が自由記述を含めて集計されているのだ。5段階での評価項目は上から次の通り。「授業と教員の質」「学校運営」「施設・設備と教具・教材」「促進・補充的な活動」「学校の雰囲気」の5種類で、これらの平均値として一番上に「総合評価」のスコアが来ることになる。

もっとも新しく書き込まれた自由記述には、記入者の名前のあとに「たいていの教員は(数人の例外は明らかにあったものの)生徒がアビトュア(大学入学資格)を取るかどうかの関心はまったくなかった。私が感じたのは…」と続く。なかなか辛口である。21人が行っている数値評価についても、総合評価が2.5あたりと、決して良好とは言えない。さまざまな年代の人がいるから、いつの時代の学校のことかは特定できないけれど。

これらの評価項目を興味深く見ると同時に、在学中に行われている現在の学校評価を、卒業後へと変更したら、結果がどう変わるかなとも思った次第だ。



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by walk41 | 2017-11-27 23:06 | ドイツのこと | Comments(0)

進展する学校での情報教育(ドイツ語記事)

ドイツ:バーデン=ヴュルテンベルク州ニュース、20171121(ドイツ語記事)

州政府はすべての学校において情報の授業を実施することを決定した。

州政府は情報の授業をさらなる学校へと拡大する。文部省は該当するキーワードを定めた。「情報に関する基本的コンピテンシーは今日、時代に適った普通教育の一部である。それは、古典的な文化技術である読む、書く、計算することをなくすのではなく、補うのである。中等教育段階において、情報の授業を強力に位置づけることで、デジタル化する社会に対応できる」と、文部大臣Susanne Eisenmannは話す。

そのコンセプトは次のようである。2017/18年度、7年生の普通ギムナジウムに情報コースを創設し、引き続く年度にはすべての学校種に拡大する。基幹/職業実科学校と実科学校では2019/20年度から、8年生から10年生の生徒が自主的に履修できる新しい選択科目としての情報を徐々に導入する。普通ギムナジウムにおいては翌年度から、8年生から10年生に対して学習を深めるための新しい特色ある教科として、情報、数学、物理(IMPという合科科目として)が提供されることになる。2019/20年度からこの特色ある教科は「多様な学校(GemeinschaftsschuleGMS)にも導入される。

情報技術教育の段階モデル

「このように情報の授業を拡大することで情報教育は7年生からそれぞれの教育修了段階まで年齢にふさわしく構成される」と文部大臣。すでに5年生に必修となっている基礎コース、メディア教育がこの基盤となる。ギムナジウム上級段階ではすでに教科として設置することができる。この計画により7年生から各々の教育修了段階まで継続的な情報の授業を提供できるようになるのだ。

この計画を実現するためには、合わせておよそ300人の教員が必要となる。現在、教職のための情報の学修は、ギムナジウムと中等教育段階に置かれているが、これに加えて、必要とされる教員を確保できるように、州政府は教員研修を予定している。すなわち、IMPの授業あるいは8年生から10年生向けの選択科目としての情報を担当する教員には、学校を1年間離れての導入学修(Kontaktstudiengang)の機会が提供される。また、7年生に創設される情報を授業する教員には、すでに対応する研修機会が設けられている。

中等教育段階Ⅰに情報の授業が置かれることは、2016年の学習指導要領のもっとも重要な部分を補うものである。ギムナジウムにおいては12時間の学校裁量の時間(同上級クラスを持たないGMSでは8時間)にIMPという合科授業があてられる予定となっている。選択科目としての授業は3時間の学校裁量の時間があてられる予定である。同様に、情報の授業の発展コースとして置かれるIMPは代替重要科目に位置づけることもできる。(http://www.baden-wuerttemberg.de/de/service/presse/pressemitteilung/pid/land-baut-informatikunterricht-an-weiterfuehrenden-schulen-aus/


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by walk41 | 2017-11-27 12:01 | ドイツのこと | Comments(0)

若者の国際学力テスト批判(ドイツ語記事)

Der „schiefe Turm von Pisa“ – vor dem Einsturz Foto: Lichtgut/Leif Piechowski

宮殿広場でのアクション-「ピサの斜塔」が崩れ落ちる
20171103 Georg Linsenmann記者

あらゆる人が教育政策について口にする。そして今、生徒たちが発言している。宮殿広場で彼ら/彼女らはアクションを起こした。それは通行人に大きな反響を呼んでいる。生徒たちは崩れ落ちるピサの斜塔を教科書で作っているのだ。これは何を意味しているのか。

シュツットガルト:生徒たちはたくさんの教科書を持ってきた。「アビトゥア数学の成功」「人間の生物学」「若者が知りたいこと」はタイトルのいくつかだ。少しずつ荒れた教科書の塊がまず広げられ、人の背の高さほどの塔に積み上げられる。もっともそれは僅かな時間である、というのもこの「ピサの斜塔」はすぐに崩れ落ちてしまうからだ。これは「学校で私たちは試験の後すぐに忘れてしまうような事柄をシャワーのように浴びている」ことを示す象徴的なアクションだと、Simon Marian Hoffmannは言う。彼はこのアクションを企画したシュツットガルトに設立された「若者の民主的な声」の代表である。PISA(OECDの国際学力調査)では、生徒の学力が比較される。

学校では何が傾いているか?
このパフォーマンスに示されるアクション主催者の主張は、白いオーバーオールの生徒たちが、セロファンに覆われた様々な箱に追いやる「不安な行列」にいる、ということだ。頭と肩を縛られ何も聞こえないようにされたグループがそこにいる。スローモーションで見ると、床でもがき、肩をすくめ、あるいは隅で縮こまっており、バラバラにされて不安に押しつぶされそうになっている。「学校にいると病気になる」と11年生のKönigin-Katharina-Stiftは言う。あるいはWagenburgギムナジウムの10年生のある女子生徒は、「良くあるべきという圧力は、恐ろしいこと十分だ」とも。

20歳の政治学を専攻する学生Malina Bar-Levが、このパフォーマンスを発案した。「学校には自由がない。学校は成功だけが大事という変形された人間像に基づいている。最初から人は引き出しにしまい込まれ、そこからもはや出ることができない」と彼女は話す。
Hoffmannは「教育を新しく考えること」と強調する。「若者の潜在力を破壊し、無駄にしてしまうようでは、私たちの社会は立ちゆかない。私たちは、エゴイズムで飾り付け、良心の呵責を失ったエリートを生み出すのではなく、学力以外の、連帯する社会の共感や社会的感覚を促すような学校を必要としている。」

ある女性教員は賛同
そして展望は? Hoffmannは言う。「考えてみましょう。みんなが喜んでいくところ、それでこそ学校です。」このアクションでは多くの通行人が注目した。ある女性教員は立ち止まり話した。「学校では実にたくさんのことが失われていく。とくに学ぶ喜びが。若い人たちが言うのはもっともなこと。こうした行動をするのは良いことだ」
(http://www.stuttgarter-zeitung.de/inhalt.aktion-auf-dem-schlossplatz-schiefer-turm-von-pisa-stuerzt-ein.abf24e2c-734d-4abe-9392-45fec3e1fe81.html)

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by walk41 | 2017-11-04 15:54 | ドイツのこと | Comments(0)

連立政権を前提にした政治

2017.9.24のドイツ連邦議会選挙が終わった。

A.メルケル首相が率いるキリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟CDU/CSUは第1党を維持したものの、四年前の選挙から得票率は7.5%減、連立を組んでいた社会民主党SPDも5.2%減らした。これに対して、「ドイツのための選択」AfD、自由民主党FDP、左翼党Linke、緑の党Grüneは、いずれも得票率を増やした。ちなみに投票率は76.1%、1949年の連邦議会選挙以来、70%を割ったことはない。

比例代表制が完全に実現されているドイツでは、得票数が議席数に直接に結びついており、どこかの国のように、得票率が5割を下回っているのに、5割を大きく上回る議席を得るといったことはない。299の選挙区で一位だった候補者は議席を得ながら、得票数に応じた議席配分が比例的に行われているのである。個人も選び、政党選択もできるドイツのような仕組みに、日本はなぜしないのだろうか。

さて、この結果、どの政党も過半数を得られず、連立政権を余儀なくされる。前回も連立政権だったが、今回は「ドイツ・ファースト」を唱えるAfDが躍進したこともあり、支持政党の多様化がより進み、3つの党での連立も視野に入ってきた。

CDU/CSUが246、SPDが153、AfDが94、FDPが80、Linkeが69、Grüneが67(合計709)という議席分布では、第1党が政権に入るものの、そのパートナーは色々にあり得る。SPDとの連立で過半数を制することはできるが、それでは新味がないとの批判をかわせない。かといって、「人道としての難民受け入れ」を進めるメルケル首相にとって、AfDは連立相手になり得ない。 また、FDPやGrüneとの連立はあり得るのかも論点だろう。

いずれにせよ、価値多様な社会のもとでは、一党だけで政権を担うことは難しく、それゆえ交渉と妥協、修正が当然のように求められる。教育政策もこれと無縁ではあり得ず、いわば異なる色が混ざり合ったものとして位置づけられる。「権力の意思として教育政策」(宗像誠也)といったシンプルな命題が、いかに古ぼけているかがわかるというものである。


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by walk41 | 2017-09-27 03:18 | ドイツのこと | Comments(0)

知らないことが偏見を助長する

ドイツの連邦議会選挙結果、外国人排斥を掲げる政党、「ドイツのための選択」AfDが躍進、13.5%を占めるに至った。

この結果について分析が進められているが、次のページの結果は大変興味深いものだ。
https://www.buzzfeed.com/karstenschmehl/afd-waehler-waehlen-aus-enttaeuschung?bffbdeutschland&utm_term=.ffEjLA9JW#.mbbjQAnzD

どこの、どの世代の、どちらの性別が、この政党に投票したかを示す結果では、旧東ドイツの、70代以上を除く世代の、男性の投票が多いことがわかる。が、それ以上に興味深いのは、移民の背景を持つ住民が人口に占める割合と、AfDへの投票率がマイナスに相関しているというデータだ。

身の回りに移民の背景を持つ住民が多いと、彼ら/彼女らを排斥しようと主張する政党が支持を集め得ることは想像できる。両者は正に相関するという仮説である。けれど、今回の結果はその反対を示しており、移民の背景を持つ住民との関わりが少ないであろう人ほど、彼らを忌避、あるいは排斥しようとする可能性が考えられる。

知らないことが不安を掻き立て、遠ざけようとする。これが正しければ、共存するにはまずは知ること、関わりを持つことが肝要と導ける。書物を通して、あるいはwebを通してでもいいが、可能ならば、直に知ること、感じることがより豊かな理解を形成する。そのための手がかりとして、言葉を学ぶことも優れて重要だと言える。

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by walk41 | 2017-09-26 12:10 | ドイツのこと | Comments(0)

やっぱり美味しいBretzel

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ドイツに来ると思います。このパンBretzelの美味しさは、日本でなかなか味わえないなあと。

学校訪問先で、中休みの時間などに出して下さいますが、ご配慮と合わせて、有難いなと思います。ごちそうさまでした。



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by walk41 | 2017-09-25 08:31 | ドイツのこと | Comments(0)

学習環境を整える

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ドイツに限ったことではさらさらありませんが、教室に花や鉢を置くというのはいいなあと思わされます。

いわゆるロッカー置かれた観葉植物、気持ちを和ませてくれます。一つ部屋に二つくらいあるのを見ると、勉強もきっと進むことだろうと感じます。

この鉢はどこから、と校長に尋ねると、学校予算から生徒に買ってきてくれるようお金を渡すそうです。現金だとするとちょっと大らかなだなと思いますが、それでも自分たちが使う部屋を快適にしようとのメッセージは十分、生徒に伝わるでしょうね。

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by walk41 | 2017-09-24 17:13 | ドイツのこと | Comments(0)

怖い自動販売機

朝日新聞デジタル、中村江里子「パリからあなたへ 自販機で買う時は『無駄なお金を使うかもしれない?!』という覚悟を」(20170822)を面白く読みました。パリの自動販売機事情を紹介しています。

その中に、コインしか使えない、商品が出てこないこともあるので、出てくるとホッとする、お釣りが無事に返って来たことはあまりない、という行で、南ドイツでも似たようなものだなぁと思い出しました。

私は飲み物やお菓子の自販機をまず利用しないので、わからないのですが、 電車の切符を買う時に同じようなことを感じます。私の知る限り、お札は使えても20ユーロまで、50ユーロ以上は受け付けません。しかも、お札はなかなか飲み込まれず、戻ってくることもしばしば。うまく機械に入ってくれただけで「やった」と小躍りします。クレジットカードも受け付けるとありますが、読み込まれないことが多いです。しかもクレジットカードを使えたとしても、金額にもよるのでしょうが手数料を自動的に取られます。

また、お釣りが戻ってくることはなかなかないのです、これは本当の話。「トラブルがあればこちらに連絡を」と電話番号が書いてありますが、そんな気になるはずもなく、諦めることになります。ドイツ人の友人に愚痴を言うと、「みんな、時間を急いているし、そのままになることが多い」と返ってきました。こんないい加減なことが日常なんて、絶句ものです。

ミュンヘン駅構内のコインロッカーで、往生したことも思い出されます。1時間いくらだったか、預けたのはいいのですが、2時間ほどして戻って来たら、表示されていたのは6時間ほど預けた金額に。びっくりしましたが、取り出さない訳にはいきません。けれど、20ユーロ弱と大量の小銭を持ち合わせず、近くのキオスクに両替を頼んだら、規則で何ユーロ以上は小銭に替えられないと言われ、お店をハシゴすることになりました。電車の時間は迫ってくるし、結構なストレッサーでした。

何気なく利用している自動販売機ゆえか、その素晴らしさになかなか気づけないのですが、日本のそれは大したものだと思います。一万円札までがたいてい使える、クレジットカードも問題ない、お釣りが出ないなんて想像できない、(コインロッカーに対しても)ICOCAカードなども使える、災害時には無料で配られる設定のものもあると、嬉しい意味で驚かされます。関係する方々のアイディアと努力に深謝です。

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by walk41 | 2017-08-24 10:20 | ドイツのこと | Comments(0)

信じてもらえない教員の労働時間

ドイツから客人を迎えて、「ドイツの学校制度と社会」をテーマに学生に話をしてもらう。学生たちも事前に質問を用意するなど、おしなべて熱心に臨んでくれた。やりとりも結構できたかと思う。

その講演のあと、今は教育委員会におられる方を交えて交流をした。短い時間だったが、日本とドイツの教員の働き方についてひとつ焦点があり、そうなのだろうなと思いながら、改めて、日本の教員、とくに中学校教員の長時間学校滞在(家庭訪問なども含み)と休暇の短さを確かめる場ともなった。

ドイツの教員は、早ければお昼過ぎ、遅くとも夕方には帰宅する。もちろん、家で仕事をしている面もあるけれど、かといって、夜の9時や10時、著しい場合には日付を跨ぐまで学校にいるという、日本の少なくない教員とは比べるべくもない。もちろん、ドイツの学校の土日は完全に休みで、学校は閉められている。金曜日の午後、13時も過ぎれば、校内にいるのは掃除担当の女性くらいだ。そんなところからやって来た客人は、教員経験10数年の女性だが、「そんなに遅くまで何をしているのですか」と問われ、日本側が返答に困ったシーンもあった。

ドイツでは仕事が終わったあとの時間を、"feier Abend”(祝いの夜)と楽しく過ごすことを旨とすると聞く。これに対して日本では、教員に限らず、仕事以外の可処分時間が著しく短く、帰宅後は楽しむ時間少なく、寝て終わりという場合も少なくない、いわば過労死直前の社会なことが大きな違いとは言えるだろう。

50年も遡れば、ドイツも休暇の日数が日本と同様、少なかったと読んだことがある。が、この半世紀ほどの間に大きく違ってしまった。ドイツの教員ならば、休暇は6週間、「日本の小学校教員ならば2週間くらいかなあ」と日本側が呟いたことにびっくりされ、くわえて、「中学校で部活に懸命な教員ならば、休暇は年に数日ということも…」と言葉をつなぐと、信じられないという顔をされた。

おおよそ既存の理解の限りだったが、学校教員の研究、とくに教員の労働や健康問題を看板に掲げているにもかかわらず、私には今なお、なぜかくも長時間の学校滞在と短い休暇にならざるを得ないのか、またたとえばドイツではなぜよりコンパクトに働くことができているのか、という謎に答えられないでいる。
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by walk41 | 2017-06-15 12:45 | ドイツのこと | Comments(1)



教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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