学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

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何歳で小学校に入学?

たとえば、人口1170万人ほどの、南西にあるBaden-Württemberg州の場合、

2010年に基礎学校に入学した児童は91679人だが、うち「通常」(normal)、つまり6歳で入学したのは、うち87.7%、これに対して「früh」早期に入学したのは3.2%、また、「spät」遅れて入学したのは9.1%と報告されている(http://statistik-bw.de/Pressemitt/2011305.asp)。

この割合は地域によって違うが、たとえば、Schwarzwald-Baar-Kreis (LKR)「黒い森」で有名な地域かな、では、通常より遅れて入学した子どもは12.5%、実に8人に1人に当たるほどである。

これに対して日本の「就学猶予」の子どもは、2008年度で1095人(朝日新聞、2010.3.29記事による)、入学者数のおよそ1000分の1、0.1%にしかならない。ドイツの例と比べて、わずか90分の1に留まる。

「無理」をして学校に入るよりも、ゆっくりと歩むという就学がもっとあっても良いのでは。

「ゆっくり」入学と合わせて、「早期」入学も、これほどいるとは驚きだった。「いま、○年生」、「だったら、○歳だよね」って話がかみ合わないのも、いい風景ではないだろうか。
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by walk41 | 2012-02-29 20:05 | ドイツのこと | Comments(0)

チーム

もともとは、"set of draft animals yoked together"(農耕や運搬のために飼っている役畜がつながれて一緒になっているさま)という言葉、"taumaz"に由来し、19世紀の終わり、team player という言葉が野球につかわれ始めたのだそう。

教職員が一緒に頑張ろうというとき、「チーム○○」と掛け声がかかるが、学校はどんな意味でチームなのだろうか。追いかけるボールは一つ? 目指すのはチームの勝利ただ一つ? どうも違うように思う。

学校でのゲームは、それぞれにボールを追いかけるもので、しかも、ゴールも一様ではない。サッカーのような「自殺点」すら望ましいということも起こりうる。

そもそも、ボールが誰の目にも明らかでないことがやっかいだ。ボールは児童生徒のこと?それとも自分たち自身? みんな自分のボールを追いかけているつもりだが、時々見失い、呆然とする。

学校組織の捉え方は、「なべぶた」であろうが「ピラミッド」であろうが、いずれも繋がっている点では共通する。ところが、学校組織は実は必ずしも繋がってはいないのだ。こんな当たり前のことから、議論をやりなおさなければならないのが現在ではないだろうか。
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by walk41 | 2012-02-29 09:35 | ことばのこと | Comments(0)

体罰

学校教育法 第11条 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。

民法 第820条  親権を行う者は、子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。
第822条  親権を行う者は、必要な範囲内で自らその子を懲戒し、又は家庭裁判所の許可を得て、これを懲戒場に入れることができる。
2  子を懲戒場に入れる期間は、六箇月以下の範囲内で、家庭裁判所が定める。ただし、この期間は、親権を行う者の請求によって、いつでも短縮することができる。

このように法的には、懲戒は認められているが体罰は許されていない。しかし、しつけという名の暴行は絶えず、虐待との線引きが難しい状況が続いている。学校でもずいぶんと減ったと思われるが、それでもときどき問題として浮上する。また、体罰を積極的に推す立場も存在する。

ドイツではこの点、どうだろうか。

ドイツ民法典(Bürgerliches Gesetzbuch)
§ 1631 身上監護([西谷裕子氏の訳による]Personensorge)の内容と限界

(1) 身上監護は、とりわけ子どもを世話し、教育、監督し、住居を定める義務と権利を含む。
(2) 子どもは暴力を受けずに教育される権利を持つ。身体的な罰、精神的なダメージ、屈辱的な方法は許されない。
(3) 家庭裁判所は、適切なケースにおいては身上監護の行使に際して保護者を支援しなければならない。

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学校におけるしつけ(ドイツ語版Wikipedia による)

ドイツにおいては最も長くて1973年まで、学校にて生徒を教育する上で教員のしつけ権(Züchtigungsrecht für Lehrkräfte)があったが、いくつかの州においてはそれ以前に身体的なしつけは否定され、あるいは少なくとも名目上では大なり小なり厳しく制限されていた。1971.6.22、Nordrhein-Westfalen州が、肉体的なしつけは許されないことを明言し、1977.7.5には権利基本法を通じて、学校管理法 (§ 26a Abs. 3 SchVG) にその禁止が盛り込まれた。2005年の新たな学校法では、(しつけに関する)規定が見られない。

Bayern州では、1983.1.1 に、ようやく教員による身体的なしつけの禁止が法的に定められた。もっとも、 身体への罰を禁じる学校管理規則はすでに存在していた。しかしながら、バイエルン州最高裁判所は80年代初頭、”国民学校の教員が教えている生徒を身体的にしつけてもかまわないという慣習法的なしつけに関する権利”が存在することを根拠に、あるケースでの教員を勝訴と判じたことがある。

広義の身体への罰には、平手打ち、殴打、いわゆる„Tatzen“ (生徒の掌を定規やステッキで叩くこと)がある。尻(しり)への罰は20世紀前半、まだ主たる役割を果たしていたが、ドイツ語圏の学校では第二次世界大戦後、次第に減少していった。

旧東ドイツ(ドイツ民主共和国、DDR)では、学校での身体的な罰は1949年に廃止された。
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by walk41 | 2012-02-28 16:20 | ドイツのこと | Comments(0)

仲間

少なくない教員が好んで遣う「仲間づくり」「仲間なんだから」。余所者にはちょっと抵抗があるなあ。そんなに簡単に仲間って言わんといてって。

さて、仲間を指すmate, fellow,friend と英語を辿っていくと面白い。6世紀にさかのぼると、com+panis と「パン仲間」を指していた言葉が、やがて companion と company に繋がるらしい。

これは日本語で、友だちを指すというよりも、職業としてつかわれることが多いコンパニオンと、会社を指すカンパニーに当たるが、19世紀後半にTönniesが社会を Gemeinschaft と Gesellschaft に区分したことに対応するように思う。つまり、前者は血縁などのつながりであり、後者は目標や機能にもとづくつながりと理解すれば、コンパニオンは前者に、カンパニーは後者に近いということになるだろう。

そこで問題、学校で言われる仲間とは、このどちらにより近いのだろうか。たとえば、学級の「仲間」とはどんなつながりのことなのか。あるいは「学びの共同体」とは、どんな社会のことを指しているのか。

もし教員がイメージ先行で「仲間」を強調し、児童生徒に求めているとするならば、そのイメージを共有できない場合、不幸が訪れる。「私は、あなたと、このクラスの仲間と一緒に頑張っていこうって思っているけど、あなたはそう思ってないんやね!?」と声を荒げる教師に子どもは閉口する。「仲間って言われても、困るんやけど」。

そもそも、この「仲間」に、教員は入っているのかしらん?
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by walk41 | 2012-02-27 14:42 | ことばのこと | Comments(0)

「忙しい」のは意識しているがゆえ?

多忙についてたずねれば、ほとんどの教員は「忙しい」と口にする。

そこで更にうかがいたい。忙しいというのは、「忙しいなあ、ってずっと感じている」のか、それとも「気がついたら、ああ忙しかったという感じ」なのか。

どうしてそんなことを聞きたいのかと言うと、もし前者だったら、いわば意識化された忙しさだけれど、後者だったら、無意識にやっている結果として忙しいと感じるように、両者は違うのではないかなって思ったので。

自分でもまだわからなぬまま書いているのだけれど、こんな例は当てはまるだろうか。
自転車を練習しはじめた頃、視線は間近に落とされ、ペダルの速さ、ハンドルの切り方、転ぶまいと一つ一つに懸命に注目する。しかし、自転車に乗れるようになれば、視野は遠くまで広がり、自分の足がどんな様子なのかを気にかけることもない。自転車にまだ乗れないときは、意識して乗ることでとても疲れるけれど、乗れるようになれば、この点で疲れることはない。

学校の仕事、とくに授業の場面を考えれば、一面でルーティンワークだが、その一方で、昨日のクラスと今日のクラスの雰囲気が違うために、臨機応変でもなければならない。そこで知りたいのは、教員の感じる忙しさとは、めまぐるしく場面が変わることに起因するのか。それとも、ルーティンあるいはパターン化された活動なのだけれど/あるいは、それゆえに、忙しいと感じるのか。

こうした点からの、多忙問題の解きほぐしがあってもいいかなと思ったので、今回は問題らしきことの提起のみにて失礼。
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by walk41 | 2012-02-26 19:52 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

コミュニケーション力

大学入試問題にもあったこのお題、自分が答えるとすれは、どのように捉えて、また議論するかなと、以下に考えてみた。

1.コミュニケーションの類語には、コミューン(共同)やコミュニティ(共同体)、コモン(共通)といった言葉があるから、その目指すところは、共通理解や共感的状態だろう。

2.よって、コミュニケーションを通じて「わかりあう」中身には、認知的な部分と合わせて感情的な部分が含まれることが忘れられてはならない。

3.また、共同化が課題になるということは、裏を返せば、それぞれに理解と気持ちがあり、なかなかわかりあえないことが前提だから、まずは相手に対して、自分を表現したいと思えること、つぎに相手が自分に対しても同じように思えることが必要となる。

4.以上から、コミュニケーション力とは、ともすれば巷で語られがちな、自分の語彙や話し方の能力をいかに高めるかではおよそ終わらず、第一に、自分と相手の感情にいかに向き合うかが問われること、第二に、表現したい自分であるとともに、そうされたいと思われる自分であることが求められる。これらの点で、それを短期間で身につけるのは難しいと思われる。

5.さらに、表現できない、表現されるはずもない相手がいることも想像して、わからないことも止むをえないと考える態度も大事だろう。



さて、こんな答案で合格できるだろうか。
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by walk41 | 2012-02-26 18:31 | ことばのこと | Comments(0)

学校の「自主性・自律性」はどうなった?

学校教育の議論は、現状を踏まえた上でありうることを扱う(「~である論」)よりも、こうあってほしい、あるべきだという調子(「~べき論」)が優位するため、現実的な話になるかどうかが、まず怪しい。

ただし、それは教育学者や教員の問題というよりも、学校教育が、天災や人災、政権交代や経済恐慌、そして人々の眼差しによって右往左往するので、現状を認識しようとする時点でなかなか成功しないためなのだ。

数週間後の植物の胚芽率や天気予報であっても当たらないことがあるのに、数年後の学校教育の姿を描けると考える方が、そもそも誤っているのだろう。ヴィジョンを描き、それを現実のものとするための「戦略」を立て、それにしたがってPDCAサイクルを回していくという発想がムリなことに気づいていないことが、問題なのである。

かくも先を読めないことは多いけれど、その分野に身を置いているからそう見えるのか、1998年の中央教育審議会答申「今後の地方教育行政の在り方について」と、今の現実とが大きく離れていることに愕然とする。

曰く、「子どもの個性を伸ばし、地域に開かれた特色ある学校づくりを実現するためには、上記1の(1)[注:学校が教育機関として一定の主体性を保持しつつ、最終的には教育委員会が学校の管理運営の責任を負う仕組みとなっていること]で述べたような教育委員会と学校との基本的な関係を踏まえて、校長が、自らの教育理念や教育方針に基づき、各学校において地域の状況等に応じて、特色ある教育課程を編成するなど自主的・自律的な学校運営を行うことが必要である。」

ところが、職員会議での挙手による採決の禁止通達(東京都、2006年)、「君が代起立条例」(大阪府、2011年)、そして「小・中学校での留年の検討を」(大阪市長、2012年2月)と事態を見ると、「学校の自主性・自律性ってどうなったん?」と思わざるを得ない。

学校教育法施行規則に「第五十七条  小学校において、各学年の課程の修了又は卒業を認めるに当たつては、児童の平素の成績を評価して、これを定めなければならない」(第79条に準用規定)とあるように、すでに校長が児童生徒を評価して、進級、卒業を決定している。これは学校の裁量の範疇だから。なのに、上のような意見が出るということは、①児童生徒の進級と卒業を校長が判断するのは不適切であり、②これは、校長や学校の法的位置づけがおかしい、のか、③それとも、校長や学校の能力が足りない、のか、となる。

③と考えるならば、校長の任用や研修のあり方を考えたら、ということになるが、②ならば、校長の権限と責任を縮小する考えであり、「民意」を受けた首長に、より直接に委ねることがベターという話にもつながる。

「いやいや、地方政府によっては、そう考える人もいるけれど、文部科学省はそうは考えていないんだ」と反論する人もいるだろう。しかし、「地方分権」は21世紀初頭の大きな改革の目玉であり、これが進めば地域ごとにバラバラになることは目に見えていたのだから、「学校の自主性・自律性を認めない」特色を持つ地域が現れることも考えられたはずなのに、なぜかそこは全国一律に各学校の裁量権が拡大することをイメージしていたのだ。

大田堯『戦後日本教育史』(岩波書店、1978年)に、「文部省から通知があれば、どんな民主教育も可能だ」との趣旨を語った東北地方の教育行政関係者が紹介されているが、先の答申もそんな想定をしていたのかしらん。その発想そのものが、先を見通していなかったのかもしれないけれど。
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by walk41 | 2012-02-26 08:06 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

マンネリ

もくれんさんからのコメント、「とにかく形にこだわっていると、…」を読んで、思い出しました。

マンネリはマナー、すなわち形式であり、マンネリズムとは「形式にすぎる」という意味です。Web上の語源辞典 http://www.etymonline.com によると、mannerism は「芸術や文学において、特定の方法を過度に用いること」(1803年)、マナー(manner)は 「手」を意味する manus からです。余談ですが、マネジメント、マニフェスト、マニュアルなども、この類語になります。

つまり、「手」から転じて、「操り方・扱い方」となり、それが過ぎることをマンネリズムと言うようになったと理解してよいでしょう。

こうしたマンネリを言い換えるとすれば、そうですね「ワンパターン」ではどうでしょうか。「子どもに応じて」とか「状況次第で」とか言われるのに、どうしてこうしたことがしょっちゅう起こるのでしょうか。

学校って本当に不思議なところですね。
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by walk41 | 2012-02-25 16:58 | ことばのこと | Comments(0)

これは学校業務として改善なの?

通知表作り、電子化広がる 教師「子に接する時間増加」

手書きが主流だった児童・生徒の通知表などを電子データとして入力し管理する「校務支援システム」が全国で広がり始めている。教員の事務作業の負担を減らし、その分を子どもと向き合う時間に充てられると好評。ただ、学力データの一元管理による子どもの序列化を警戒する声もあがっている。
 校務支援システムでは、教員は子どもの成績や出欠状況などをパソコンで入力。あらゆる教員が入力したデータは、データセンターと呼ばれる設備に蓄積される。
 新潟県上越市は、2007年度から市立の小中学校で導入。あらかじめ全教員に業務用パソコンを支給した。手書きだった通知表や出席簿を作る時間は、大幅に短縮されたという。市教委は「その分、子どもたちへ接する時間に充てられている」と話す。熊本県教委も07年度から県立高校で導入。教員1人につき1日約30分の節約になったという調査結果も出ている(朝日新聞、2012.2.24)。
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今回はまったくオープンな問い。どう考えればよいのかな。
とくに学校事務におられる立場からのご意見を聴かせてください。
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by walk41 | 2012-02-24 17:28 | 学校教育のあれこれ | Comments(3)

なくならない論文の盗用・捏造

論文の捏造が、また明らかになった。

東京医科歯科大学は、同大医学部付属病院に所属する助教(43)が書いた論文の一部データに捏造などの不正行為があったと発表、同助教に対して論文の取り下げを求めるとともに、処分を検討している。不正が見つかったのは、2008~10年にかけて米心臓協会誌で発表した論文3本、実験ノートから確認できないデータが論文に記載されたほか、別の論文では、実験ノートに根拠となるデータが見当たらなかった(2012年2月24日、読売新聞、より抜粋、一部改変)。

研究業績(論文発表)は、その業界(学会)における「通行手形」みたいなもので、「この紋所が目に入らぬか」くらい立派なものを持っていれば、それなりの格好ができるのだ。その気持ちはわからなくない。

しかし、やっぱりしかし、いかんぜ。客観的データが少なくて、好き勝手に書いても「自分の文章だ」と突っ張れる社会科学の分野にいるから偉そうなことは言えないけれど、「あかんもんはあかん」。

盗用・捏造しないための我流:先行研究について、ざっとは目を通すものの、はじめは必ずしも詳細には読まずに(失礼!)、自分のモデルに基づいてデータを収集する。そして、だいたいのストーリーができたら、先行研究をしっかり読んで、自分の作品との共通点と相違点を整理しながら、課題設定を書くこと。
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by walk41 | 2012-02-24 16:24 | 研究のこと | Comments(0)



教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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