学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

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学校からの逆襲?

「機内での苦情は一切受け付けません」「客室乗務員に丁寧な言葉遣いを義務付けておりません」―。航空会社のスカイマークが搭乗客に対して、サービスの簡略化などへの理解を求める内容の文書を5月中旬から機内に備え付け始めた。1998年に運航を始めたスカイマークは、低価格を武器に事業を展開。最近参入が相次ぐ格安航空会社(LCC)に対抗するため経費削減を進めているとされる。(exciteニュース、2012.5.31)
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とても興味深く読んだ。「安かろう、悪かろう」を開き直っているのだから。

この論理は、学校には果たして無理だろうか。「学校に関する苦情は一切受け付けません」「教職員に丁寧な言葉遣いを義務付けておりません」―。

「それでは、公僕としての体を為さないだろう」とお叱りの向きもあるだろうけれど、では、それにふさわしい処遇を受けていますか、と学校関係者は問い返すべきだろう。

「企業なら、そんな甘えは許されない」とまことしやかなことを言う人もいるかもしれないけれど、「適正価格」なことは大切だ。関係者には失礼ながら「百均ショップ」ばかりになったら、文化は廃れる。ハンバーガーショップにしても、コンビニおにぎりにしても、良いものには高い値を付けることが、よりよりものを生み出す活力になる。どんなに厳しくてもやりとげてこそ、なんて今時の労働者は奴隷ではない。「ああ野麦峠」じゃあるまいし、そこまでして働かなければならん義理も理由も昨今は、まあありゃあせんで。

良いものは高く、そうでないものはそれなりに。社会的公正にも適っているだろう。

学校教育の価値をどのくらいに設定するかの話がないままに、ひたすら公に尽くせ、無理難題に耐えろ、では、公務員を目指す人なんていなくなるよ。それでもいいというなら、いい加減な公共サービスに我慢してもらうか、さいごには無政府状態になってもいいけれど…。ワシは嫌やね。公務員には多くの人が憧れるカッコ良さがなければ、いい国なんてできひんで。

何らかの公共性を担保したいのなら、相応のコストが掛かることを覚悟せんとあかん。

さて、学校教育の分野で、納税者はどれほどの水準を望んでいるの。また、それにふさわしい財は準備できているの? その上で学校への注文や要求を出すようにしようね。
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by walk41 | 2012-05-31 23:50 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

学校にかかるお金

学部生向けの授業、今日のお題は、教職に関する制度。「ひと、もの、かね」が絡まって学校教育が成り立っていること、国、都道府県、市町村と3つの政府が関わって、学校教育が提供されていることを話す。どうしても説明が多くなり、古風な大学の授業っぽくなってしまった。ちょっと残念。

実はここまでは「大きな制度」として、あとに続く「小さな制度」の導入にと、つもりしていたのだが、この前半の内容でおおよそ時間が尽き、後半に少し入ったところで終わってしまったのだ。授業はなかなか予定どおりに行かず。

さて、前半の話、なかでも、お金の話は新鮮だった様子だ。以下、学生たちの感想。

「ひと・もの・かねについて考えたことのなかった自分にショックを感じた。そこに学校があるから、学校が動いているんだという表面的な思考しかなかった」「チョークや机など、すごく身近にあって必要不可欠な物の値段も知らずに使うというのは、やはり教師としては問題だと気づかされました」「自分が何年間も教育を受けてきたのに、その全てにとてもお金がかかっていたことに気づかなかった」

「現職の先生もほとんど知らないという話があったが、学校運営にかかる金額などは知っておくべきだと思った。直接それを生徒に話すわけではないが、授業や行動にいい方向に現れるかもしれない」「教師は必需品であるチョークの値段を知らない人が多いし、親や子どもは給食費が原材料費であることを知らない。学校を構成する主なことなのに、知らなかった自分を含めておかしいと感じた」「今考えたら、確かに少ない給食費であれだけ豪華なものを食べていたと感じます。自分たちが払っていないだけで、裏でいろいろとお金が回っていると思うと不思議な感覚です」

「今まで普通にあったもの、教科書や机、給食、照明、チョークなどについて、一切気にしたことがなかったけれど、そういうものがあってはじめて「学校」としての環境が成り立つんだとハッとさせられた」「教師が(お金のことを知らず)もったいないと思っていなかったら、生徒もそう思わなくなると思う」「チョークなどのお金について、子どもの頃から教えられていたら、もっと大切に使っていたのではないかと思います」

どうですか、とくに学校のお金を預かってくださっている学校事務の方々? 未来の教師は今の学生、彼らが教員になる頃には、もうちょっと先生たちの財務感覚も改善されるだろうと期待しているのですが。
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by walk41 | 2012-05-31 19:20 | 学校教育のあれこれ | Comments(2)

沈黙

私を含めて、教師は総じてお喋りだ。

授業中、話をしていないと仕事をサボっていると思うためか、子どもや学生がまだわかっていないだろうなと感じるからか、はたまた、喋るのは心地よいからなのか、これ自体が分析の対象になるけれど、その反対、沈黙も考察に値する。

どうして教師は沈黙を恐れる場合があるのか、沈黙する教室に否定的なイメージを抱きがちなのはなぜか、沈黙は学習者側に何をもたらすのか。

図書館の雰囲気との類推でいえば、沈黙することで教室の集中を保つことができ、学ぶ側が自分の時間を持てるとすれば、授業者はもっと沈黙を試みることができるのでは。

沈黙して教室内をゆっくりと歩く、教師自身もテーマについて考えてみる、そして、自分が学ぶ側のそばにいることを間接的に伝える-こんな授業をもっとやってみようと思う。
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by walk41 | 2012-05-31 10:22 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

科学

アメリカのテレビドラマ、「グレーズ・アナトミー」もシーズン7,病院には新しいひな鳥、研修医がやってきた。

その回の冒頭のナレーションは、次のように始まる。

「医学は ある程度まで科学だ。でも科学は芸術でもある。"医学は科学だ"と言い切る医者に、大出血の処置や子どもの手当てをさせたくはない。研修医は規則に従い、芸術家は本能に従う」

患者はとりあえず対象化され、外科医ほか医療スタッフに「お任せ」状態になるが、そうした分野でさえ、芸術(art)という話が出てくる。おもしろいと思う。

だから、「教える」-「学ぶ」と直接には繋がらない主体が登場し(「先生にお任せする」とはならない)、しかも、どんな状態になったのかの測定もできない学校教育の世界が科学的ではないことは明瞭だ。

「質の高い学校教育を」というならば、当事者の感性を刺激し、曖昧糢糊な世界をそれなりにうまく渉っていけるように直感と即興が促される身体を確保すること、が大切になる。見えない先を予測させたり、規則どおりに動かすことを目指していては、却ってこれらを阻害する。

教育が科学的であるべき、なんてことから離れて、もっと上のような発想が求められるべきではないだろうか。
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by walk41 | 2012-05-31 09:03 | ことばのこと | Comments(0)

高度化じゃなくて拡幅化

相変わらず、学校教育のお喋りがにぎやかだ。

大学でも取り上げられる一つが「教員養成の高度化」。執行部ほかご苦労くださっている方、本当にごめんなさいね、私にはさっぱりわからんです。

高度とは縦の話、高い-低いのこと。ならば、横の話、広い-狭い、もあると思うんだけど、どうして縦の話だけなんだろうか。

ましてや、お題が教員の養成についてならば、教職に就く以前の学生をいかに教育するかという話だから、次のようことを考えて議論を組み立てないとあかんと思う。

①近い将来、どれくらいの教員がコンスタントに必要となるのか。それは今の教員免許状制度で輩出される有資格者のどれほどに相当するのか。
②その教員の処遇、とくに給料をどれほどの水準で考え、また誰が払うのか。
③現行の4年制を基本とする制度の何が問題なのか。養成期間が短いのか、内容が薄いのか。今は4年間いうても、教職関係の単位数は59、まあ2年分かな。
④それを高度化、ここでは修士化と考えるならば、およそ100万人いる今の教員のどれだけを、これに相当させるつもりなのか。
⑤大学のリソース、とくにマンパワーについてどれほどの見通しがあるのか。

以上のようなことを考えれば、私見では、可能性があり意義も大きいのは、高度化ではなく、横の話、拡幅化だ。

現行の免許状制度を維持するならば学部卒の教員が圧倒的であり続けるし、ごく一部の教員の修士化なんて「焼け石に水」。何人くらいを当てるつもりなんやろ。そもそも長く教員養成機関に在籍したからといって能力の高い、ましてや実践力のある教員になる保証はまったくない。そんなデータはないで(「理屈っぽくなって、学校でつかいにくい」という管理職の声は聞こえそうやけど(^^;))。

ならば、目指すべきは教職全体の「底上げ化」。学力論争でもあるでしょ。「でけへん子」をもっと「できる子」にという発想なの。

学歴は現状維持だから給料の増大を招かず、「開放制」のもとすでに教員を輩出する基盤が十分にある。そこでの養成教育を、授業規模の適正化(初等・中等教育に倣って40人など)、教員資格の設定(教員免許状を持たない大学教員は特定の分野を除き、基本的に採用しないなど)、教育実習校についての最低基準化(○時間以上の授業をさせること、大学教員が必ず訪問することなど)、を通じて実現できる。このほか、榊原禎宏「職業としての教職像の近未来」(山崎準二・榊原禎宏・辻野けんま『「考える教師」-省察、創造、実践する教師』学文社、2012)に書いたので、読んでいただければ有り難い。

それにしてもなあ、高ければいいなんてほんまにナイーブやね。そういえば、東京スカイツリーが当初の計画よりも高くなったのは、中国で建設される塔を上回る高さにするためだったとか。バベルの塔以来、人間が高いところに登りたがるのは不変なようだ。「馬鹿と煙は高いところが好き」とも揶揄されるのにね。あ~あ。
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by walk41 | 2012-05-30 17:41 | ことばのこと | Comments(0)

一期一会

この言葉を授業で話したとき、大学院生が「学校の先生って、この言葉好きだよね」。

そうなんよ、好きな先生が多いって印象あるなあ。

だから、なにより「現場」の人が実感してはんのとちゃうかな。学校教育は一期一会、「また今度ね」ってことはないことを。

だから、「~すれば~になる」という論理で考えようとすることが、もともと無理なんやって。計画もそれに沿った実施も、そして評価も、まったくの目安、心がけ程度のことで、全然ないのは困るけどくらいの位置づけが、ちょうどいい。

だいたい、今度またやってみよ、と思ってたら、ちょっと気が抜けるんとちゃうかな。一回きりやから貴重で尊い、っていうのが学校には合うように思うんやけど。
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by walk41 | 2012-05-30 12:22 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

ねこばかり

ねこフリークのみなさま、

拙宅のあずきが変わらずパソコンの前に鎮座、パソコンのデスクトップ画面もなぜか、ねこ(飼っている仔ではありません(^^;)。あずきに乗っかっている訳でも、もちろんありません)。

それで何が言いたいねん、と突っ込まないで。くたびれた時はねこに限る、でしょうか。いやはや、お騒がせでした。

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by walk41 | 2012-05-30 00:46 | ねこのこと | Comments(2)

さまざまな結論

授業に使えるかなと、昔のテレビ映像を見直している。さっき見ていたのは、1995年のNHK教育番組「原爆をどう教えるか」。アメリカのスミソニアン博物館に、広島に原子爆弾を投下した飛行機、エノラゲイを展示することをめぐり、アメリカの学校でもこの問題を授業で扱う動きが見られることを取材したものだ。

原爆が投下されたから戦争が早く集結した、いや、アメリカは天皇制維持を条件にした日本と交渉せずに戦争を引き延ばした、さらには、戦争を終わらせたのはソビエト連邦の参戦であって原爆ではない、云々。中等学校の生徒たちが、事前に調べて発表したことをもとに、議論を行うシーンがあった。けっこう白熱している。このあと、授業を担当した教員の発言が以下のようだった。

「教養があるとは、ひとつの結論にたどり着くことではなく、いろいろな筋道を通って、さまざまな考え方のできること」。

こんにち、価値観の多様化やグローバル化が叫ばれるのであれば、この見方はいっそうもっともと思われる。これは教育評価だけでなく、学校評価や教員評価にも連なっており、ゴールではなく過程こそが大切という立場だ。

ある収束される達成の追求というよりも、どれほど拡散された、いわば思考と行動の裾野を広げることができたか、これを起点に学校の評価論が形作られるべきと強く感じる。
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by walk41 | 2012-05-29 17:58 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

「困り」を解決する喜び

NHK,朝のニュースでは、大学生による受験講座のネット無料配信を取り上げる。

大学生が高校生向けに、受験勉強を応援する授業、なんと動画1500講座を用意して、いつでもどこでも見ることができるサイトを立ち上げているのだ。質問をすれば直に丁寧な回答も帰ってくるというサービス付きで、月に1万人が利用するという。

無料なので家計には有り難く、また先輩格の大学生が教えてくれるので親しみも湧き、繰り返し何度でも見ることができる。こうした点もさることながら、大事なのは、サイトを運営する大学生が、「定期テストで92点とりました、と連絡があった」と喜ばれていることを感じ、自分たちのサイトが認められていると知れるという、お互いが喜べる環境だろう。

受験勉強は自分の意志でするもの、これに対して義務教育は嫌でもやらなければならないもの-そうなのかもしれないけれど、多くの教室で児童・生徒が授業を喜ばず、喜んでいないことを目の当たりにして教員も嬉しくないという互いの「不幸」を、少しでも減らせないだろうか。

そのための「意欲を引き出す授業」なんです、ということなのだけど、何か違う気がする。意欲を引き出すというと既に子どもに宿っているかのようだけれど、そうではなくて、彼らに何か解決しなければならない「問題」を投げかけ、それが解決されない居心地の悪さ、落ちつかなさを持たせることで、「意欲」が生まれるという捉え方が大切ではないだろうか。「このままじゃ、まずい、いやだ」という感覚を、小さくても持つことができれば、学ぶという方向に進むように思うのだけれど。
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by walk41 | 2012-05-29 09:00 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

反面教師

拙宅に、地域の住宅地図を印刷、配布する業者がやってきた。家族が家でちょっと仕事をしていて(所得はほとんどないのだけれど(^^;))、一度、地図の余白に広告を入れませんかと、契約したことがあったのだ。

ところが、肝心の地図が配られない。そこで翌年、新たに印刷するので継続をお願いとやってきた担当者にそのことを伝え、契約を打ち切った。その際、「配られていない事情を聞いておきます」と話していたのに、なしのつぶて。なあんも言うてこん。もう関わる気もないので放っておいたら、新しい担当者がまたぞろ、契約の更新をとやってきた。

契約の更新とちゃう。もう切れてんねん、と思いながら応対を見ていると、なぜか拙宅の広告が入った版を手にしている。うん? 昨年、また契約をと持ってきた版には入ってへんかったで。こちらがまだ契約していると勘違いさせて、そのまま契約に持って行くつもりか?

配られてへん事情を調べときますと言わはったキリなんやけど、と家人が話を振るも、「そうですか~、すんません。この広いエリアを2人くらいで配るんで」と。どんな弁解や。できもせん注文を受けるんやない。さらには「協力してもらえるとこでは、自治会ルートでも配らせてもらってます、そっちの方で配ってはれへんこともあるんかも」なんて話をはじめやる。なんやて! 企業の配布物を自治会が手伝い?! そんなことあるわけないやん、それに、ウチはいま組長やで。なにより、自分とこの商品、どこの誰に配られてるかわからんままなやんて、気色わるないんか、あんたの会社は!

こうして引き取り願った訳やけど、あとで家人の弁、「あんた、こんなええかげんな会社、早よ替わった方がええで、って言おうかと思ったわ」。

業種はぜんぜん違うけれど、もっとちゃんと授業しよ、丁寧に学生に接しよ、期限内に書類だそ、って思わされた。ええ反面教師やった。
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by walk41 | 2012-05-28 18:50 | ことばのこと | Comments(0)



教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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