学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

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学習指導要領が一番、それとも二番?

無免許:金沢高の男性非常勤講師、15年授業 (毎日新聞、2012年12月30日)

 私立金沢高は29日、教員免許を持たない県内の男性(55)が非常勤講師として約15年間、授業をしていたと発表した。同日、記者会見した校長は「卒業生、在校生を失望させ申し訳ない」と謝罪した。在校生・卒業生の単位については、私立高を担当する県総務課が文部科学省から、「授業内容が学習指導要領を逸脱しておらず、単位として認められる」と回答を得たとしている。(後略)
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そりゃ、いまから15年前の卒業生を呼び出して授業をする訳にもいかないから、文部科学省もこう言わざるを得ないのだけれど、かくも、教員資格って公証としては実におおらかなもの、ということがわかる。

学習指導要領を逸脱しているかどうかの基準がよくわからないけれど、これならば結構な人が授業をできそうだ。つまり、授業の大本は学習指導要領が担保しているのだから、教える人は安心して仕事をしなさい、ということになるもの。

生徒から人気のある講師だったそうだが、これが正規教員で著しい不人気だったら、「指導力不足教員」になりかねないという話でもある。この場合は、学習指導要領を逸脱しているかどうかは問題ではなくなる。

かくも、ケースによって論理が使い分けられている。前者は、学習指導要領が一番、後者ならば、教員の授業の様子が一番、になるからね。前者について「生徒の人気が高いっていっても、わからないって言っている生徒もいるじゃないか」と「指導力」を問題にしても、「いえいえ、指導要領に沿っているからいいのです」と答え、後者について、「でも、学習指導要領に沿っているじゃないか」と教育課程基準を盾にしても、「いえいえ、生徒がわからないと言っているからダメなのです」と答えることになるのだから。

結局は、かくも何が授業を、さらに学習を規定しているかは説明しがたく、その時々の状況次第で、鷹揚な(いい加減な)解釈と判断が下されているということだ。こんなことが明瞭なのに、教員についての「高度化」をいかに図るかといった、暇つぶしのようなお喋りをまだ続けるつもりなのだろうか。
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by walk41 | 2012-12-30 22:18 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

ちょっと早い新年おめでとうございます

ねこフリークのみなさま、こんにちは。

齢とともに、年の変わり目の緊張感がさっぱりなくなってしまいましたが、一つのけじめではありますね。

拙宅ではドイツの友人の真似をして、トイレの壁面をカレンダーで飾ることにしています。少し早いのですが、もう模様替えをしました。新しい年もどうぞよろしくお願いします。

でも、よく見てくださるとお気づきになるでしょう。日付と曜日の違うものがあるなと。仰るとおり、すべてが2013年版ではありません、気に入ったものは2012年版、11年版のものも掛けているのです(^^;)。

とまれ、皆様に幸多い、これからの一年でありますように。

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by walk41 | 2012-12-30 13:57 | ねこのこと | Comments(0)

「高度化」ではなく「最低基準化」

男性講師、「無免許」授業14年 石川・金沢高が謝罪
 金沢市の私立金沢高校14年9カ月にわたり、非常勤の男性講師(55)が教員免許を持たずに数学の授業をしていたことがわかった。学校が29日に会見を開いて謝罪した。生徒や卒業生の単位取得に影響はないが、石川県は学校を近く処分する方針。

 学校によると、講師は予備校の講師をしていたが、1998年4月、当時の校長が採用した。この講師は学校の聞き取りに対し、「採用時に自分が無免許であることは当時の校長に伝えていた」と答えているという。2007年に現校長が就任した際も免許の有無を確認せずに雇用を継続していた。免許更新制の導入に伴い、08年秋に全教員に免許状の写しを提出させた際も「臨時教員免許を持っている」と思い込み、きちんと確認をしなかった。

 校長は「当時の校長がすでに亡くなっており、採用された経緯は不明。免許は当然取得していると考えていた」と話している。この講師について、生徒からは「教え方がうまい」と評判が良かったという。県は今月20日、学校側が事前に提出した在籍名簿に基づき、この講師の免許更新の期限が近いことを連絡。その際、学校側が無免許に気づいたという。(朝日新聞、2012.12.29)
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似たような話は他でも聞くが、法的妥当性はともかくも、このエピソードは2つのことを語っていると思う。

その一つは、教員免許状という国家資格が実際の授業や生徒との関係を説明する変数としては、影響力の乏しいものであるということ。だから、繰り返し拙ブログでも述べているように、大学卒業を基本条件とするくらいまですでに「高度化」された教員養成について、これ以上議論をしても実りは期待できないだろうということ。

もう一つは、個々の授業のありようを規定するのは、その場にいる教員と生徒との関係によっており、その蓋然的な関係性が実際を説明するから、一律な制度として基準を定めても実効を見込みにくいだろうということ。

かくも、教職は良くも悪くも「人間臭い」仕事であり、一つの正解や、また適正な解すら見出すことは難しく、おそらくは、それぞれにとっての意味という点で、満足(satisfaction)に依拠せざるを得ないのだろうと思われる。

「子どものため」と声高に叫ぶのであれば、その子ども-児童・生徒の見方を第一に考えてこその学校教育だろうことに立ち返るべきだろう。つまり、議論すべきは教員資格の「高度化」ではなく、「最低基準」である。

そういえば、教員免許更新講習の評価について、勤務校は合否の2段階でしか行っていない。それは、「最低基準」をクリアしたかどうかの弁別が課題であることに対応しており、それ以上の評価は不要と考えるためだ。いたずらな種別化、段階化、ランキング(児童生徒への「学力テスト」を含め)が、まったく無益有害なことに気づかなければならないと強く思う。
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by walk41 | 2012-12-29 22:44 | 学校教育のあれこれ | Comments(2)

マクロレベルでどれほど説明できるか

デンマークでは、昨年から脂肪分の高い食品に「脂肪税」を課してきたが、隣の国ドイツに越境して買い物に出かける人が増えて、健康増進のためと創設されたこの制度の意味がなくなり、廃止が決まったという(毎日新聞、2012.12.28)。法律で決めても現実を左右できなかったのだ。

人々の行動に影響を及ぼすために制度を作り、方向づけようとすることは数多く行われるけれど、想定通りにならないことは珍しくない。外的動機づけというこの方法は、有効な場合もあるが、「抜け道」があれば形骸化されやすく、当初の理念が現実のものに達しない。

学校教育でも、義務教育段階ですでに原級留置(留年)の措置を行えるのに、実際に行われることは皆無である。進級、卒業させても「何とかなる」「1学年下の子と一緒では可哀想」と制度が予定通りには機能しないのだ。

先の拙ブログにても記したが、法律というマクロレベルを通じて個々人の行動を規定できるという見方もあれば、それはほとんど現実を説明できないとする捉え方もある。対象によって、あるいは観察したいテーマによって、その説明力はさまざまなのだろうが、かつては1919-1933年に行われた、アメリカ合州国の禁酒法(Prohibition)にも通じるケースとして、マクロレベルで決めても実際への影響力が乏しかった今回のエピソードを記憶したい。

詰まるところ、マクロレベルがミクロレベルを大きく規定することもあるけれど、必ずしもそうとは言い切れないのだろう。ミクロレベルの自生的な現実にも注目すべき、と近年の自分は考える癖が強いからこそ注目しているのだろうけれど。
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by walk41 | 2012-12-29 21:50 | Comments(0)

音楽と学校経営

NHK,ちょこっとサイエンス、を観る。部分的には他でも聴くことだが、音楽が人間の行動に及ぼす影響についての研究紹介が興味深かった。

曰く、時間帯に応じて流す音楽を変えることで客層を広げることに成功したカフェ、かける音楽で掃除の具合も変わって来る、あるいは、聴く音楽で摂取カロリーも変化する、と。

ならば、学校や個々の学級でもこの知見を応用した実践はないのかしらん。どんな音楽をどんな感じで流すことが教職員や児童生徒にどんな影響を及ぼすのか否か。こうした報告はどれくらい上がっているのだろう。

組織の目標に近づくために、いろいろな資源を発掘、活用、開発すればいよいのか、が経営学の基本モチーフだから、音楽もその一つになりうる。これまでの講演や研修では、教職員の声を音でもあると説明し、発声や話すコミュニケーションについて取り上げては来たけれど、音楽にはまったくトンチンカンなので言及できないできた。これを機会にちょっと勉強してみようかな。

教員のみなさん、音楽の授業に限らず、どんな音楽がどんな影響を子どもや同僚に及ぼしているかの研究、ぜひ校内研究でもやってみませんか。
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by walk41 | 2012-12-28 11:25 | 音楽 | Comments(0)

現実的

新しい政権が発足、石原環境大臣は原発稼働ゼロという方針を現実的でないと、福島県で述べたという(読売新聞、2012.12.28)。

こともあろうに福島県でこうした発言をするという品位にも驚かされるが、またぞろ出てきた「現実的」、これは議論を広げない点で、禁句とも見なせる言葉だ。

「こんな風にしたらどうかな」「現実的じゃない」、「こんなアイディアはおもしろくないかな」「現実的と思えない」と、出される考えをこの言葉で遮るのは、「わかったようなことを言う」雰囲気を醸し出しながら、実はわかっていないことを覆い隠すものでもあるからだ。

確かに現実的でないこともあるだろう。「100メートルを5秒で走るにはどんなトレーニングをしたらいいかな」とか「1ヶ月で公転できないだろうか」は、これに当てはまるだろう。人間や自然の基本条件を無視しているから(とはいえ、iPS細胞のように、細胞の初期化reprogram が現実味を帯びてくると、「人生のやり直し」も視野に入ってくるけれど)。

これに対して人間は少なからず、「現実的でない」ものを「現実的」にもしてきた。かつては三種の神器とも呼ばれた家電、冷蔵庫、洗濯機、テレビ、いずれも現実的ではなかったはずだ。今なら、インターネットがその一つだろう。電話やメールが実質的にタダになるとは誰が想像していただろうか。

原発も稼働するまでは現実的でなかった。これを止めるのも「現実的でないことを現実にする」ことである。無理な節電をしないという「現実的」な判断もありうるけれど、福島で起こった事故も「現実的」である。どちらの現実により向き合うのか、想像力、創造力とそのための勇気が問われるゆえんではないだろうか。
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by walk41 | 2012-12-28 10:36 | ことばのこと | Comments(0)

見極めることの難しさ

NHK,追跡!真相ファイル、119番通報に何が、が興味深かった。

山形県の大学生の死亡事故をきっかけに、119番通報がはたして救急車の出動要請なのか、それとも問い合わせなのか、が裁判を含めて責任を問われる事態に至っているのだ。

苦しい様子の声で通報が入る、「火事ですか、緊急ですか」から始まる消防署の連絡員とのやりとり。そこで、「自分で行けますか」とたずねられると、「はい」と答えてしまいそうなるのはわかる。また、「救急車を出しましょうか」とたずねられると、これにも「はい」と答えてしまうかなあとも思わされる。どんな答えをするかは、質問によって決められると言えなくもない。連絡員の責任は重いが、その一方で対応マニュアルを作ることができない。

説破詰まった雰囲気、判断までに限られる時間、いずれに判断するかを客観的に示すことはほとんど不可能なのだろう。事実上、担当した連絡員なりの基準に委ねられざるを得ないようだ。

翻って、学校での職務にも上のことが少なからず当てはまる。授業は進めなければならず、かといってどんな状況が起こるかを読み切ることもできない。その中で教師は可能な限り選択肢を並べて、多くはまったく短い時間で決定しなければならない。「集中していない子どもがいるけれど、どう対応したらいいだろう」「前の時間に叱った子の様子から、無理にでも当てた方がいいかな」「この教室のけだるい雰囲気は何なんだ。どうしたらいいのだろう」と、何枚もの皿回しを続ける気持ちに似たものを抱くことだろう。

こうした教職の特性を繰り返し確かめること、その上で、ありうる授業や教員の働き方を提案すること、そんな手順について合意されるべきなのだろう。ところが、中央政府や地方政府、あるいは学校管理職に至るまで、「頑張ればなんとかなるし、そうならないのは、教員の力量不足だ」と言いかねないような論理構成を取ることも珍しくない。

したがって、いま求められているのは、気の利いた方策や方略ではなく、学校や教職員についてどのようなルールで議論を進めれば良いのかの吟味と了解である。生命の危機に直結する消防署での苦労を目の当たりにすると、学校を対象にした議論はあまりにも「脳天気」なように思わされるから。
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by walk41 | 2012-12-27 23:34 | 身体 | Comments(0)

この白ワインは

平日からお酒の話で恐縮です。

拙宅でクリスマス?忘年会?パーティを開きました。いろいろなお土産をもらいましたが、その中でも嬉しい一つは、ドイツはバイエルン州の北、Wuerzburgを中心に作られている、フランケンという白ワインです。

私はまったくの赤ワイン派なものの、この白は喜んでいただきます。このユニークな形の瓶が特徴的ですが、甘さよりもキレの良さ、飲み干したあとの余韻、いずれも素晴らしいものです。

気がつけばもう夜中という感じだったように思いますが、楽しんでくれたならば幸いなことです。

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by walk41 | 2012-12-26 11:09 | ドイツのこと | Comments(0)

暖かなクリスマス

南西ドイツに位置するLudwigsburgのクリスマスマーケットをご紹介したところですが、なんと今年は温暖な冬らしく、クリスマスイブの気温は15℃まで上昇、Ludwigsburgでは雪の替わりに雨が降っているとStuttgart新聞は伝えています。

とても残念、会場は写真のようです。これに雪があればもっと良い雰囲気なのですが…。それでも訪問者は例年並みを数えそうだとのこと。

キリスト教信者ではありませんが、メリークリスマス。みなさんに安寧の時が流れますように。

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http://www.stuttgarter-zeitung.de/inhalt.ludwigsburg-besucher-trotzen-schauerwetter.c58921b2-bdba-47c3-8e4c-1a7906fef522.html より。
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by walk41 | 2012-12-24 19:37 | ドイツのこと | Comments(0)

クリスマスマーケットの一風景

「クリスマス、深く内省を」 ローマ法王、経済紙に寄稿
 【ローマ=石田博士】世界的な金融危機の中、ローマ法王ベネディクト16世は20日付の英フィナンシャル・タイムズ紙に寄稿し、クリスマスという機会に社会の課題と向き合って内省するよう呼びかけた。経済紙への法王の寄稿は極めて異例だ。

 法王は「クリスマスには聖書を読んで学ぶべきだ。政治や株式市場など俗世のできごとにどう関わるべきかの啓示は、聖書の中に見つけられる」とし、「貧困と闘わなければならない。資源を公平に分かち合い、弱者を助けなければならない。強欲や搾取には反対すべきだ」と呼びかけた。

 また今年を「多くの人にとって経済的に苦しかった年」と記し、「クリスマスはとても楽しいが、同時に深く内省すべき時でもある。私たちは(キリストが生まれた)つつましく貧しい馬小屋の光景から何を学べるだろう」とつづった。

 法王は年末に合わせた14日のメッセージでも「倫理を基盤とする、新しい経済モデルを見いださなければならない。利潤追求よりも公共の利益に配慮すべきだ」と呼びかけた。クリスマスに過熱する商業主義にも苦言を呈している。 (朝日新聞、2012.12.23)
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ドイツで1年間を過ごした昔、クリスマスシーズンは特に楽しかった。Ludwigsburgという街のクリスマスマーケットは天使をモチーフにしており、控えめな飾り付けで上品さが漂う。カトリックとプロテスタント、そして市庁舎で三方を囲まれた、ふだんは週に2~3回、市(いち)が立つ広場に、11月末から12月23日までだったかな、クリスマス直前まで100数十軒の店が並ぶのだ。

クリスマスを演出する色々な飾り付け、蝋燭、アロマオイル、チョコやキャンディーあれこれのお菓子、本やカレンダー、マフラーや毛布、といった店をめぐる。何度足を運んでも飽きなかった。猛烈に寒い日もあったけれど、Glueweinというホットワインを売るスタンドが身体を温めてくれたから。

そんなマーケットにも、角の方で物乞いをする人はいる。ちゃんと首輪の付いた犬をお伴にしていることが多い(犬を飼っていると税金を払わなければならない。現在、同市の犬税は、1頭目に120ユーロ、2頭目以降は1頭ごとに240ユーロ、闘犬や危険な犬の場合は同じく720ユーロと1440ユーロとなっている。もし、ピットブルテリアのような犬を2頭飼えば年に2160ユーロ、20万円以上を納税することになる)ので、変な感じもするが、ザルなどを前に置いて寒い中座り込んでいる人を見かける。楽しく店を回ってワインも飲んで帰途に付く我が身としては良心の呵責もなくはない。そそくさと通り過ぎる。お金を置くのもたいていは躊躇してしまう。「上から目線」を注ぎたくないことと、本当に働けないのだろうかという疑問が相まって。

こんな中で街頭に立ち続け、ドイツ版の「ビッグイシュ-」を売る人がいる。タブロイド判の新聞で、社会問題のほか、地域の話題、コンサート情報なども載っている。ホームレスの自立を支援する活動で、1部売れるとその半分くらいの額が売り手に渡るという仕組みだ。何度か見かけた男性がきょうも立っていた。夕方だんだんと暗くなり、彼の顔もわかりにくくなる。思わず近くのスタンドに走り、カレーソーセージ(焼いたソーセージを小さく切り、カレー味のソースにからめたもの、爪楊枝のようなもので食べる)を買って、彼に差し出した。変なアジア人だなと思っただろうが、受け取ってくれた。

日本でも、2003年からこの新聞を売るために立つ人がいる。みなさんも街で見かけたら、ぜひ買ってください。
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by walk41 | 2012-12-24 08:47 | ドイツのこと | Comments(0)



教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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