学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

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「学校の先生」

所変われば、ものごとの位置づけも変わるなあと感じたエピソードに接した。

奄美大島で出会った女性は、学校職員。教員ではない目から学校と教員を見ている。

この地では、教員が赴任すると、その引っ越しの手伝いを地元の人々がするのだという。これに引き続き歓迎会も行われるらしい。それほどまでに、「学校の先生」への期待は高いのだけれど、本土の鹿児島県ほどの教員は期待できないとの思いも見える。少なくない教員は離島への「へき地」赴任だから、地元からはこうして来てくれるだけでありがたい、との歴史的経緯も影響しているのだろうけれど。

かやた、街中では「モンスターペアレント」などとも揶揄されたり、それ自体が「教育問題」になってもいるが、学校内外の環境が変われば、かくも眼差しは大きく違うし、奄美の例など、勢い教員が尊大になることすらあるかもしれない。もちろん、それはそれで問題なのだが。

こんな小さなエピソードに触れると思う。「問題」というのは、すぐれて関係的に構成されるのであって、絶対的なものとして想定することはほぼ間違いだろうということ、したがって、「教育問題」や「学校問題」も、論者は自分の見ている世界からでしか発信できず、主張すればするほどに、その相対的感覚を持ち得ていないことを露呈しているのだろうということだ。

だから、保護者からの理不尽な苦情に苦しんでいる方、思い切って新天地で教職を志すのも一案かも知れない。えっ、今の生活があるって? それはそうだろうけれど、自分のものの見え方を変えるには、自分が変わることが大切、相手が変わることを待ってはいられないからね。「先生歓迎」の校区に移ったら、きっと世界観が変わることでしょう。
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by walk41 | 2013-04-30 19:39 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

標準語

テーマそのものはあちこちで聴く話だけれど、じかにこの話を伺ったので紹介したい。

奄美大島で、与論島出身の壮年の男性に会った。与論には与論語というべき日本の「標準語」とまったく違う言語があるそうだが、子どもの頃、学校で与論語をつかうと教員に叩かれたという。もちろん、「標準語」を遣える子どもになって(「学力の高い子ども」!)本土でも安心して働くことができるようにとの「教育的配慮」からのことだろうが、子どもには、さぞかし理不尽なことだっただろう。沖縄での方言札とまったく同じ構図だ。

その男性は「ぼくの第一外国語は日本語です」と言われる。さもありなんと思う。「与論語を標準語に頭の中で置き換えてから、声に出していました」と言われるのだから、成人してから「外国語」を学ぶのと同じような経験をすで子ども時代にしていたということになる。ちなみにこの方は「英語は第二外国語です」とも。その通りですね。

日本人として、日本人らしく、といった物言いが好きな人もいるけれど、いわゆる離島に行くほど、この話は怪しくなってくる。どこまでがはたして日本なのか、よしんば日本だとしても、そこでは日本語の遣えることが「普通」なのか。

近代国家と母国、母国語、母語と、学校教育の根幹を改めて考えるヒントをもらった気がしたのだった。
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by walk41 | 2013-04-30 19:22 | ことばのこと | Comments(0)

小まめに引こ

読売新聞のHP上に「発言小町」という、女性の書き込みの多いコーナーがある。ときどき読んでは、「うーん」「でもなあ」と人間ならではの悩み事を垣間見させてもらっている。

きょう目に飛び込んだ書き込みは、「TEL」を「テレ」と発音するか「テル」と言うかという問いかけ。それぞれの「発音派」があるのだが、その中に「記憶の限りですが」と断ったうえで、電話:telephone は tell と phone の組み合わせと聞いたことがあるというコメントがあった。だから「テル」ではないかと。

たわいのないお喋りなのだから、いちいち角を立てるのも大人げないけれど、tele+phone は、「遠くの」、「音」、という意味。tele に続くのは、phone 以外にも、telescope 望遠鏡、telegramm 電報、television テレビ、と、遠くのものを見たり聞いたり読んだりするもの、いくつかの組み合わせがある。ちなみに、phone はfame 名声、と類語とのことで、「名だたる」という感じなのだろうね。なるほど、famous も親戚のことばなのか。

こんな「わかったつもり」でいたところ、ドイツのニュースを見ていて、Projektion とあったのを「何となく」しかわかってなかったなと気づかされた。これは 予測、見積もり(英語でprojection)の意味、記事を読みながら、何となく世論調査という企画だから、プロジェクト(Projekt)なのかなあ、とちゃんと調べていなかったことを反省させられた。似ていてもだいぶんと違う意味やね。

ありきたりの結論、小まめに引かなければ。わかったつもりは怖いなあ。
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by walk41 | 2013-04-27 22:14 | ことばのこと | Comments(0)

学生から学ぶ

1回生向きの授業は教職の入門的なもの、これまで、ともすれば固定的に捉えがちな彼らの教職像を揺るがし、壊し、また組み立てるという頭の「筋トレ」になるように進めている。

前回は、「教える」がそのまま「学ぶ」につながる訳ではないこと、教えられなくても学んでいることのあることを取り上げ、、先天的と後天的ということにも関わって、「子どもはどれほど学ぶ力を持っているのか」と題してみた。その授業のあとの感想文に、次のようなものがあったのだ。

「子どもの絵は想像力豊かで、特に幼稚園くらいの頃が大人には描けない絵を描く。大人になるにつれて、この木は茶色だとか、葉は緑だとか勝手に決めつけてしまう。大人になるにつれて、忘れてしまっているものが多いように感じる。しかし、字や言語は学ばないと話せないし書けない。教育が必要となってくる。教育が大切なこともあるが、教育されることでつぶしてしまう何かが存在するのだと…」

どうでしょう、なかなか慧眼だと思われませんか。ヒトという生き物にとって「教育」は必ずしも要らないけれど、人間として社会的に生きていくためには、あれこれと獲得しなければならないこと、それがときにヒトの何かを壊してしまう場合があること、を理解していると言えるでしょう。

この感想文、まだ大学生活が始まったばかりの学生によるものです。現役生かどうかはわからないけれど、関心させられました。自分の大学の学生かわいさゆえかもしれませんが、十二分な鋭さでしょう。

こう感じられることも、わたしが授業を楽しんでいるからこそでしょうが。こうした学生たちと時間を過ごせることを幸いに思います。
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by walk41 | 2013-04-27 16:27 | 授業のこと | Comments(2)

「決まった通り」は好かん

学内業務で附属学校に出かけた。立場上、やらなければならないことで、事務方がおおよそ整えてくれた文書を述べるためだ。

確かに楽しい仕事ではない。しかしちゃんと大学を運営していくためには重要な小さな業務であり、これを欠くことはできない。「民主主義のコスト」とはよく言われるが、その類いのことである。もはや風前の灯火かもしれないが、「大学の自治」の理念は残っているのだから、独断専行でやるわけにはいかない。

かくして、予め決められた文言を読み上げるに近い格好で話す中で、改めて気づくことがある。それは、決まった通りに話そうとするとどうしても、ぎごちなくなり、不自然になってしまうということである。その通りに読み上げようとして、却って間違う箇所もある。そりゃ、自分の言葉でないもの。

何度も登場願って申し訳ないけれど、モノを対象にしたPDCA論や目標管理論を学校教育に適用しようという無理さは、どうもこの辺りにあるように思う。計画に即してやろうとすると、人間相手の仕事の場合、どうも不具合が生じるようなのだ。

そこに集った人間のなんとも言いがたい雰囲気や「空気」、それらを踏まえて、それとなく合わせることで、折り合いをつけるようなところが、コミュニケーションにはあるように思うのだけれど、自分の側だけで「こんな計画」と先に決めてしまうことの無茶さ、非合理さは、相手の状況や呼吸に合わせなくてもよい、という乱暴さが図らずしも露呈しているからだろう。「念ずれば通じる」かのような発想の無謀さを、ちょっと感じたのだった。
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by walk41 | 2013-04-26 21:57 | ことばのこと | Comments(0)

意味を作り出す

NHK、朝のニュースは「ギネス記録達成で町おこし」。

イギリスのパブでの飲み話から始まったという「ギネス記録」だが、日本でもあれこれのチャレンジがなされている。

たとえば、そうめん流しの長さを競う。これまで2500メートルの世界一を誇った鳥取県のある町だが、京都府のある町に抜かれてしまった。次は別のもので世界一を目指すという。

こうした様子を見るに、人間はつくづく何かに意味を求める存在なのだなあと思わされる。もちろん、これで有名になり観光客が訪れる、ひいてはお金が町に落ちるといった現実的な効果も考えられているのだろうけれど、「長いそうめん流しを体験できる」という理由で人が集まるということ自体が、意味づけされた何かに惹かれる人間を示しているではないか。おもしろいなあ。

そうめんを食べない人には何がすごいのかわからないし、そうめんを食べる私でも、長いことにどれほどの意味があるかはわからない。けれど、「すごい」「一緒にやってみたい」と集う人がいることも事実、こうして人間は「第二の自然」ともいうべき、環境を自分で作り出し、そこに縛られ、それゆえに苦しんでも楽しんでもいる。

「子どもの成長・発達」「授業の盛り上がり」「伝え合う力」などの言葉が飛び交う、目に見えない学校教育も、人間の作り出した「自然」の象徴的存在なのだろう。
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by walk41 | 2013-04-26 09:46 | 身体 | Comments(0)

若手に任せる

民放、ガイアの夜明け「働き方が変わる」(20130423、第563回)。入社間もない若手の離職を減らす企業を紹介する。

入社1年目の社員に、全国350万部も発送される旅行案内の第一面を飾る企画を任せる旅行会社、経費を使って取材に行き、取引先との交渉までを担う。

新入社員は「いろいろな挑戦をさせてもらえることがありがたい」と話し、こうした取り組みを進める執行役員は「失敗をした人の方が、よりいろいろな経験をして、学び取ることが多く、次の成功につながると考える」と語る。

かたや、学校では新任教員に失敗をさせてはならない、失敗をさせられないと、初任者研修を充実させる、指導教員を置く、はたまた教員養成を「4年+α」を基準にするといった「世の中になかなか出さない」、「腫れ物に触るような」面も見られるけれど、それではたして彼らが成長する機会を得られるのだろうか。

ある校長経験者が講師として呼ばれた授業にて、学生に語った一言が、今でも思い出される。「皆さんの一時間の授業は、また次にくる一時間の一つだけかもしれませんが、子どもにとっては、一回きりの一時間なんです。やり直しはできないんです。しっかりやって下さい」と。

いや、そうではない。教育-学習に「失敗」も「成功」もはっきりしないのだから、ある程度までは大らかに、将来への投資と考えてほしい。なかでも教職は多くの場合が生涯の時間を費やしたいと考えてもらえる職業の一つ、その志を大切にして、「ハンドルの遊び」の発想も大事にしてほしいなと思う。
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by walk41 | 2013-04-25 22:20 | 学校教育のあれこれ | Comments(2)

雑談力と経営

「殺伐とした時代だからこそ雑談力」(20130423、毎日新聞)を読む。

中身がない、結論がなくていいという、雑談の効用を述べるものだが、その力があるかどうかのチェックシートもついている。「その場の雰囲気や非言語のメッセージを読める」「素直に自分の気持ちや本音や言葉にできる」「ユーモア、冗談、だじゃれなどをとばす」と続く。

なるほど、これって、学級経営や学校経営でまさに求められてるもんやん。子どもの表情を読み取る、適度に自己開示をして同僚とラポールを築く、つまらんことの一つもゆうて場を和ませるって能力は、「生産物」がよくわからず、曖昧で不安定な学校での活動を効果的に進めるのに、ぴったり合ってるんとちゃう? 

そやったら、計画(plan)から外れてこその雑談なんやから、計画どおりを目指すことそのものと矛盾することになるなあ。そういえば生徒の記憶もそんな感じやわ。授業で印象に残るんは、まあ「脱線話」やもん。

親の敵やないんやけど、こんなとこからも、学校でPDCAサイクルを回すとか、目標達成を追求するというんが、いかに無理してるかってわかるんとちゃうかな。「無理を承知で頑張るんや」と返ってくるかもしれんけど。でもそれって、「特攻隊」と同じやん。そんな根性論を最前線の人らに押しつけたらあかんで。
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by walk41 | 2013-04-24 23:20 | ことばのこと | Comments(2)

「思わず、かっとなって」

中学教諭、男子生徒に頭突き あだ名で呼ばれ立腹 栃木
 日光市教育委員会は、同市内の中学校で男性教諭が授業中に、あだ名で呼ばれたことに腹を立て、2年の男子生徒に頭突きをするなどして約1週間のけがを負わせる体罰があったと発表した。学校側は教諭も含め、生徒と両親に謝罪し、教諭を担任から外し、職員室での謹慎措置にしている。市教委と県教委が教諭から聞き取り調査をしたうえで、処分する方針。
 市教委によると9日の5時限目の授業中、教諭の名前をもじった生徒の発言に教諭が立腹。隣の教室に連れていき、頭突きを2回、胸ぐらをつかんで全身を黒板におしつけるなどした。
 生徒は額に約1週間の打撲を負った。記者会見した市教育長は「生徒の心身に傷を負わせたことを極めて重く受け止め、再発防止に努める」と話した。 (20130423 朝日新聞)
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この教諭の年齢が不明だが、ミクロな公教育経営の関心から言えば、次の二つのことが問われるべきかなと考える。

1.あだなを呼ばれたことに立腹したとのことだが、教諭は生徒をどのように呼んでいたのだろうか、という呼称の問題。たとえば、教諭は生徒を呼び捨てしていたが、自分があだ名で呼ばれることは我慢ならなかったという話なのか。

2.こうした行為を「体罰」と言ってよいかは大いに疑問だが、とまれこうした「想定外」の行動がまま取られることが学校での労働の一面とすれば、いつも冷静沈着で影響を受けないように想定される教員像や授業あるいは生徒指導論はまったく画餅である。にもかかわらず、PDCAサイクルや「的確な指導」ができるはずと設定することの問題。

今回のような暴行などに限らず、教室ではこうした感情や情動が行き交い、それぞれの記憶を成しているのだろうなと思えば、没人格的な教育計画や目標管理の発想が、「いかに人間を見ていないか」と問いかけられるのではないだろうか。
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by walk41 | 2013-04-23 23:39 | 身体 | Comments(0)

6×8か、8×6か

110人ほどの学生が来ている教職専門科目の授業で、ミクロな公教育経営について扱う。

学習指導要領や教科書、あるいは学校経営案が用意されていても、教室で実際にどのような授業になるかまでを規定することはできない。この事実と効果や効率を求める「経営」との相性について、どう考えればよいか、という話だ。

その一例として、あるブログに載せられていた「8人にペンをあげます。1人に6本ずつあげるには、ぜんぶで何本いるでしょうか」をめぐる親子の会話を取り上げた。すなわち、

「8×6」だとバッテンで、「6×8」だと正解らしい。何じゃこりゃ。僕がテストを受けたとしても「8×6」と書く。だって問題文はその順番に書いてあるから。さらに答の48本もバツ。丁寧に赤ペンで48本と直してくれている。さらに意味不明。娘(2年生)にヒアリングしてみた。「何でバッテンだったか、先生説明してくれた?」「単位が違うと、式の順番が違うんだって」「? 意味分かる?」「全然分かんない」…と続く話だ。(http://blogs.itmedia.co.jp/magic/2011/12/6886-2d5b.html)

まず、4人を単位に作ったグループで話し合いをさせてから、何人かに尋ねる。ある学生は順番が変わると意味が違ってくるので、この場合は「6×8」でいいのではないかと。また別の学生は、中学校に入ったら、ab=ba と文字式を扱うので順序を強調するのはおかしいと言う。この他、前回終了時に課題に出した脱学校論の英文も扱ったので、時間いっぱいの忙しいことだったが、授業後の学生の感想は次のようだった。

「この授業での、みんなの意見に対して色々な意見があったことに驚いた」「6×8と書いていても、ただ出てきた数字を掛けているだけかもしれないという意識は持っておくべきだと思った」「教育段階によって考え方を変えるのはおかしいという意見も、こんな視点もあったのかと、新しい発見でした」「割り算、引き算を反対にすると答えが変わるように、かけ算も逆ではいけないと」「考えの固まってしまっている教師がいると思えた。学校ではこのように教えなければならないと考えている教師や、学校で習ったことは絶対と考えている児童生徒が日本では少なくないと思う」「このような意見の違いが実際の現場の教育の違いにつながるのだろうなと思いながら聞いていました。”学校・学年の中で指導法を揃えるべきか”と前回議論しましたが、前回やその前の回のテーマも何度も考えさせられる授業だと感じました」

こうした授業の進め方についても、すぐれて経営の問題だと理解してくれること、併せて、答えは一つとは限らないこと、自分の「ストライクゾーン」を広げて、より柔軟な発想と判断のできる基礎を築いてくれることを願っている。
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by walk41 | 2013-04-23 13:56 | 授業のこと | Comments(0)



教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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