学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

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若かりし頃のジジ

ねこフリークのみなさん、こんばんは。

ジジが小さな骨壺に収まりました。ねこはまあ一日中寝ているようなものですから、おとなしくなったと言えなくもありません。みなさんから有り難い言葉もいただいて、きっと落ち着いていることでしょう。

昔の写真を整理していたら、1歳くらいでしょうか、ジジの一枚が出てきました。当時、家人が関わっていたAAA(Animal Assisted Activity 動物介在活動)で、特養老人ホームに出かけ、お年寄りにふれてもらうというプログラムに参加していた頃です。

ジジ、けっこう活躍してたね。すごいやん。社会貢献をちゃんとしたネコの一匹ということで、ご紹介する次第です。

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by walk41 | 2013-08-31 19:13 | ねこのこと | Comments(0)

二つのハードル

「やさしい統計学」(後藤励氏により日経新聞に連載中)はおもしろい。わかりやすく統計の意味やその活用について教えてもらえる。

こうした記事を読むにつけ、学校教育の議論の幼さを感じる。それは大きく分けて二つあるが、その一つは、どれほど論理的・実際的に実証できているのか、怪しい場合が少なくないだろうことだ。最近では、松江市での「はだしのゲン」閲覧制限をめぐる問題について、北海道大学の姉崎氏が「…教育的配慮というが、教育委員会の一部が決める話ではない。教員や保護者が議論し、学校が判断することだ」(毎日、20130827)と話したのが好例だろう。

これは、「教育委員会の一部が決める」ことを否定する一方、「教員や保護者が議論する」そして「学校が判断する」のを良しと述べるが、この論理は、学校図書の閲覧の是非を教育委員会ではなく学校単位で決めるべきかどうかという権限の問題と、「ゲン」の描写が教育的か否かという表現と出版の自由の問題とが絡まっていることを、知ってか知らずか看過している。市民から撤去を求める陳情が出されたことが今回の問題の発端ならば、保護者も参加して撤去や閉架と決めうる道を残すことは、学校の権限を侵食しかねず、問題を解きほぐすことにならない。保護者が閉架や撤去に賛成と言い、学校がその意を尊重した決定をしてもよいのか、と問われれば、同氏はどう応えるのだろうか。

論理的にだけでなく、実際的な実証問題も深刻である。たとえば、ある学校にICTを導入した結果、「学力」が上がったというデータが得られたからと言って、ICTの効果を判じることはできない。なぜなら、学力向上とICT導入との関係を説明できない、つまりICTを導入していない学校では向上していないことを述べていないからである。

幼さのもう一つは、仮にある取り組みがある結果をもたらしたとしても、それを推奨すべきかどうか、つまり方略のあり方を決めるために、もう一段落が必要なことを述べない点である。ICTの導入が学力を上げることが統計的に言えたとしても、そのためのコストを踏まえてなおそうすべきかどうかは即断できない。どれほどの手間暇や費用を投じて、どれほどの効用が確かめられるのか。昨今の学力向上策についても同様だ。授業時間の増加や土曜授業などを行うことによって失うものは何なのか、その喪失を上回る価値があると判じるのか、少なくとも両者の按配が考察されていないことが決定的な問題である。

かくも、①実証できていない、②実際性が考慮されない、点で、学校教育の議論は常に暴走する危険性をはらんでいる。①声の大きい人に影響される、②根性論が幅を利かす、のだ。この内在的リスクを踏まえた議論がまず重要であり、どうすべきかといういわゆる実践の問題は、このずっと先にあると覚悟すべきである。「どうしたらよいのか」という問いは、「どうなっているのか」の問いを経ずに扱われてはならない。この点、学校教育を学ぶ者に対する教育内容として、高い優先順位を与えられるべきだろう。
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by walk41 | 2013-08-31 14:57 | ことばのこと | Comments(0)

まとめる

校内研究に関する講義で学生に問う。(榊原が提案するように進めたら)まとまりますか、と研究主任などに尋ねられるけれど、「まとまる」ってどうなることだろうか、と。

う〜む、まとまるねえ。沈黙が流れる。一つの結論が得られること? それともみんなが「そうだよね」と納得すること? よくわからない。

どうなることがまとまるか、がはっきりしていないのなら、まとまることを求める必要はないし、そもそも、まとめたつもりでも、果たしてまとまっているのか、甚だ心もとない。

なんや、何がまとまっているかは自明とちゃうんかあ。ほんなら、別にまとまらんでもええやん。それに第一、授業の出来事が一つの答えに収まるはずないんやから、そんなん気にせんでええやん。

学校教育の言葉って、いるはずもない幽霊に怖がっているような様なんかな。
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by walk41 | 2013-08-30 17:24 | ことばのこと | Comments(0)

「規範意識の低下」

他大学で集中講義をしている。現職教員がほとんどの大学院生たちとお喋り。

「規範意識の低下」ってどこかで聞く言い方だけれど、どんなことを指して言ってるのかしらん。ケータイ電話のマナー? 20年も遡ればケータイじたいが事実上存在しないから、マナーもないしなあ。電車でジベタリアンすること? これもどうかなあ、昔は話し声が大きくてうるさい人、ゴミをそのまま置いておく人、行商荷物とかで場所を占拠する人も多かったように思うけれど。

いずれにせよ、該当するデータがそもそも存在するのかしらん。〜化というからには、変化でなければならない。以前と比べてどう変わったかが述べられなければならない。

何を指しているのか、どうも思いつきや決めつけで言葉が飛び出しているように感じざるを得ない。エビデンスはどれほど学校教育について見出せるのだろうか。
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by walk41 | 2013-08-30 10:16 | ことばのこと | Comments(2)

ジジのこと

ねこフリークのみなさま、こんばんは。

拙宅の黒猫、ジジが今晩、永眠しました。1週間ほど前にご飯食べんなあ、と異常に気づき、虚弱時の缶詰やスポイドでの水やりなどを続けてきましたが、快復することはついになく、旅立ってしまいました。外傷などは見つからなかったものの、血尿と衰弱が続き、持たなかったようです。

ここしばらく不信なあれこれがあったため、また連れて行ってもしてやれることは限られると考えて、獣医に連れていかず、自宅で家人が看ていましたが、ジジの体力が追いつきませんでした。点滴で多少の延命はできたかもしれませんが。そんな人間の都合にお構いなく、さして負担もかけずに、ジジは逝ってしまいました。飼い主孝行な仔でした。享年10歳です。短かったね、ごめんや。

夜、私の胸の上に乗っては眠るような甘えたの仔でもありましたが、ネコの神様はそろそろ連れていくよと判断したようです。

ジジ、ありがとうね。お疲れ様でした。好きだったパウチの餌、向こうでたくさん食べてや。

みなさんとみなさんのネコたちに、安寧の時間がより多く流れますように。
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by walk41 | 2013-08-29 00:31 | ねこのこと | Comments(5)

問題文が変なのでは?

2013年全国学力テストの結果が報告された。例によって、ランキングに注目させる新聞記事が少なくないが、個々の問題を見ると、これって問題文の表現がおかしいのでは、と思わされるものを見つけることができる。

中学校の数学Aの(4)、「東京から日付変更線までの間にある都市との時差は正の数で、西にある都市との時差は負の数で表すことができます。例えば、東京とウエリントンの時差は正の数を用いて+3時間と表すことができます。東京の時刻を基準にして、東京とカイロの時差を表しなさい。」と世界地図と各都市が示されている問題だ。

正解は−7(反応率65.6%)だが、7と回答している者が13.8%ある。確かに、東京から見て西に位置するカイロは、問題文の前半で、西はマイナスとあるから、ただの7では間違いだろうけれど、「東京とカイロの時差を示しなさい」と尋ねられると、7時間と答えてしまうのは、理解できていないからと解釈して良いのだろうか。

そうではなくて、「東京とカイロの時差は、どのように示すことができますか」と、普段遣いの表現とは違うものを求めていることを明示するような問題文であれば、回答状況も変わってくるように思うのだけれど。

細かな点に注意できることも学力とは言えるだろうけれど、わかっておくべきこと、できるべきこと、の整理がなされた問題になればと思う。昔、アインシュタインが新聞記者に音の早さ(音速)を尋ねられた際、「そんなことは知りません」と答えたと言われているけれど、人の能力を測ることは難しい例と捉えて良いだろう。

楽観に過ぎるだろうか。上の問題で7と答えた生徒の大半はわかっていると判断することは。
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by walk41 | 2013-08-28 12:51 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

人格と切り離せない仕事

8月の研修や講習が終わり、受講者の感想に目を通している。

複数の教員で担当する講習もあり、同僚がどのような授業をしたのかが伺える感想も多く見られるので、とてもためになる。そんな感じでやらはったんかあ、とちょっと発見もある。

その中で、自分が担当した部分に対する感想を見つけようとする。公共事業としての学校教育、多額の税金を遣っていることに対する責任のあり方、などに言及してくれるものもあるが、一番多かったのが、「教職は、人格と切り離すことのできない仕事」と私が指摘したことを、印象深かったと書かれているものだ。

授業では次のように尋ねる。「今朝、電車でここに来られた方も多いと思うのですが、運転士は男性でしたか女性でしたか。あるいは、若い人でしたか年配の人でしたか」と。誰もそのようなことは気にしていないと応じると、「どんな人が運転しているかで、電車の安全や到着時刻などが変わるとは思っていないのですか」と反語的に続けて問うて、教職とおそらくは多くの仕事との違いに気づいてもらうという流れである。

K.マルクスほか先人は、近代社会が進展する中で、労働の分業が高度化し、自分がどんな仕事をしているかが見えない、あるいは人格の投影としての仕事にならないことを、労働からの疎外(Entfremdung)と呼んだ。かくも、分業化と規格化は軌を一にしており、現在のように膨大な種類の職業が誕生するに至っているが、その中にあって教育という労働は、幸か不幸か分業化がまったく困難なのだ。

ましてや日本の場合、教育基本法に謳うように「教育は人格の完成をめざし…」と目的を置いている。つまり、分業とは反対の個業(ある意味で、人間のより本来の労働である)的な性格が強く残る。医療が人間を器官や部位に分けて高度に分化している(厚生労働省「標榜診療科名の現状と経緯について」によると1996年の政令改正の時点で、37の診療科名が記されている)のに対して、教育はまったく分化していない。理科や社会科などと分化を示す「科」も、教育のどの部分を担っているのかを説明することは事実上、できないだろう。

分化しない労働、分業化できない職務、その集積としての学校、こうした前提に立って、どのように学校教育をしていくのか。「どうすべきなのか」という当為の問いの前に、「どのようになっているのか」という存在の問いが繰り返されるべき、と重ねて強調できるかと思う。
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by walk41 | 2013-08-27 10:33 | 身体 | Comments(0)

学ぶことの適時性

仕事でもそうだが、これに加えて学ぶ立場に身を置くと、いっそう気づくことがある。

それは、似たようなことが既に言われていたのだろうけれど、その時はわからず、その後で、「そういうことだったのか」と思わされることがある点だ。

この場合、私はいつ学んだのだろうか。教えられた時にはわからず、何かの拍子で「ああ、なるほど」とわかることについて、一つの授業や一つの単元で「学んだ」と言える事なのだろうか。まったく実感とずれている。

もちろん、被教育側の都合もある。極端な場合には、心ここにあらずなのに「さあ、学びましょう」と言われて果たして応えられるだろうか。仕事ならばまあ仕方がない、いっちょ頑張るか、とはなるだろうけれど、児童・生徒はそんな義理はないし、ましてや思春期など多感な時期、教室にいるから、「秀でた」教員がいるからと、どれほどの意味を持つと言うのだろうか。友人関係や家族の心配事、将来への不安、恋の芽生えと盛りだくさんなことがあるのに、なぜ授業に集中できるはずと前提にできるのか。その恐ろしいばかりの楽観主義は、何に裏打ちされるのだろう。私に言わせれば、呆れるばかりだ。

大人を何十年もやっている立場でも、つまり、学習へのニーズがあり、相当に懸命にその場に臨んでいてもなお、教育側の説明や内実が理解できないことはゴマンとある。「そういうことを話していたのか」と後々気づくことがむしろ当たり前のことですらある。

結論、学ぶとは教えるとは、時間的・空間的に相当な距離のあるところで起こるのが一般的である。したがって「教えたから学ぶ」とか、「学ぶ上で教える側の力量が問われる」など、教えようとする側の願望や夢想に過ぎない。こうした議論も、それぞれの経験というデータをもとに行われてこそ、「科学的」というべきであろう。データ抜きの信念、すなわち、宗教者やひょっとして詐欺師の巧みな話術に欺されてはならない。
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by walk41 | 2013-08-26 21:33 | 身体 | Comments(2)

頭を良くするには運動

脳細胞が増える運動「3つの条件」http://www.excite.co.jp/News/economy_clm/20130824/President_10350.html?_p=1 を読んだ。

フィットネスプログラムと呼ばれる、チームスポーツのような競争を排除し、また空手やヨガなど頭を使う運動が望ましく、さらに運動のあとに座学に向かうように構成されたboks(ボックス)と呼ばれる運動プログラム。

従来は決して増えることがないとされた脳神経細胞(ニューロン)に対する理解が変わり、「ニューロンの数を増やすために最も効果が期待できるのは、運動です。さらにものを覚えたり認知能力を高めるために必要な神経結合を増やしたり、ドーパミンやセロトニン、ノルアドレナリンといった思考や感情にかかわる神経伝達物資の分泌を促す効果も、運動にはあります」と主張するレイティ氏の考案による。

日本でも取り入れられ、宇都宮市の小学校で試みられているという。「遊びの要素を入れつつも、『勝ち負けや競争にしない』『普段使わない筋肉や関節を使う』『スキンシップや会話を促すような構成』といったレイティ氏の考え方をしっかり取り入れています」とインストラクターが話す中、学習効果も確かめられるのだとか。

言われてみればなるほど、と思われるけれど、意外にそうした実践が乏しいのが現実だとすれば、こうした試みこそ、より学校に近い研究と言ってよいだろう。「ある種の運動」と「学業成績」との関係を説明しようというのだから。

もっとも、その根拠は大がかりな調査にあり、たとえば、 カリフォルニア州教育局が2001年に行った調査では、同州の小学5年生約35万人、中学1年生約32万人、中学3年生約28万人が対象になったという。その手間暇とコストは相当のものだろう。これに対して、1つのクラスや学校でやるだけの調査など、どれほどの意味があるだろう、とも言えるだろう。

こんな例に接するとこう思わされる。研究と称するのだから、これまで着目されていない新しいことを見つけてやってみるのが大切なこと(だから、短期間の集中的なデータ収集でもよい)、そしてその結果は時代や地域を越えて、ある程度の普遍性を持ちうるものを基盤に議論が可能なこと(だから、先行研究の渉猟が決定的に重要なこと)を。

これらの正反対をやっているように私には見える、日本の学校での「校内研究」、これは一体何をしているのだろうか。そもそも、何を調査しているのだろう。はたして、いつまでこんなことをやるのだろうか。
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by walk41 | 2013-08-25 10:58 | 身体 | Comments(0)

「身に迫る現実」を扱えない学校

この8月、2回目のゼミを開いた。その夕方、学生と一緒に参加してくれた、小学校教員になった卒ゼミ生と一緒に飲む。

何かの続きで、「道徳」など教育で扱う価値についての話になったとき、彼女がこう言った。「直前に似たような出来事があると、扱うのは難しいですね」と。嘘をついたことでケンカが起こったようなクラスで「正直であること」を取り上げるとか、大切に飼っていた小動物を喪った間もなく「命の大切さ」を考えるといったことかな、と話を接いだのだが、なるほど、これは言えるように思う。

教育の材料になるには、児童生徒の経験や見方を下敷きにしながらも、ある程度の距離を取ることができるものでなければならないのだろう。当事者がいまは直面したくないような内容を扱うのは辛いし、そもそも考えることすらままならない。無理をして取り上げても、きっと詮無いことだろう。

数年前、ある中学校での校内研修にうかがったさい、社会科の教員が「子どもたちの身に迫る、リアルな授業をめざしたい」と発言したことに対して、「そんなこと、できますか」と食って掛かったことを思い出した。リアルなものが良い、それは扱うことができると素朴に思っているようなら、すいぶんとお気楽な授業をする教員なのだなあ、と今でも思う。

さらに、ある教材がある児童生徒にとってどんな風に現れるかは、教員はもちろん当人にとってすら直前までわからないということ。学校内外で起こるあれこれを予想できないことは無論、それらが各々にいかに受け止められるかも、本人ですらわかるはずもない。学習とはこうした土台の上に、新しいものを載せたり、塗り替えたりするものだから、どのような学習になるかは誰にもわからず、ましてや事前のつもりもできない。

にもかかわらず、計画どおりに実施して、しかも教員とは違う主体である生徒が学ぶようにさせる、あるいは、当人の声を聞くことなく、子どもが「学んでいる」などとしたり顔で述べるなど、なんと愚かなことだろうか。
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by walk41 | 2013-08-24 14:31 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)



教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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