学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

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リスク管理はできているだろうか

みずほ銀行にて、暴力団関係者と知りながら融資を続けた問題が取り上げられている。おそらくは、おかしいと気づきながら是正できなかった、組織のリスク管理のあり方を問うものだろう。

ひるがえって義務教育学校、とくに小学校で熱心に行われている校内研究という仕事の仕方、これは外部からの指摘に耐えうるものだろうか。

「指導上の工夫をすれば、発言する子どもが増えるだろう」「活躍する手立てを講じれば、積極的に学ぶだろう」といった同義反復(トートロジー)を繰り返し、積み上げされる知見はなく、だからこそ、過去の取り組みに学ぶこともなく、という奇妙な行事を続けていて、大丈夫だと思っているのだろうか。

参加者20人規模の学校として、90分ほどの会を一度持てば、その人件費は10万円近く。これを年に何回やることだろう。くわえて、授業担当者になったりインフォーマルに関わったりすれば、費やす時間と費用はさらに増大する。これらを合わせれば、一校あたり数百万円の規模に上るはずだ。

それでも、児童や生徒に成果が還元されています、あるいは自分たちの授業がこんなに変わりましたと言えるようなものがあればまだしも、多くは旧態依然というのは、失礼にすぎるだろうか。

それとも、何か変だと思っているのだけれど、自分が言い出しっぺになるのはいやだしなあ、まあこのままでいいのかなあ、という様子ならば、これはリスク管理ができていないと言ってもよいのではないだろうか。

校内研究に関わる情報の開示請求が住民からなされた場合、学校は胸を張って関係情報を提出することができるだろうか。ぜひ聞かせてほしい。
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by walk41 | 2013-09-30 10:05 | 学校教育のあれこれ | Comments(2)

美味しいパンはどこにある

この間、ドイツのことをやや辛口で書いたかもしれませんが、もちろん、素晴らしい面もたくさんあります。その一つがパン(Brot)の美味しさです。

ホテルの朝食に出るパンはたいてい何種類もあり、いろいろと試せます。私が一番好きなのは、ちょっと塩味のきいたBretzel という八の字パンですが、この他にも未だ名前が覚えられないお気に入りパンも複数ありますし、ちょっと酸味のある黒パンも美味しいですよ。

ドイツのパンの美味しさはそれだけによるのではなく、挟むハムやサラミ、そしてチーズやバターの美味しさにも支えられているように思います。忙しかったり軽い夕食でよい時など、これにワインがあればもう文句なしです。

こんなパンを日本でも食べたいと、ドイツのパンと聞いては買いに行きますが、どうもしっくりきません。京都でもドイツで修行したとふれこみの店で求めましたが、??という感想でした。気候の違いもパン作りに影響しているのでしょうか。

数日前の帰国時、友人が別れ際に持たせてくれたBretzel、ビニール袋に入れて持って帰り、家でオーブンで焼き直したら、ほぼ同じような味に戻りました。オブジェにならずに良かった。

ドイツの古い石畳の街並み、静かな暮らし、風景に溶け込んでいる犬たち、そして温かな人々(南部しか知りませんが)も魅力的ですが、パンとその周辺も、皆さんにぜひ味わってほしいな。
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by walk41 | 2013-09-29 19:18 | ドイツのこと | Comments(0)

認識の相対論

「言う者は水に流し 聞く者は石に刻む」 http://mainichi.jp/feature/news/20130921ddm013070007000c.html を読んだ。

この間のドイツでの旅行にて、私としては、その受け止めの印象が一面的に過ぎ、もう少し多面的に見ては、と感じることが往々にあったある人の様子について、帰国後、家人に話をしたら、「外国で楽しかった印象をそのように伝えたかったのでは」と返ってきたことに、ちょっと驚かされた。

確かにそうかも知れない。もう25年以上も前、自分が初めてドイツを訪れた際、あるいはその後じっくりと彼の地に住んだ際、何もかもが珍しくて写真をあちこち撮り回り、訪れた各地の絵はがきを買い回り、過度の一般化をして「ドイツではね…」と語ったものだから。

そうしたことは分かった上で、「旅案内人」を務めてきたつもりだけれど、どうしても明に暗に同行人に辛口になったかと思う。何故もっと積極的に発言しないのだろう、質問をぶつけないのだろう。あるいは、珍しさに負けず、幅広く観察してくれないのだろう、批判的に見てくれないのだろう、と。

こうして考えると、物事を認識する際には、自分のありようが問われると同時に、その様子を批評する自分のものの見方も大きなカギを握っていることに気づける。相手に敬意を表せず、まあそんなものだろうと見る時の自分と、なるほどそうなのですかおもしろいですね。、と見る時の自分では、相手に与える印象も雲泥の違いがあるだろうし、ひいては、ある事象の評価をも左右するだろう。

学校では、授業批評や、授業検討会といった言葉があふれているけれど、自分がどのように捉えるかと同時に、その捉え方をいかに受け止めるかという点が問われる点で、かくも困難かということを踏まえた議論が組み立てられる必要を感じる。話せば分かるとか、伝えれば分かってもらえるという訳ではおよそないのだろう、という点を前提にした上で、どのような議論ができるのだろうかと。
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by walk41 | 2013-09-28 23:46 | 身体 | Comments(0)

国家主義的?

ドイツのある学校にお邪魔したところ、迎えて下さった副校長先生がジャケットに付けていたのがこのバッチでした。

訪問した一同、どこで手に入られたのですか、と尋ねるも、贈られたとかのことでわからず。残念に思っていたら、某所で見つけました。

ドイツと日本の国旗が並ぶとは、ファシズムの再来を予感させるもの? ちなみに、そこにはドイツと他の国々の組み合わせも置いてありましたが。

20年近く前、ドイツの友人がfaxの末尾に日の丸を画いてきたのを、「好きじゃないから」と返した私ですが、今や「日和ってきた」のか、それとも「旗そのものに良いも悪いもない」と思うようになったのか、こうしたものを求めるようになりました(ただし、「君が代」は別ものですよ。あれは国歌としてふさわしいとは思えません。第一、元気がでえへんし)。

時間とともに自身も変わるなあ、そして、発想が変わると行動もまさに変わるなあと、思わされます。

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by walk41 | 2013-09-28 07:27 | Comments(0)

休憩時間

ドイツの学校では、2時間目の授業が終わったあと、9時半ころになるだろうか、20分くらいの長めの休み時間がある。晴れた日なら子どもは教室から出され、部屋は施錠される。昔、盗難防止のためとも聞いたことがあるが。

中庭で子どもが遊ぶのを見回る当番の教員を除いて、多くは教員室に戻り、パンとコーヒーなどでお喋りになる。校長も混じり、二人三人で賑やかに話す様子が見て取れる。気分転換と情報交換という感じだろうか。

実質的には十数分だろうが、効果は大きいように感じる。会議といった改まったものではなく、かといって話をしないわけでもない、という気軽さがいいように思う。コミュニケーションと構えずとも、あるいは構えないからこそ良いのではないかとすら思う。

ある中等学校の教員室には、次のような張り紙がしてあった。「緊急の場合を除き、ノックをしないこと」。教員の休憩時間が大切にされていると言えるだろうか。

もっとも、このことを特別支援学校の校長に話をしたら、「ウチではこの反対だけれど」と返されたけれど。
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by walk41 | 2013-09-27 16:41 | ドイツのこと | Comments(0)

みんなのストレス?

電車に「さわやかマナー」の広告、床に座るジベタリアンを批判するものだが、私にはしっくり来ない。乗降する扉のそばで座られては厄介だが、車両の奥まったところで座っていることの何が問題なのだろう。

この論理は、「本来」 は座るべきでないのにそうしていることに対する不快感、に基づくように思えて仕方ない。そこで、本来、という言葉を外して考えてみればいいのに。

電車で移動する上での機能として問題があるのなら別だが(言い寄ってくる、扉を閉めさせない、花火を上げる、と)、好みに属することとは見なせないのだろうか。そもそも、座る座席の少ないことが問題なのでは? 嫌に思わせるのも迷惑、と返されるだろうが、それを言い出したら、強い香水はイヤ、腹の出たのはイヤ、背の高すぎるのはイヤ、とキリがなくなるやん。

このポスターの作り手も、主張の限界に気づいているのだろう。だって、「なんだかいやだな」って書いてあるし、標語がまたふるっている。「みんなのストレス」って。

ワシはみんなに入ってへんからね。何気に「みんな」が遣われるときは要注意、勢いで押し切ろうとする言葉だから。
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by walk41 | 2013-09-26 07:23 | ことばのこと | Comments(0)

後手後手

やるべきことがわかっているのに、どうして後手後手に回し、結局は直前になって、慌てふためくというように時間とつきあうのかなあ、と思わされる人がいる。

内容にもよるだろうが、たとえば、すでにわかっている2ヶ月前から準備すればおおよそ間に合うようなことを、理由はともかくも、放っておいて、2週間ほど前になって間に合わないと気づき、他者に担当を替わってもらうようなことになる。さらには、替わってもらった日にも間に合わせることができず、結局はすっぽかしてしまう。最悪である。

信用はなくなり、アテにされなくなる。とても残念な循環だと思う。神経経済学には時間割引率という考え方があるそうだ。これを単純化すれば、せっかちな人はこれが高く、我慢強い人はこれが低いので、後者ほど待つことができる、あるいは、長期的視点で考えられる、という仮説を導くことができる。たとえば、夏休みの宿題をぎりぎりまでやらない人は、時間割引率が高いために、今すぐやりたいこと、やれることをやってしまい、気がついたら、何もしないで8月下旬になっているという見方だ。いま食べたいからと過食したり、いま欲しいからと借金したりするのも、この率が高いゆえという主張も成り立つかもしれない。

教育されることに耐える、学習を長期的に考えるというのも、これに当てはまるだろう。勉強したからといってすぐに役に立つことはまずない。むしろ、何のためにやるかわからないことの方が多いだろう。それはそれで問題でもあるが、アテのないことにも耐える力があるか、少しずつ継続してことに臨む力があるか、という形式陶冶の観点からは、大切なことを含んでもいるだろう。ましてや、教育という事象に学問的に臨む学生や研究者においてはなおさらである。自省を込めて思う。予めわかっていることはなるべく早くとりかかること、できるだけ間に合わせること、できなかったときの弁解が可能なくらいには励むこと、と。
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by walk41 | 2013-09-25 18:50 | Comments(0)

水はたくさん飲みたい

ドイツに限らず、ヨーロッパおしなべてと言ってよいのでしょうか、レストランで水が有料なのには困ります。店にも依りますが、750ccの瓶で2〜3ユーロ、300〜400円というあたりでしょうか。ビールを飲んでも、締めというか一度は水を頼みたくなるものの、つい躊躇してしまうのです。

水道管からの水も飲めなくはないという友人たちも、家には買った水を常備していますし、まあ直接には飲まないのだろうなと思わされます。料理やコーヒーなどには使うのでしょうが。硬水とも言われる水は、あまり飲むのに適していないのでしょうか。

黙っていても最初に水が出され、あとから何杯頼んでも無料で水を持ってきてくれる(くわえて、お茶のサービスがあるところも珍しくないですし)のが、大衆的な店の常識と言える日本の良さでしょう。こうして日本では水の摂取量も多いように思うのです。水源の豊かさ、水道技術の高さ、サービス精神の旺盛さ、といった日本の良さを確かめられることも、外国を旅する意義でしょうね。
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by walk41 | 2013-09-24 18:34 | ドイツのこと | Comments(0)

サービス

ドイツで感じる。日本での過剰ともいうべきサービスは、どこから来ているのだろうかと。

電話で呼んだタクシー、激しく擦ったのだろう、右側の金属板がなくなっている。側面が傷だらけなのはいうまでもない。大型タクシーだったが、最後部に乗りこむための前列の座席がなかなか倒れない。助手席に座るとドライバーが一言、「シートベルト壊れてるから」。驚いて尋ねると、「普段、このクルマに乗らないし」。それ説明になってへんねんけど。これで事故ったらどうなるの?

友人から今回、聞いたが、ドイツには「サービス砂漠(Service Wueste)」という言葉があるほどにサービスが乏しく、近年は多少はマシになってきたものの、まだまだとの評だった。昨日も、駅に着いて案内されるプラットフォームに向かうと、なんと工事中で線路でたくさんの人が働いている。でも、そのホームの電光掲示板にも、電車が来るって出てるんやけど。同じ方向に乗りたい若者と駅の事務室をノックしてたずねる。「日本やったら…」は禁じ手なのだろうけど、「すみません」の平身低頭とは無縁の様子で対応された。「もうちょっとしたらスピーカーで知らせるから」とご機嫌斜めのリアクション、その態度はこっちのもんやで。

案の定、電車は別のプラットフォームに入って来たけれど、それを知らされたのは、出発予定の3分ほど前。こっちは住んでへんからええけど、みんなよう黙ってんなあと感心する。別の駅でも、出発予定時間になっても電車が来ず、何のアナウンスもなく、隣のホームから10分後に出るはずの電車に多くの人が乗っている様子が見えた。こっちの電車が先に出ると踏んだのかもしれない。結局、遅れて入線した電車が10分近く遅れて到着、発車、このあとの電車はさらに出発が遅れることに。近年はアナウンスされるようになった挨拶、「快適なご旅行をお祈りします」って流れたけど、初っぱなから違ってるやん。遅れたことの説明はないし。

短い期間しかいないのにこんな様子、生活はさぞ計画しづらいと思う。ひるがえって、「当たり前のことを当たり前にする」なんて同義反復な表現も日本の学校では見られるけれど、当たり前とは言えへんことが、ところ変わればそれこそ当たり前にあるねんで、と言いたい。当たり前に見える日常が続いていることは、まあ奇跡に近いようなことでもあるんやろうなって。
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by walk41 | 2013-09-24 05:20 | ことばのこと | Comments(0)

楽しそうな選挙活動

ドイツは22日が連邦議会選挙の投票日、その前日も市の中心では、各政党がパラソルを立てて、候補者の写真入りのポスターを掲げる。それぞれのテーブルにはリーフレットが置かれ、行きかう人を迎えようとしていた。

外国人の見方に限られるかもしれないが、とにかく楽しげな雰囲気に溢れている。各テーブルにはコーヒーやケーキが置かれ、支持者などに振舞われている。各政党は風船を膨らませ、人々に配っている。政党ごとの色が明確で、黄色、赤、緑など、それぞれの色のTシャツやズボンをはいてアピールする。

子どもに政党名の入ったポロシャツを着せているところもある。別の政党のところで風船をもらってもいる。ピエロに扮した党員あるいは支持者が子どもに歌を歌う。政党間で隣り合っているが、いがみ合うようなことは全く見られない。互いに挨拶もしあっている。不思議でもあるが、まあお祭り状態なのだ。

日本でそうやっていると思うのは難しい。真剣なのはいいけれど、明るさ、楽しさが圧倒的に足りないように思う。パラソルを立てるのは、日本の気候や街並に合わないのだろうか。あの緊張感をそぎ落とした感覚がいいなあ。

選挙カーがさっぱり見えないので、友人にたずねてみた。それは禁止されているのだと。名前だけの連呼をするどこかの国と違って、かくも静かな選挙期間だったと知ったことだった。
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by walk41 | 2013-09-22 16:40 | ドイツのこと | Comments(0)



教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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