学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

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情報バイアスを悪用するな

丹羽宇一郎「日本人はいつからこれほどウソつきになったのか」(日経、20140226)を読んだ。これは酷い。食品表示の偽装、JR北海道の杜撰な検査ほか、どうしてこんな「ウソ」がまかりとおっているのかとお怒りである。

怒るのは勝手だから構わないけど、主張の進め方としては著しくアンフェアである。それは、時間的、空間的な情報バイアスが生じがちなことを、知ってか知らずか利用、つまり悪用しているからだ。

前者、時間的なバイアスは、「昔は良かったのに…」という懐古主義、思い込みの激しさから生まれる。これは既に紹介した同様のタイトル本に明らかなので、そちらに譲る。

もう一つ、後者の空間的なバイアスとは、「海外の友人と話をすると…印象を持たれているようです」というズルい(ごめんなさいね、下品な表現で)言い方に示される。(ここから関西弁)何をええ加減なこというてんの。海外ってどこの? 醜悪なのは、後半、持たれているようです、ってあんた、自分でそう言うてるから、相手さんが、へえ、そうなん、って話とちゃうのん。ずる〜。

言わずもがな、世界は日本と海外で成り立ってるわけではない(集合論的には正しい)。海外が一様な訳ないやん。日本の中ですらもちろんそうである。ちょっと余裕があったら、「おかしいな」と気づくのに、大上段から言われると、「そんなもんなんやな」と読者を思わせてしまいかねない。まったく嫌らしい。

ドイツだけで考えても、16ある州ごとに様子は違うし、同じ州ですら、たとえば都市と田舎は違う。大学関係で言えば、博士論文での剽窃は後を立たず、著名な政治家や現職大臣ですら辞任する騒ぎも起きている。

どこでもありそうなことなのに、①いまの、②日本人、だからそうだ、という論理のかけらも見られない記述。こんな文章に惑わされないように、ちょっと落ち着いてクロスリファレンスしよう(この点では、外国語のできることは大切だ)。情報バイアスに陥れられないように。
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by walk41 | 2014-02-26 18:50 | ことばのこと | Comments(0)

意味より音を重視?

Stuttgarter Zeitung 20140225、「響きが名前を作る?」は面白かった。

日本ではキラキラ名とも言われるような、意味よりも聞こえる感じで、生まれた子どもの名前が付けられる傾向にある。これは、表意文字を中心とする名前なのに表音文字のように漢字を扱うために、良しとしない意見もあるだろう。

ところが、この記事では、ドイツでも同様の傾向が伺われることが記されているのだ。たとえば、男の子なら、以前はHorst, Gerhard、昨今ならAlexander, Maximilian など強さや威厳を示す名前だったが、美的響きder äththetische Klang を重視しているという。女の子の場合はこれが顕著で、「すぐに女の子とわかる印象」ように、弱く響く名前、Maria,Mia などが好まれ、男の子の名前についても男女の区別が付かないような(androgyn)名前、Noah,Luca などを付けられる傾向が見られるという。

けっこう離れたこの地でも、名付けにおいて響きがより意味を持っていること、また男性の中性化あるいは女性化の様子が、日本と同じように見られることを、とても興味深く思う。

ちなみに、ドイツ言語協会による2012年調査では、人気の高い名前の一位から十位までは次の通り。

女の子:Mia, Emma, Hannah/Hanna,Sofia/Sophia,Anna,Lea/Leah, Emilia,Marie,Lena,Leonie,

男の子:Ben,Luca/Luka, Paul,Jonas,Finn/Fynn,Leon,Luis/Louis,Lukas/Lucas,Maximilian,Felix
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by walk41 | 2014-02-26 13:53 | ことばのこと | Comments(0)

名刺の受け渡し

ドイツ話が続いて恐縮だが、切符の検札の仕方と同じような話を一つ。

お話を伺いたいと先方を訪ねる。お礼を伝えるのと合わせてこちらの名刺を渡す。拙ブログを読んでくださっている方は、およそ礼儀や形式を重視しない私であることをご存知だが、それでも名刺を両手で持ち、相手に読めるように(ドイツ人相手なので、ほとんど読める箇所はないのだけれど)は渡す。

これに対して、「いま持っていないので」とインタビューのちに下さった名刺は、ちょうどトランプを配るように私の前に置くものだった。表こそ向いていたけれど、反対だったし…。

結論はいつも似たようなことだ。どうしても「こうあるべきだ」と価値を立ててしまう私たちだが、それが通じない世界に少し触れてみることで、「まあいいかな」とも思える自分に更新していくこと、そうした作法が身についてこそ、「生きる力」と言うべきではないだろうか。
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by walk41 | 2014-02-26 08:41 | 身体 | Comments(0)

相性

ドイツの新聞、Zeit の日曜版20140223,にあった記事、パーソナリティが近いと望ましいパートナーシップを気築くことができると、素人ならずこれまで思われてきたが、5つの次元で設定したパーソナリティ、感情的安定性、対人援助性などのスケールとどのようなパートナー状態であるかをクロスさせると、両者が相関するとは言えないこと、つまり、「似た者同士は仲がいい」とは言えないことが示される、と読んだ。

相性といった言葉を「常識」のものとしておかず、どんなことを指しているのだろうかと疑問を持ち、ある方法で、現実に対する説明力を試してみること、そして新たに言葉を定義すること、このような作業が研究なのだと確認させられる。「机上の空論ではなくて、現実への実践方法を議論すべきだ」といった威勢の良い人もいるだろうけれど、実践という行為を支える価値観とそれらの組み合わせの論理がいずれも確定的でない限り、実践はまったく川面の泡のようなものである。

これらの作業をショートカットして、実践だと逃げ込まず、踏ん張って考えてみる忍耐力が求められる所以だと、改めて思わされた。
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by walk41 | 2014-02-25 14:49 | 身体 | Comments(0)

振る舞いと感情労働

すでにお話ししているように、ドイツには駅の改札がないので、誰でも車内に入ることができる。このため、車中で検札に合うことがしばしばだが、「痒いところに手が届く」ようなサービスに慣れている身には、ここはちがうなあと思わされること間違いない様子である。

切符を拝見と車掌がやってくると、乗客は切符をかざして待つ格好になる。車掌は通路を歩きながら、乗客の差し出す切符を見て、検印を入れていくのだ。私の時もそうだった。かざした切符を車掌は受け取ることなく、そのまま乗客に持たせたまま、ガチャっと検印する。こっちは助手とちゃうで。

日本の車掌をイメージしてみよう。まず車両に入ったら、お休みのところを申し訳ありませんが…、と始まり、一人一人の乗客に対面してお辞儀をして切符を受け取り、検札をしたら、切符を乗客の読める方向に、しかも複数ある時は切符を揃えて返す。もちろん、再度のお辞儀も忘れない。

こうした動作を一日、何百人にもするのだから、そこで要求される感情のマネジメントのための負荷は相当かと思う。同じ検札と括ることもできるけれど、その内実はけっこう違っているというべきだろう。対人サービス労働の分析に際して、地域差を考慮すべきことが示唆される。
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by walk41 | 2014-02-25 07:20 | 身体 | Comments(0)

学校だって「おもてなし」

病院だって「おもてなし」(日経、20140220)を興味深く読んだ。患者にとって病院が気持ち良く、スタッフに親近感を持てることで、安心して積極的に早く治癒しようと思えることは、病院にとっても顧客満足の点で望ましい。だから、とっつきにくい感じを与えかねない制服を変えたり、病院でのQOL、生活の質を向上させる取り組みが進みつつある、というものだ。

この点について、学校教育はまだまだ着眼すらなされていないと感じる。学力向上のために嫌でもやらせる、宿題に臨む時間など数値を目標にさせれば達成感を感じるといった、根性論、精神論が強く、児童生徒がどうすれば意欲を持つのか、いちいち言わなくても進んでやってくれるのか、という研究やそのための議論の整理すらできていないのだから。

このことは次の点からも明らかである。それぞれの子どもにとって、たとえば教員の性別、年齢、容姿や風貌、あるいはオーラといったものは様々なのに、システム的発想に拠って、誰がやってもできる(はずの)授業方法の研究といったテーマを立てる。およそそのようなことは起こり得ないから、研究の「まとめ」といっても字面だけ、あるやり方が自分がやる時にも有効とはまず考えない。こんなことが延々と続いているのである。

「子どものため」と豪語するのであれば、彼らにとって楽しく、ワクワクするような場に学級や学校がなっているかどうか尋ねてみよう。子どもへの効果について議論する「事後検討会」に、当の子どもがおらず、ああだこうだと時間つぶしのようなお喋りをするのを止めて、生徒たちが聴きたくなる、やりたくなるような場を作り出しているのか、またそうでないのなら、自分たち教職員がどう変わることで変えられるのか(子どもを変える、が第一義ではない)という発想をまず持つこと、このチャレンジに臨めるかどうかが「おもてなし」として問われているのである。
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by walk41 | 2014-02-23 08:47 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

免許更新制度の意義

東大阪市の中学校で、社会科を担当する45歳の教員が、実は教員免許を持っておらず、さらには大学も中退、卒業していないことが明らかになった(毎日新聞、20140222)。このことが明らかとなったのが、免許更新手続きだったという。驚かされた。

教員採用試験の際の書類をどこまで教育委員会が確かめられるのか、瑕疵はなかったのかも論点になるだろうが、それとは別に、大学を出ていなくても、教員免許を持っていなくても、それなりに教職は務まるんやなあ、この点で「ニセ教員」っていないなあ、と改めて思わされる。15年も働いていて、業務に大きな支障が出なかったからこそ現職でいられた訳だから、大卒や免許という変数が業務に対して大した説明力を持っていないことを示すのである。

だから、10年に一度の更新講習を受けたから、教員としての能力を担保するなど、まさに絵空事であることも明らかである。4年間の大学教育ですら大きな影響力を与えていないと今回のケースから導かれるのに、30時間ほどの研修がどれほど意味を持ちうると立論するのだろうか。

教員免許更新講習の意義は、こうした「なりすまし」をあぶり出せる点にあると言うべきである。教員がしっかりと電子データに記録され、いつでも、どこでも確認されうるという教職の制度化を促した、と評価されるべきだろう。
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by walk41 | 2014-02-22 09:31 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

サラリーマン川柳

このシーズン恒例となった、第一生命の「サラリーマン川柳」が発表された。今年の人気の句はこれから投票で決まるようだが、過去の作品を今なお見ても、笑わずにはいられないものが少なくない。

「電話口、『何様ですか』と聞く新人」、「『辞めてやる』、会社に『いいね!』と返される」、はなかなかのヒット作だと思うし、「『先を読め!』言った先輩 リストラに」や「『離さない』10年経つと話さない」も、正にサラリーマンの悲哀を表していると思う。

言わずもがな、多少の演出を込めて、いわば自虐的に作られているとは思うけれど、この作品をバネにして、笑い飛ばす元気、大げさには勇気を持ちたいなあ。

春からの新しい年度の研究テーマにするつもりの一つ、「学校における笑い-その背景と実際」という感じて、現職教員を中心に議論してみたい。思う通りに進まず大変なこと、やってられないよと言いたくなることはゴマンとあるけれど、それらを承知で、にもかかわらず、笑ってしまおうというエネルギーがどこから出てくるのか、言い換えれば、どんな場で人は元気になれるのか、あるいはそうした気力が沸かずに、沈滞ムードのまま時が流れるのか、どうして状況に流される、負けるのか、考えてみたい。

私の予想では、自分を笑うという余裕を持ちうるかどうか、これが個人のみならず集合的な人間関係でも当てはまるように思う。だって、笑いのないところではよく言われるでしょう、「必死にやれ」って。必ず死ぬなんて、およそ縁起でもないよね。

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by walk41 | 2014-02-21 22:03 | 笑いのこと | Comments(0)

生き物に接する

拙宅はねこランド、4匹の猫がいることは縷々お話ししている通りで、これまでに一時的に飼っていた仔を含めれば10匹、飼い始めて24年目になりました。犬もハスキーの雑種Maiがいたことをお伝えしている通りですが、この他、人間を含め生き物に接する機会のあることは、殊の外、人に大きな影響を及ぼしているなあと思わされます。

過日もインターネットで、孤独による死亡率は、喫煙や飲酒を上回るとのニュースがありましたが、http://matome.naver.jp/odai/2136551691068218501

とくに人間以外の生き物には、「言ってもわかる訳ではない」(←この点で、「話せばわかる」、「話し合いでコミュニケーションができる」という発想が、いかに限られた現実しか説明できないか、がわかるでしょう)ことが前提なので、身体の動き、とくに視線、耳や尻尾の様子、声の調子といったことをよ~く観察しなければ、接することすらおぼつかないのです。

そして、自分の振るまいが相手に大きな影響を及ぼすことも学べます。こちらが毅然としていれば相手もそれなりに従順になりますが、こわごわ、恐る恐るだったら、向こうも不安に感じて予想外の行動をするといったことです。コミュニケーションって駆け引きやな、オーラの出し合い、感じあいやな、と気づかされるのです。

こうした時間を持てるお陰でしょうか。論理的なトレーニングも重要ですが(←論文の良さは、直接に話ができない相手ともコミュニケーションの取れるという点に一つあります。だから、属人的要素をできるだけ排除して、客観的に記すことが求められるのです)、感性や感覚の面でも少なからず刺激を受け、身体のアンテナの感度も上がるように感じます。簡単に言えば、何かと楽しくなります(私だけかしらん?)。

学校でもネコを飼ってみたらとは、かねてより無責任に主張していることですが、人間以外の生き物にも接する機会を、また人間と接する場合も、言語に偏するばかりではない関わりをと、少なくとも発想することが大切ではないでしょうか。


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by walk41 | 2014-02-20 17:42 | 身体 | Comments(0)

「トップ」にマニュアルはない

人は見られると変わる、を地で行く、自分が撮影されるという経験が終わった。「学校経営の議論の作法」というタイトルになったので、京都府下の教職員の皆さん、もし興味がおありなら一度覗いてみて下さいね。撮影中、普段の授業や研修と大きく雰囲気はちがったものの、撮影チームのヘッドの方が学生よろしくしきりに頷いてくださって、とても助かった。

40分近くの収録が終わったあと、ヘッドの方と少しおしゃべり。「私自身、とても勉強になりました」とフォローくださる。伺っていると、「私たちの業界でも、トップセールスマンになるためのマニュアルはない、と言いますから」と。なるほど、そんなもんですか。

最低限のやり方のようなものは、マニュアルとして提示できるものの、それを超えると属人的というか、その人なりのスタイルに依らざるを得ないようだ。「ホテルのドアマンについても、同じことが言えるそうですよ」。お客の名前と顔とクルマのセットをうん千人分覚えるのに、マニュアルはないとのことだ。

収録中でも強調したけれど、対人サービス労働の中にあって教育労働は非システム的であることを特徴にする。「いつでも、どこでも、だれでも」そのようにはできないと述べるのが、現実をより説明できるのだ。かくも、状況依存や属人依存の傾向が実際に見られるのだから、「こうすれば、いつでも、どこでも、だれでもできる」マニュアルが作れないのは自明だろう。

だから、「その時だから、その場だから、その人だから」の行為と理解しつつ、それらが持つバイアスも踏まえて、まずは個人として状況を俯瞰できるようトレーニングを積むこと、そして教職員ほか当事者が多面的・多角的な視野と発想を促すことが課題になる。たまに異業種の方と話をするって、楽しいわあ。
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by walk41 | 2014-02-19 14:09 | 身体 | Comments(0)



教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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