学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

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ハリボテ

一つ前の拙ブログ記事で、論文ができた旨、お伝えしたが、さっそく読んで下さった方がおられ、興味深く感想を伺った。

学校管理職の方なのだが、「あそこに書かれている通り、合意形成は一応そういうことにしているだけで、実際にはハリボテのようなもの。そんな指摘をするのは先生(榊原)らしいですね」と。

またこうも言われた。「現職の教員が書いていますが、あのような指摘をして大丈夫なんですか」とも。

大学の運営においても、似たようなことはあるけれど、学校という組織の特性を踏まえて、ありうる合意形成や共通理解の議論をすべきなのに、それらができるはず、できないのは職員の意識や力量が低いため、という論理が跋扈していることを、重ねて憂う。

大事なのは、教員それぞれが一家言あるのに、それを出し合うことは少なく、また出したとしても、いわば言いたい放題になるのが、見えにくい学校教育、主観的に捉えられやすい学校教育の宿命であると、(残念ながら)認めること。これを避けてはいつまでも、いたずらな鼓舞や説教に留まるのではないだろうか。

昨今の大学運営を見ていても思う。ある「正論」が幅を利かせると、それに従うことが当然という雰囲気が生まれる。この状況に対して取りうる選択肢は、①考えずに懸命にそれに臨むか、②できるだけ知らんふりをしてサボりを決め込むか、③分析的に捉えて、相手にされなくても異議を唱えるか、だ。

与党的な立場になれば、①を取らざるを得ない、野党的でいいやと割り切れば、②か③になる。知らないモンと言いたくなく、かつ小さな権限への憧れも持てないならば、③を選ぶことになる。そんなん、なんの役にも立たないやん、と非難されることを仕方なしとして、かつ黙ってた訳ではないで、とは言いたい。

社会科学がおよそ与党的ではなく、概ね批判的にあってこそ存立の意義がある、と私が考えるのは、こんな理解に基づくから。

どうだろう、こんな態度は弱々しいに過ぎるだろうか。ご批判を賜ることができれば幸いです。

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by walk41 | 2015-03-31 14:47 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

論文ができました

日頃のあれこれにかまけて、なかなか進められないのですが、以下の論文が発行されます。現職の小学校と中学校の教員お二人と、もう何作目になるでしょうか、共同で取り組んだ論文です。学校の様子を学びながら、こちらの見方も提示できる、貴重な機会として毎回、嬉しく臨んでいます。

(今より)若い頃、50歳を超えたら、あるいは教授になったら、先達はどれくらい論文を書いているだろうかと、ちょっと調べたことがありました。すると、多くの方は数年に一本程度、あるいは雑誌などに掲載される短いものが大半となり、研究活動を続けているとはおよそ言えない様子だったのです。あまりにお寒い状況に、自分は決してこうはならないぞ、と年を数えながら心してきたつもりです。

さて、こうしたプライドにふさわしいものに今回なったかどうかは心許なくもありますが、まずは形にできたことを喜びたいと思います。そして、小さくとも書き続けることが研究者と名乗るならば義務と励みます。編集ほかお世話になった方々、大変ありがとうございました。

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共通理解・合意形成というフィクション―「わかりあえない」からこその学校の危機管理―

榊原禎宏・西村府子・森脇正博

A Fiction, that tells “common understanding” or “consensus building” in the School
-Risk Management, because of not easy to “understand each other”-
Yoshihiro SAKAKIBARA・Motoko NISHIMURA・Masahiro MORIWAKI

抄録:学校教育は多くの物に囲まれる一方,児童・生徒の変容,とくに内面的な変容(学び)を課題とするために,そこでの事実の主観性,相互性,不安定性(瞬時性)を基本的に排除できない。このために,事実をいかに認識するかよりも先に作られる当事者の価値観,規範とその論理が優位して,これらが「何となく」肯定され,主張される言説がもっともらしさを持つという危険性を常にもっている。本報告はこの観点から,合意形成や共通理解が可能であり,それができなければならないという論理を取り上げ,それらがいわば二重帳簿状態,すなわち表向きの主張と実態との乖離を前提に学校が運営されている実際を記述した。合わせて,それらを踏まえた学校の危機管理上の着眼に言及した。

キーワード:コミュニケーション,合意形成,直観,閾値,危機管理
[教育実践研究紀要(京都教育大学附属教育実践センター機構教育支援センター紀要、No.15、2015.3. pp.201-210]
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by walk41 | 2015-03-30 16:41 | 研究のこと | Comments(0)

新年度

3月の最終週、春もいよいよ全面展開という感じだ。

暦ではまだ3月なのに、ニュースから聞こえるのは「新年度のスタート」という言い方。あれ、暦よりも週が優位して語られるようになったのかしら。早め早めの世の動きに呼応しているのかもしれないね。

ときに、週というきまりごとは、ローマ時代やユダヤ教、キリスト教によるとも言われるが、7日ごとに区切る意味は、自然界の動きとなんら関係しない。日が昇り降りるをおよそ365回繰り返すと、同じ季節が再びやってくるとは言えるけれど、それがなぜ12の月や52の週に分けられるのか、必然的な理由はない、にもかかわらず、世界で多くの人々がこの区分に従って生活をしている。とても不思議なことである。

なぜかよくわからないけれど、そうなっている、という例は他にもたくさんあるだろう。そうでなくても構わないのに、それが当たり前に見えるということ、もっと探してみませんか。ちょうど昨日、Man darf nicht verlernen, die Welt mit den Augen eines Kindes zu sehen. 子どもの眼で世界を見ることを忘れてはならない、という一文を見て、改めて大事なことだなあと、独りごちたので。



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by walk41 | 2015-03-30 11:20 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

さくら

京都もいよいよ桜の開花が本番に、あちこちで咲き始めている。

例年のこととは言いながら、また自然の生業とは言いながらも、咲くまでになされた準備を想像すると、改めてすごいなあと思わざるを得ない。

その片や、おそらく自然は努力や、ましてや計画的に開花をなど考えていないだろうに対して、人間の場合は、可塑性が高く、柔軟性に富んでいるからこそ、ハンドルの遊びが大きく、その分、迷ったり混乱したりするのだろうな、と思う。

ブッダはその昔、わかっていないから思い悩み考える、わかっていれば悩むことはない、と仰ったそうだ。となると、わかっている人は、より自然に近づいた状態になっているということかしら。じゃあ開き直って、人間賛歌をするのなら、悩み迷うことも良しとしていいのでは。でもそれでは、進歩や成長はないんだよね。いや、悩んでこそ成長するということだね、現在の言説は。

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by walk41 | 2015-03-29 00:34 | Comments(0)

教科の論理

全科担任制を基本とする小学校と違って、教科によって担当教員が変わる中学校以上では、それぞれの教科の考えが色濃く出る場合がある。

担当授業時数、授業の形態、授業の準備や後片付け、評価の観点や仕方、あるいは生徒との接し方など、教科によってけっこう違うんだなあと思わされることが稀ではない。

学校全体で生徒を教育している、指導しているという一方、その実、各教科の集積に過ぎなかったりするのは、上のような教科の発想と論理が一様ではないことも背景にしているのだろう。くわえて、日本の教員は一つの教科をもって教員免許状が構成されているので、「自分は英語の教師」という考えと行動が強まるのではないだろうか。

この点、ドイツの教員免許状制度は、2教科の内容と方法を学んで初めて、例えば中等教育段階Ⅰの教授資格を得ることができるので、1教科だけを教える教員というのはいない。しかも、教科の組み合わせには制約があり、私の友人は、ドイツ語と生物学と情報教育を担当している。いわゆる文科系と理科系の両方が求められるイメージだ。

この複数教科担当は、授業担当時数の平準化にも影響を与えているのではないか、とは私の推測。いずれにせよ、教科の論理が突出しないように学校管理職は目を配る必要があるし、それを同僚教員もできるように、例えば他教科の授業の見学などがもっと奨励されるべきだろう。

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by walk41 | 2015-03-27 17:02 | ドイツのこと | Comments(0)

まだ論評できない

BarcelonaからDüsseldorf に向かっていたドイツの格安航空会社、Germanwings
の旅客機が、フランスの山中に墜落した事故を大変痛ましく思う。

朝のNHKニュースでもこの事故を取り上げていたが、評論家として登場した元機長の話には、がっかりさせられた。

「急激な高度の低下の理由は?」に「何らかのトラブルがあったものと思われます」(だから事故になってるんですよね)、「これからの捜査は?」には「分析が待たれます」(その通りですね)、といったやりとりに聞こえたのだけれど、私の勘違いかしら。

まだほとんど何もわかっていない状況で、何かを言わなければならない立場も気の毒だけれど、事故や事件が起こったら評論家を呼んでという企画者に、なぜだか応じてしまうのも問題である。

研究者にもこれは通じるだろう。何か新しいことを言わなければならない一方、いたずらなことを言ってはいけない。このバランス感覚のようなものが欠けていると、出番は多いけれど、なぜいるのかよくわからない、自分にも心したいと思う。





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by walk41 | 2015-03-25 07:44 | ドイツのこと | Comments(0)

美しい光景

ねこフリークの皆さま、こんにちは。

夜もかなり遅い時間、小道を歩いていたら、自転車に乗った女性が通りかかり、次の瞬間、少し遠めにいたネコに、グリちゃん(と聞こえたのですが)と声を掛けました。すると、ネコは自転車を追いかけて、少し随伴し、この女性が自転車を止めて降りると、ネコも止まりました。

女性はエサでも用意していたのでしょうか、暗くて見えませんでしたが、女性とネコが何か睦まじい、花冷えのする夜の空気の中で、とても不思議な雰囲気を醸していたのです。どんな経緯があったのか、知る術もありませんが、驚くような時間が二人の間で流れていたことを、たまらなく嬉しく思いました。

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by walk41 | 2015-03-24 23:28 | ねこのこと | Comments(0)

戯書

コミックエッセイ『日本人の知らない日本語2』と『同3』、面白く、またためになる。

万葉仮名が生産された頃、「八十一」を「くく」と呼ぶなど、戯書という文字で遊ぶ人が現れたとか。その名残が「四六時中」(4×6=24 、二十四時間ずっと、から)に残っていると知り、なるほどーと感心した次第だ。

似た音の漢字を当てるという作法、この漫画にも出てくるが、暴走族などが使いたがる「夜露死苦」(よろしく)なども万葉仮名の心を忘れていないともいえるなあ。そういえば、ポケットベル(pocketpager)の時代、889をはやく、4649をよろしく、と打っていたことを。あるいは、語呂合わせの記念日が山のようにあることも思い出した。調べると、1/9(とんちの日、一休さんから)、5/23(恋文の日)、8/19(バイクの日、俳句の日)ときりがない。いっぱいあるもんやなあ。

だから、いつも私の結論はいつも同じだ。「正しい日本語」など幻想に過ぎないということ、あまり正解主義に走らないでハンドルの遊びを大事にすること、もっと戯れて楽しむことが、言葉との付き合いの上で大切だろうと。

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by walk41 | 2015-03-22 13:43 | ことばのこと | Comments(0)

人口減少と投票行動

「選挙離れ、若者だけか シルバー層も投票率低下」(日経、20150321)を読み、数日前のNHK「おはよう日本」で取り上げられたニュースを思い出した。

それは、自宅から投票所までの距離が長くなるほどに、投票率が低下することを明らかにした研究だ。人口が減少、既存の投票所が閉鎖、他と統合される傾向が強まっているという。このことが、とくに高齢者の投票行動を抑制しているのではないか、を裏付けるものと紹介されていた。おもしろい。

言われてみれば確かにそうだなあ、と感じられることを、実証的に明らかにすること、これは研究の大切な役割である。それを通じて、気づかずに行ってしまっていること(「人口が減ったから投票所を減らすことはやむを得ない」という)を反省し、それでよかったのか、他の選択肢はないのかと、「よりよい」社会のあり方を考えるためのデータを提供すること。これは研究というものの大切な意義だ。華やかさには少し欠けるけれど、手堅い研究である。

以前の拙ブログで紹介した。学校統廃合が進められ、バス通学の子どもが増えると、彼らの体力低下が著しいという経験則が存在すると。また、そのために、学校から1キロメートルの所で子どもをバスから降ろし、学校まで歩かせるようにした校長の話を。同様のことは、原発事故などで避難、仮設住宅で暮らす子どもが多い福島県において、体力の低下が顕著という事実とも符合する。

言われてみればそうなのだけれど、なかなか気づかないこと、そうした着眼のできること、ある方法で事実や事実認識を掘り起こすこと、これらのできることが研究者の資質と私は考える。だから、「どこかで聞いたような話」や、ましてや「言われなくてもわかる話」などで、ひとの貴重な時間を奪う人物を研究者と呼んではいけない。彼らは、ただの常識人である。
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by walk41 | 2015-03-21 11:05 | 研究のこと | Comments(0)

笑いの余裕を

通勤時間、電車で立っていると、大した揺れでもなかったと思うが、右に立っていた男性がよろめいた。スマートフォンに気を取られていたか、左の私の前を横切るくらいの揺れである。まして長身の方だったので、グンという感じで動き、私の右足に絡むような格好になった。

姿勢を戻した彼が、すみませんと声を発した時に、私が見せたのは、困ったような顔での無言。その直後に思ったなあ。どうして「朝のいい運動になりましたね」といった冗談で返せなかったのかと。

空きあらば誰かに笑ってもらうことを自分のモットーに掲げているのに、この体たらく。日々まさに修行です。あーあ。

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by walk41 | 2015-03-20 13:08 | 笑いのこと | Comments(0)



教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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