学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

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匂い

普段とちょっと違う地に身を置くと気づくことがある。その一つが、匂いの違いだ。

どんな匂いのもとで自分は過ごしているのか、をふだん意識することはほとんどないように思う。だから、違う所に行くと、匂いの違いを改めて知らされるのだろう。

自分にとって心地よい匂いならばまだしも、そうでない場合はけっこう辛いものだ。生ゴミの腐ったような、いやある種の肉の匂いか、わからない。けれど確かに匂うし、そちらに感覚上の資源を投じてしまって、他の感覚があまり働かなくなる。

数年前のこと、ある指導主事が、生徒は匂いで教員を嗅ぎ分ける、と話してくれたことがあった。今の匂い話とは必ずしも重ならないものの、見えないけれど確かにわかる、という点では通底するのではないだろうか。

学部生に教職入門という感じの授業をしながら、くりかえし思う。見えないけれどわかる、あるいは教えられていないけれどわかる、という人間の学習する能力の高いことを。その不思議さを少しでも解明したく思うと同時に、にもかかわらず、ちょっと油断すると、教えるから、教えることをきっかけに学ぶ、ということを忘れがちになるということを。

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by walk41 | 2015-04-25 00:41 | 身体 | Comments(0)

まとめ

小学校に伺い、校内研修に参加させてもらう。

これまでも繰り返しケンカを売っているように、校内研究、なかでも授業研究は、普遍性や法則の発見というよりも、認識と解釈の幅を広げて、より多様な授業ができるように教員を促し励ますこと、と話したところ、研究主任が「でも、それではまとめにならないような気がしてしまうんです」と話してくれた。

そうなんだな、って重ねて思う。教員にとって「まとめ」は一つの結論であり、一つとが、焦点化された、収束したものだという前提に立っているということを。

だから、このようにお答えした。「同じ学校に勤めていても、教員によってこれだけ注目する事実や論理が幅を持っていることがわかった、と言うのでいいのですよ」と。すぐさま、「今のことをノートとっていいですか」とメモをされていたけれど、うまく伝わったかしら。

研究は蓄積、まとめは焦点化された一点という思い込みが、旧態依然の仕組みを維持しているならば、どうしたらいいのかという方略を尋ねる人に強調したい。物の見方、考え方を変えることで行為を変えましょう、と。改善や解決のヒントは、意外に身近な、しかし難しいところに、きっとあるのだろう。

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by walk41 | 2015-04-23 18:44 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

視線が変わる、世界が変わる

久しぶりに自転車に乗りました。ちょっとした買い物にです。

いつもはクルマで走っている道、これを歩道なのか側道なのか、自転車で回ります。クルマは渋滞していても関係なし、目指す方向さえあっていれば、どっちの道を行ってもいいので、青信号をちょこちょこと渡ります。あれ、自転車は左側通行でしたっけ。いかんなあ、わかっていませんでした。

店に着いても、クルマのように停めるのに時間はかからず、楽ちんです。が、買い物を終えて、前かごに荷物を入れるとすぐにいっぱいに。ああ、買ったものが傾く、とか、まだ暑い季節じゃないからいいけれど、これでは冷凍物は買いにくいなあ、とか思います。当たり前に重いものをクルマでは買って帰っていたけれど、自転車ではままならず、運べる嵩にも限界が大きいですね。

お腹が減っているとときと満腹のときで哲学が変わるとも言われますが、こんな小さな変化でも、世の中の見え方について影響を受けるようです。「世の中はこんなもの」という見方そのものが正しいか否かではなく、そう述べるあなたに世の中が映っているということですね、と確認すること、というのが、人文・社会系の議論において妥当なのかもしれないなあ。
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by walk41 | 2015-04-22 17:28 | 身体 | Comments(0)

時代は変わり

ねこフリークのみなさま、こんにちは。

写真は、日本経済新聞(2015.3.24)の記事、「大学にネコの輪」と題して、キャンパスで学生や地域住民が、ネコを管理、世話をする場が広がっていると紹介。

前にいた大学で、野良猫を獣医さんに連れて行き、避妊、去勢手術をしてまた放すということをしたことがあります。同日、キャンパスで人馴れしたネコをつかまえて、カンパを募るというものでした。ネコ関係ボランティアの協力をいただき、廉価で手術をして下さる獣医さんも見つけました。「ねこ先生」とも呼ばれていたのですよ。出会った仔たちの何匹かは、拙宅の仔になりました。

学校でネコを飼いたいと以前言っていましたが、気持ちは今も変わりません。人間だけで健康的に暮らせるとは、必ずしも思わないから。こんな活動が一層広がってほしいと思います。

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by walk41 | 2015-04-21 15:18 | ねこのこと | Comments(0)

論文不正と「授業研究」

実に遅ればせながら、クローズアップ現代、「論文不正は止められるのか-始まった防止への取り組み」(2015.3.10)を見た。

そこでの指摘、「ストーリーに合った実験結果を求める姿勢の行き過ぎ」を興味深く聴いたが、これって、まったく「仮説どおりの授業研究」の問題と同じではないの。授業研究や類する学校教育研究は、はじめから「行き過ぎ」が横行しているのだ。

他方、不思議なことに、「授業研究」の場合は、仮説が棄却されたり、判断不能だったり、ということが起こらない。だって、仮説そのものが検証できない同義反復であるし、また、かりに検証に耐えるものであったとしても、実証するためのツール、観察、測定の方法があまりに素朴で、「私は見た」「そんな気がした」とほとんど信念の世界だから、仮説が検証されたかどうか、誰も気に留めないから。

かくして、この業界では論文不正そのものが成り立たない、ある意味でおめでたく、「そう思う」という信者の集まりの一方、対外的には実証しているかのような体裁を保とうとしている、二重帳簿状態である。

何度でも言う。関係する方々、こんな体たらく状態なのに、科学的な装いの「授業研究」って言っていて恥ずかしくないですか。研究上の不正が生まれないということは、実証性や再現性がないということ。これを分かった上で、どうすることが授業の「研究」なのか、から、議論するしかないのでは。ぜひ反論を聞かせていただきたい。
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by walk41 | 2015-04-20 22:00 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

まだこんなに桜が

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キャンパスの中、建物の日陰に位置するからでしょうか。こんなにたわわです。

皆さんも、それぞれの春を楽しまれますように。


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by walk41 | 2015-04-18 15:48 | Comments(0)

プロフェッショナル

外で夕食をとった。

支払いの段になって、レジ前に「マイルが貯まります」とあったこともあり、クレジットカードを出した。ところが、何度もカードを読み込もうとするも、うまく行かない。もういいですよ、と言ったのだが、お店のスタッフが交代して、戸棚から用紙を取り出し、手書きでマイル獲得の書類を書いてくれた。マイルは5月末に付きます、と説明も加えて。

わずかなマイル数なのに、示していることはちゃんとやるというプロ根性、立派やなあ。神は細部に宿る、を改めて教えられた次第だ。

この店にまた来るかな。

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by walk41 | 2015-04-17 18:10 | Comments(0)

桜の樹の下で

京都市内はほぼ桜の季節も終わったが、キャンパス内ではわずかながら、残っているところがある。

傍にあるブロックに腰掛けて本をめくってみる。新緑の枝が風に少し揺れながら影を作ってくれる。しばらくページを繰る。花びらがはらはらと落ちてくる。少し風が強いが、もう寒くはなく、心地よい。研究室ではないところで、こんな時間を過ごすなんて、いつ以来だろう、と思う。

ふと思いつく。退職してからもこうして大学に来たら「老後」のいい時間を過ごせるかもしれないなあって。もう少しこうして居たかったのに、近くで新入生の歓迎行事だろう、にぎやかな音が聞こえてきた。これでは落ち着かない、退散するとしよう。

短かったけれど、春を楽しむことができた。ちょっと元気ももらった。

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by walk41 | 2015-04-17 16:40 | Comments(0)

他者を操作するという思惟

学校経営の授業で学生たちに問いかける。「確かに、たくさんの公金を使って運営されているのだから、透明化や説明責任が伴うことはわかるけれど、PDCAを回すって、難しいと思わない?」

「それでも、目標がなくていいのだろうか」とか「いや、美術の授業で、上手い絵が描ければそれでいいのかは疑問だ」と声が上がる。こんなやり取りを聞いていて、当たり前のことに気づかされる。

目標は自分で何とかなることならば、立ててもいいと思う。自分が自身を律すれば、つまりマネジメントすればいいから。けれど、他者をマネジメントしようとするならば、話は違うだろう。なぜって、文字通り、他者は自分と別物、原理的に操作はできないもの。できたら不思議だよね。「好きな人に好きになってもらう方法」が、どこにあるというのだろう。

もちろん、間接的に影響を及ぼす、つまり、暗示したり、やんわりと従わせることはできるかもしれない。けれども、それは目標とするにはあまりにも弱々しい。うまく行ったらラッキー、というほどのことだから、けっこう運任せなシロモノなのだ。

つまるところ、操作できる対象として位置付けられないのだから、児童生徒を教育活動の目標に置くことはできない。せいぜいのところ、そうなればいいね、というほどのものである。

目標管理や見える化を唱導する論者に伺いたい。それは目標を追求する主体が自身である場合についてですよね、決して、児童生徒という、自分とは異なる生活、価値観、行動をとっている人がどうなるか、といった話ではないですよね、と。

児童生徒を操作の対象とすることは、二つの点で間違っているだろう。その一つは、他者をどうこうしようという「上から目線」は傲慢にすぎないかということ、つまり、子どもの人権尊重やいのちを大切にということと衝突しないだろうか。もう一つは、教育コミュニケーションの非対称性から言って、ある程度は彼らを直接、間接に方向づけることはできるだろうが、それは子どもの自主性や主体性といった現下の教育的価値と合致するかということ、だ。

いずれにせよ、答は出ないだろうが議論が広く行われること、大学とはそのために社会的に存在が認められた場だと、自負と責任を感じて日々に臨みたいと思う。






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by walk41 | 2015-04-16 18:58 | 身体 | Comments(0)

まず、タイトルを付けよう

新年度の授業、ゼミも始まった。

最初だったので、ゼミメンバーそれぞれがこの1年間に臨むテーマについて、短く報告。まずは自分自身に、そして他の人に研究活動について、宣言するためである。

これらおしなべて思うに、各々、関心はわかるのだが、どうも焦点がはっきりしない。「こんな感じのこと」までは伝わっても、だから? と尋ねたくなるのだ。

今年は、論文の書き方講座をやらなかったからかなあ。次の発表時にも、私に辛口を言われないように、以下にポイントを示しておくから、参考にしてほしい。

①テーマは問いだから、「何がわからないか」に対して一つの答を与えようとするものである。つまり、何がわかっており、そうでないかを捉えていなければならない。だから、先行研究のレヴューがなされているか。文献リストがどれほど挙げられるか。

②先行研究がどれくらいあるか。それはその問題の社会的意義とも関わっている。探してもあまり先行研究が見つからないようならば、卒論や修論で臨むのはやめよう。もちろん、見つからないのではなく、見つけていないようであれば、もっと努力しよう。

③日本語のタイトルは体言止めが多いけれど、内容としては疑問文で考えよう。その疑問に何を材料に、いかに答えるかが、論文の構成につながるから。そして、できれば英語でもタイトルをつけてみよう。それは英語力を尋ねているのではなく、慣れ親しんでいる言語を用いるがゆえの、曖昧さをより取り除くことができるから。

④合わせて、キーワード(検索語)も挙げてみよう。五つくらいまでの、自分のテーマを述べる上で不可欠と思われる言葉を選んでみよう。

⑤ここまでできたら、調査の対象(フィールド)と方法について考えよう。でも、これはまだ先の話ね。



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by walk41 | 2015-04-15 14:29 | 研究のこと | Comments(0)



教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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