学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

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ああ、びっくり

休日、電車に乗っていた。こちらを見ているかのような、少し離れた座席の女の子二人が目に入ったが、気に留めずにいたら、彼女たちが降り際に声をかけられた。

「附属の…」と言われて、「ああ、何組? じゃあ、○○先生やね」と返事できたけれど、ちょっと焦ったかな。でもいい経験でしたよ。

ひとつ、自分が思っている以上に私の顔を知っている人が多いかもしれないということ、もうひとつ、咄嗟でもちゃんと先生たちの名前を言えてよかったなということ。

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by walk41 | 2015-05-31 12:31 | Comments(0)

国家百年の計

文部科学省は27日、全国の国立大学に対して人文社会科学や教員養成の学部・大学院の規模縮小や統廃合などを要請する通知素案を示した。理系強化に重点を置いた政府の成長戦略に沿った学部・大学院の再編を促し、国立大の機能強化を図るのが狙いで、6月上旬に文科相名で大学側へ通知する。
………………
こんなニュースが流れた。国立大学法人は来年度から第3期中期目標・中期計画に入るが、「実学」に大きく舵を切る方向で方針が各大学に問われることだろう、いやもう問われているのだと思う。

確かに、18歳人口減、私立大学の台頭と、国立大学の役割が再定義されるべきとは言える。けれども、平均寿命がいっそう伸び、生涯学習社会とも言われる中、「儲けられるうちに儲けて、あとは野となれ山となれ」は、あまりに品がないのではないか。

「教育は国家百年の計」とは管子の言葉とのことだが、これを一つ解釈すれば,平均寿命もいまの日本より遙かに短かったはずの時代の百年とは、一人の人生を悠々と越える長さだったはずだ。だとすれば、その計とは、いっときの思潮や流行ではない「わからなさ」を前提にもしていたように思う。

それが、PDCAサイクルを回す、コストパフォーマンス(費用対効果)を高める、ニーズに応える、といった短期的視野にもとづく発想は、とても百年に対応するものとは言えないだろう。学習指導要領だけでも、経験主義と系統主義が入れ替わり、学力調査ではあるときフィンランドがもてはやされ、今や注目されない、さらにはPISAテストそのものへの懐疑も広がっているといった無常を見るに、百年の計を立てるとは、柔軟であることを抜きに語れないように思う。

ときの政治家や官僚はそれでいいかもしれないけれど、最前線の教員や学校も同じようでいいのだろうか。ずっとあとになって、思いだしてもらえる学校生活とはどんな条件を備えているものだろうか。

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by walk41 | 2015-05-30 22:22 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

生徒にとって教員とは

児童生徒理解とか、生徒をよく観察するとは言われるが、この反対、教員は生徒にどのように見られているか、ひいては教員の考える望ましい見られ方に近づくためにはどう見せたらいいか、という議論は管見の限りあまりないように思う。

なぜって、教員は大抵ひとりかせいぜい二人なのに対して、児童生徒は少なくとも数人、多ければ40人もいるのだから、生徒の見る目の方が多いことは明らかで、しかもその見られ方によって授業の進み方や教室の雰囲気が大きく左右されるからだ。ここに注目しないことはあり得ない。

にもかかわらず、教員は生徒にどのように見られているか、それを教員はいかに掴まえることができるか、さらには、「より良い」教員と生徒関係上、教員はどのように見られることが望ましいか、またそうなれるための方略とは、と言った方向で話が進んでいないのではないだろうか・

そんなことを講義で話したら、学生がこんなエピソードを紹介してくれた。

…中学校の頃、クラスの男の子が授業中に教室を出て帰ろうとした。その時に先生が止めようとしたが、「お前、何様なん。親でもないし俺に関係ないんやから、ほっといてくれ」と男の子は出て行ってしまった。先生はそのまま固まってしまっていたのを覚えている。あの時、先生は「生徒にとって教員とは何者なのか」と考えていたのかもしれない。…

重ね重ね、教職って不安定だなあって思わされる。こんなにも相手に委ねられざるを得ない仕事ってあるだろうか。しかも相手のニーズを読み切れない状況のもとで。
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by walk41 | 2015-05-30 15:13 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

教員はわがまま

私はとことん、学校教育に批判的なのだと思う。それだけ、希望を捨ててもいないとも言えるかもしれないけれど。

学校があってこその職務なのに、教員のマイルールが跋扈しがちな背景を授業で話したところ、こんなエピソードが授業後の感想文に記されていた。

高校の時の保健体育の教員が、定期テストの際に、「問題用紙に漢字の間違いがあるから、訂正して」と言った一方、テスト時間が終わり近くになって、「漢字の間違いは減点になるからな」と生徒に言い放ったという。この学生の君は、以来、教員はわがままなものだと学んだとか。

世の学校教員の皆さん、なかなか指摘されない立場だからこそ気づきにくいともいえる、自分の職務特性を踏まえた働き方、学び方をしているだろうか。えっ、そんなヒマはないって? それがまさに問題だと私は思うのだけれど。
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by walk41 | 2015-05-27 22:01 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

させていただく

委員をさせていただく、お世話させていただく、と「させていただく」は大流行りだが、これはないだろう。

通報とは、相手を危険因子と観るからこそ、なのに、そんな相手に謙譲的な言葉を向けるなど、著しいチグハグである。

ここまで、させていただく、のならば、通報などと言わずに、歓迎、歓待してはいかがだろうか。

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by walk41 | 2015-05-23 14:29 | ことばのこと | Comments(0)

イルカとガチョウ

ガチョウやカモに強制的に餌を飲み込ませ、肝臓を肥大させてできるフォアグラの生育と売買の禁止を求める提案が、欧州議会で否決されたと報じられた。

提案に反対したフランスの議員は、フォアグラはフランス料理の伝統だと語ったとか。

さもありなん。自分たちの非人道的な動物の扱いについては、文化と主張し、他国のイルカ漁やクジラ捕鯨は、非人道的で残酷だと非難する。クジラやイルカは知能が高いから、人間に準じる扱いをすべきだというようだが、人間の知能すら測定が難しいのに、他の動物の知能をいかに捕まえ、さらにはランキングできるというのだろうか。

ランキングができていない状況で、これは良い、これはいけないと判断することは許されるのだろうか。では、何位までは非人道的ではダメなの? そもそも、こうしたランキングという発想そのものが、どのように正義なのだろうか、いったい。

こうした支離滅裂なことを主張していても、矛盾を感じないのが人間というものだろうか。

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by walk41 | 2015-05-21 14:46 | Comments(0)

非人道性

和歌山県太地町でのイルカ漁に批判があると聞く。

いまは動物園に購入してもらっているイルカを捕獲する際に用いられる、追い込み漁という方法が残酷だというのだそう。

アメリカのケネディ駐日大使のTwitter が紹介されていたので、確かめてみた。確かに「米国政府はイルカの追い込み漁に反対します。イルカが殺される追い込み漁の非人道性について深く懸念しています。」(20140118)とある。

英語で何と言ったのかわからないけれど、動物に対して人道的であるべきとは、どういうことだろうか。

人道的うんぬんと言う時点で、人間と動物を線引きしているのでは? それとも、イルカを人間として位置づけるべきという主張をされるのか。牛や豚、馬や羊といった動物への扱いは、どれほど人道的なのだろう。

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by walk41 | 2015-05-20 18:05 | Comments(0)

Beast or monster

沖縄戦、その中でも最後の激戦地と言われる摩文仁の丘で奇跡的に生き残った方の体験を聴かせてもらう。

いまや80歳をすでに越えるこの男性は、一時間少し、終わりの時間を気にしてくださいながら、ずっと立ったまま、まったくエネルギッシュに話を続けて下さった。光景が眼に浮かぶような描写豊かな語りとそのありさまに、圧倒された時間だった。

その話の中で、当時のアメリカ軍による、女性、子ども、老人に対する無差別攻撃について、次の旨を仰ったことがとても心に残った。

…日本語で、人間を人間と思わない、という言い方がある、当時の日本は、鬼畜米英とアメリカ人やイギリス人について教えており、捕虜になったら惨殺されるから自決しろと恐ろしい教育が行われていたが、対するアメリカでも、真珠湾攻撃の日以降、"Jap hunt license" が発行され、有効期限は無期限、絶滅するまで日本人を猟ることができると、兵士が煽られた。日本人は、野獣か怪物だと教えられていたのだ。これが戦争というものであり、戦闘行為を止めた人間に対する人道的扱いを定める国際法など、現実には夢想に過ぎない。…

戦勝国も敗戦国のいずれも、相手を人間と見ないようにさせてしまうもの、それが戦争ならば、どのような理由をつけようともこれを起こさせないように最大限の努力を払うこと、が続く世代の責務だろう。

でも、好戦的な相手が現れたら? いま私の持ちうる答えは、以前のブログでも引いた、「相手に一発の弾も撃たせず、相手に向けて一発の弾も撃たず」旨を語った自衛隊の元幹部の言葉かなと思う。

撃とうという気持ちに相手を仕向けないこと、撃ちたい、撃つべきという自分の欲に打ち勝つこと、そのためには、前向きな交渉のチャンネルを開き、維持し、相手を理解しようとする態度と能力を培うこと、それに叶った生活を心がけること…。

書くほどに、今の自分がこれに適っていないことを思い知らされるが、にもかかわらず、つまり大言壮語と誹りを受けても、「有限不実行」と開き直りつつ恥じること。こうして日々に臨むことによってこそ、平和を語ることができるのではないかと思わされている。ここをまたも訪れることができて良かった。



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by walk41 | 2015-05-19 22:20 | 身体 | Comments(0)

おもしろい

電車の座席は進行方向に向かっているべき、という常識を変えた車両を初体験。

なかなか快適で、何より楽しい。こんな経験ができてラッキーです。白浜行きの特急くろしおにて。

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by walk41 | 2015-05-17 11:35 | 身体 | Comments(0)

当たり前

学校教員の口癖の一つ、とは言い過ぎだろうか。

「当たり前のことを当たり前にする」という,生徒指導がらみか教育的信条かわからないが、これを自信ありげに語る教員が少なくないように思うのだ(的外れだろうか?)。

こうした言葉を発する教員がいるとして、その問題は二つ挙げられる。
その一、これだけ多様化、複雑化している世の中にあって、衆目の一致するような「当たり前」があることに疑いをもっていない自分であることをカミングアウトしている。つまり、自分は不勉強であると公言しているという幼さがある。

その二、文字通り同義反復(tautology)の表現なのに、何か聴くべきことを言っているかのように思っている自分であることを赤裸々にしている。「富士山は富士山だ」と言って恥じないなんて、あなた大丈夫ですかと声を掛けられるよ。

いずれも、「教員の学力問題」と言うべき問題である。児童生徒の学力向上以前の問題かもしれない。

どんな業界も手垢のついた言葉、業界用語はあるだろうけれど、馴染んでいるからこそ振り返り、精査したいな。大学も同じだけれどね。
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by walk41 | 2015-05-16 20:44 | 身体 | Comments(0)



教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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