学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

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嬉しかったこと

先週に引き続き、大学にて集中講義、90分を4コマ分、担当した。

講義が終わり、片づけをして部屋を出たら、先ほどの受講生ふたりとすれ違う、立ち止まってこう言ってくれた。

「今も話をしていたんですが、大学時代のすべての授業を含めても、一番ぐっと入ってくる授業でした。良かったです。ありがとうございました」。

嬉しいなあ、そんな風に思ってもらえて。心地よい疲れが身を浸す。幸せな一日でした。
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by walk41 | 2015-06-28 16:53 | 授業のこと | Comments(2)

これは厳しい

学部生への授業、学生たちにこう尋ねた。

「知らない人が知っているかもしれない人に尋ねた結果、答えてもらったら、尋ねた人の言葉は、ありがとう、だけれど、知っている教員が児童や生徒に尋ねた結果、発するのは、それでいいです、とか、正解、とかだよね。これって、とても変なコミュニケーションって思わない?」

この授業のあとの感想の一つは、次のようだった。
…小学校の頃、特に理科の授業で先生が「本当は答えがわかっているが、生徒に議論させたいがために、わからないふりをして発問する」というのが大嫌いでした。先生の頭は「生徒に議論させたい。答えに辿り着く過程を生徒間で共有したい」ということだけだ。生徒に議論させている自分の授業に酔っているようにしか見えなかったからです。こちらは懸命に考えているのに、教室の後ろの方で、これをニヤニヤと眺め、結局は間違った答えを出している子の考えを強く否定することができないために、結論がうやむやで時間を無駄にした気しかしませんでした。もっと良いプロセスがあると思います。生徒は教員のエゴを消費するものではないと思うのですが…

教員のみなさん、いかがだろう。霞ヶ関から「役に立たない」と言われている人文系の立場からは、「答えがない」と思って授業に臨む気軽さがあるけれど、学校なかでも義務教育段階ではそうはいかない、のだろうか。
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by walk41 | 2015-06-27 15:58 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

悲しいとき~

研修で多くの教頭先生たちと出会う。どなたもおしなべて早朝から深夜まで激務のようだ。

そんな中、いつもは過去の作品を紹介するだけにとどまっている「悲しいとき~」(いつもここから)を、自分たちについて作ってもらった。その一部を以下にご紹介しよう。

悲しいとき~、

○帰ろうと思ってPCを見たら、受付文書が二桁になっていたとき
○夜10時頃に家に帰ったら、玄関先で「きょうは早かったね」と言われたとき
○研修が終わって学校に電話、「直帰します」と言ったら、「学校に戻ってきなさい」と返ってきたとき
○土曜、日曜と家にいたら、娘に「お父さん、どうして家にいるの」と尋ねられたとき
○激務で食事も不規則に、痩せたかなと思って体重計に乗ったら、増えていたとき
○警備システムのセットをして帰ろうとしたら、三階のトイレの電灯がついているのに気づいたとき

教頭先生、お疲れさまです。言っても仕方ないでしょうが、ぜひ早い目にお帰りくださいね。

それにしても、恒常的な長時間勤務、これは何に由来するのか、どうして軽減されずむしろ増加傾向にあるのか。官僚主義ゆえの弊害? 無理難題を言う保護者あるいは同僚間の人間関係の問題? 改善するには人を増やせばいいの? 謎は一向に解けない。
         
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by walk41 | 2015-06-27 14:47 | 笑いのこと | Comments(0)

修活

就職活動を略して就活、結婚活動(?)を略して婚活、さらには人生の締め括りに向けての終活、あれこれの活動に世は忙しいが、人生総括を終活ではなく、修活と捉えるべきとする考えに、私は手を挙げる。

高校の教員として、50代は校長として過ごされた。時代の背景もあったのだろう、教職員と激しく衝突したような話を伺ったこともある。しかし、闘士というよりも、どちらかと言えば物静かな印象を持っておられた。多面的なものの見方ができる方だなあと、研究会でお会いできることがとても楽しみだった。

その方が逝去されたと人伝に知った。びっくりした、信じられないという思いと言われてみればご健康に問題をお持ちだったのかもと思わなくもない、当時は思いもしなかったけれど。

亡くなるほんの少し前に学会をお辞めになったとのこと、そろそろ引き際かと思うのでとの旨が記されていたと聞く。時期をご存知だったのかもしれない、しかしご自身のことを誰にも語らず、ひっそりと退場された。見事までの振る舞いに脱帽する。最後まで自身を修めようとなさっていたのだろうなと想像する。

ご縁を得たことをありがとうございました。大切な時間をご一緒できて幸いでした。



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by walk41 | 2015-06-24 21:49 | ことばのこと | Comments(0)

授業者冥利

こういう授業ができるのが優れた教員だ、とか、教員としてのコンピテンシー(業務遂行能力)はこのようなものだ、といった、教員の職能についてのスタンダード論、それらに辿り着くべき目標指標やその評価指標と行ったお喋りもある。けれど、大学でも授業を担当して思うのは、上のような論が想定しているような静態的なものではなく、もっとライブだし、出たとこ勝負だし、相手方(学生や受講者)によって授業者が励まされたり、打ちのめされたりするものだと。

世は日曜日だが、大学でほぼ一日、研修を担当した。私だけかもしれないが、大学教員は今日が何曜日かわからなくなることがある。それだけ平日がのんびりしているともいえるけれど(^^;)。

さて、受講者は丁寧だし、おおよそ熱心に見えた。勢い、いつも以上に頑張ろうと思わされる。打てば響くという感じだろうか。会場が肯定的な雰囲気であれば、授業者も自分で驚くほどに脳のシナプスが繋がる感じがするし、実際に読んだ本の話、聞いたエピソードなどがつらつらと出てくる。こんな話をしようと予め用意しているものではない。

授業後の感想文を読む。なかでも嬉しかったのは次のようなものだ。「とても興味深くきけたのは、ひきつけて講義をしてくださった先生のおかげで、むつかしいお話だったが、来週も興味を持って勉強したいと思った」、「先生のノンストップのお話で、睡魔におそわれることも全くありませんでした」、「…など色々と考えてしまった今日である。また来週、先生のお話を楽しみに。ありがとうございました」、「経営論の勉強は難しいイメージがあったが、身近にある所からの話が多かったので、興味を持って楽しく授業が受けられました。次回も楽しみです」

「この授業を受けられることが嬉しいです。この大学の先生方は、おもしろいというと失礼でしょうか、知識が豊富なので、もっと聞きたいという気持ちになり、楽しい時間です。この科目に関することだけでなく、話し方、話し言葉も勉強になります。身につけたいことがわかります。ありがとうございました。来週もよろしくお願いします!」

自分の授業が好評だろうと自慢したいわけではなく(自慢したいのかしら(^^;))、年齢や立場にもよるだろうが、授業のおもしろさは、すぐれて個人的な関心、着眼、受容に依拠しており、「いつでも、どこでも、だれでも」そうなる訳ではない、というある意味で当たり前のことに、改めて気づかされるということである。日本の初等学校・中等学校に勤務する教員は、おおよそ110万人、その数だけ生育歴、経験、主義主張とそれらの変態(metamorphosis)を経ながら日々、学校に臨んでいる。

そんな偶然としか言いようのないような関係を、予めつもりしたり、幼い方法で測定したかのような勘違いの上に「望ましい教員」を議論することの無理さを基本的に確認し、その上で、公共事業であるがゆえの要請にいかに応えるか、という翻訳が必要である。つまり、誤解を恐れず言えば、真っ当に受け止めず、学校教育の世界の翻訳という過程を経て、「だいたいこんな感じ」という打ち出しをすることである。これこそ、現実的であり、また保護者や児童生徒にとっても心地良いことだろう。

世は何かと忙しいが、もっと長期的な時間を想定して物事を考えること、この点で政治家、そして彼らよりも在職の短い官僚のいうことをまともに聞くのは決して賢明ではない。人生80年を越える昨今、子どもを育てる、彼らが育つことを、以前よりいっそう長い視野で捉えることが、より高い能力を担保した教員というべきであろう。
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by walk41 | 2015-06-21 21:30 | 授業のこと | Comments(2)

リスペクト

忙しさにかまけてサボりがちだったが、真面目に学会に出てみた。

シンポジウム、テーマはさておき、登壇者の報告が一巡し、司会が聴衆に質疑、議論に入る。一番手の声が上がり話し出したが、どうも穏やかな口調ではない、登壇者を叱責するような発言も聞こえる。

司会が、ではどうですかとパネラーに向けた次の瞬間、ある登壇者が「僕は答えません。あなたの発言は相手に対するリスペクトがない。コミュニケーションが成立していない」と言ったのを聞いて、とても感心させられたのだ。

確かに、相手との間にコミュニケーション環境が成り立っていないのならば、つまり、やり取りする基盤を欠いているのならば、相手にする必要はない。出会った相手に対する尊敬、少なくとも丁寧さを伴なってこそ、楽しく、意味ある時間を共に過ごすことができるだろうということは、言われてみればもっともだが、勢い、嫌でも答えなければならない、さらには答えるように仕向けられているという事態は、ある意地で日常的だろう。

これも「尋ねられたら答えなければならない」とルーチン化されている身体ゆえの不幸である。教員にもいるではないか、「訊かれたら答えるのがマナーだ」と暴力的な振る舞いをして平気な輩が。冗談ではない、誰とコミュニケーションするかは、それぞれの主体の問題である。でも、そんなことに生徒も教員も気づかないんだろうね。

とまれ、「コミュニケーションしようとする相手にリスペクトがない」と仰ったパネラーの方、お見事でした。発表そのものは傍に置いて。

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by walk41 | 2015-06-20 19:42 | 身体 | Comments(0)

黄色の傘

晴れ間が広がる時があっても、やはり季節は梅雨。ちょっと油断すると、出先で雨にあい毎回のように傘を買うことになる。

今回、コンビニで見つけたのは、黄色の枝で、傘にひよこと熊の図柄が施された「かわいい」ものだ。一瞬、躊躇したがいいやと買ってみた。小さな社会実験をするためでもある。

いい歳をした男がこんな傘を持っている。本人が涼しい顔をしているのを、他者はどう見るだろうかという実験だ。たとえば、そういう趣味の人? ちょっと「変わった」人? 「変わった」人と思われるのを気にしないくらいの「変な」人? あるいは、他の傘がなくて渋々持たされている?

たとえ、本人が何ら意図していなくても、何らかのメッセージを回りに発する、いや、回りが勝手に何らかのメッセージを引き出す、そんな非言語コミュニケーションが行われる可能性がある。

学校に目を向けてみよう。画一的な制服を生徒に強要する教員が、休日でも着られるポロシャツを着ている。このことが問題にならずに学校生活が行われている。これは、生徒は制服でなければダメだけれど、教員は自由だよ。だってそういう力関係なのだから、というメッセージを毎日のように発していることになる。非言語コミュニケーションを通じた関係の確認とその正統化が図られる。たとえこのことについて、何ら言語的な説明がなくとも。

そして、この不自然さを感じられなくなった教員には「見慣れた風景」となり、不自然ではないかと指摘を受けても、すぐには理解できないだろう。何が問題なんだろうと。

だから、日常性バイアスを揺るがし、そうじゃないのかもという視角を持つためには、敢えて普段と違う発想と行為を通じて自分に気づきを与えること、これも広義の職能開発と捉えるべきである。

かくも、自由であることは難しい。「みんなが自由にしたら、社会が成り立たない」などとあまりにナイーブなことを日頃口にしている教員こそ、自由になるべ励んでほしいのだけれどね。



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by walk41 | 2015-06-20 14:00 | 身体 | Comments(2)

賠償

NHK、戦後70年ニッポンの肖像、を見ている。

1951年サンフランシスコ講和条約を締結する際、アメリカは日本を「反共の砦」にすべく、多くの国に賠償を放棄するように求めたとされる。賠償による日本への負担を軽減し、もって日本の経済成長を促すことで、共産化が進みつつあったアジア諸国に対する影響力を高めようとしたのだそう。

その中でも、インドネシアやフィリピンは賠償を求めたが、これに対して吉田茂の後を継いだ岸信介は、賠償を現物支給、とくに道路や港湾といったインフラ整備によって行うことで賠償を履行するとともに、日本企業がこれらの活動を担うことで、日本の経済復興を加速させようとしたという。

こんなことを学び、自分の思い込みにまた一つ気づかされる。賠償は負担になる、としか思っていなかったということを。

次元は大きく違いがあるけれど、このことは気づいていたよ。小まめに動くことは面倒ではなく、自分の体力を維持、高めることに資すると。そういえば、良薬は口に苦し、とも言うね。

わかっているつもりでも、わかっていないことは沢山。いっそう感じ、気づき、振り返りながら、大いに学びたいと思う。

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by walk41 | 2015-06-19 22:43 | ことばのこと | Comments(0)

教育主義の頭の中

学校教育を対象に、仮説-検証型の研究がなぜできないか、少なくともなぜ相当に難しいか、について改めて考えている。

「キャリア教育の視点に立った教育活動や体験的活動(職場体験学習等)を系統的・継続的に行えば,失敗を恐れずに自分の夢に向かってチャレンジする生徒を育成することができる。」と仮説を記した、熊本県の中学校教諭のレポートをたまたま見つけた(http://www.kumamoto-kmm.ed.jp/kyouikuronbun/pdf/18nen/18kamikokuryou.pdf)。この方に何ら思いはないのだが、遣わせてもらおう。

①このレポートでは、かくかくしかじかの実践後、生徒や保護者、職場体験先の企業などに「効果」のほどを尋ねて、教員が望む回答が得られたことをもって、検証されたと述べる。<「自分で希望する夢や目標に向かって努力していこうと思いますか?」という質問に対して「よく当てはまる」「だいたい当てはまる」と答えた生徒が8割を超えている。>から、だそうだ。

でもこれって変。だって、こうした実践がなかった場合との比較をしていないもの。

開発中の新薬を患者に飲んでもらった。すると、患者の多くが効果があると回答した、という話を聞いたとき、「新薬ではなく、偽薬を飲んだ人の回答はどうだったのか」と疑問が湧く。だから、たとえば、「金銭教育の視点に立った」活動(どんなものか知らないけれど)とか、「生涯学習の視点に立った」活動をしたら、という場合とではアンケートの結果が違うことを示さなければならない。何をやっても似たような結果が得られるかもしれないからだ。

しかも、アンケートでは、「~と思いますか」である。本人の主観についてである。「…チャレンジする生徒を育成する」ことになったかどうかまでは、わからない。「そのつもりだけれど、どうなるかなあ」である、重ねて、「チャレンジしたい」までであって、「チャレンジする」とは言い切れない。大人でも言うではないか、予定は未定って。

②「キャリア教育の視点に立った」活動をしていることは、レポートを書いている本人が重々知っている(というか、活動の主体そのものである)状況で、効果があったかどうかを尋ねるのは、回答に影響を及ぼすかもしれない。そもそも、職場体験をした生徒にとって、「何の意味もなかったわ」と思うことは、せっかくの時間と労力を費やした自分や職場、あるいは学校に対して申し訳ない、残念なことになる。「まあ、こんなことを経験したんやから、それなりにチャレンジしようと思うわな」と考えてみてはどうだろうか。つまるところ、当事者の経験を合理化する可能性を考えていない点で、幼いレポートである。

③上の二つの点をどのように踏まえてこのレポートが記されたのかわからないが、レポートを読む限り、きっといずれも視野に入っていない、すなわち、「~すれば、~になるだろう」と考える、当事者の「そうあってほしい」お願いオーラが発されることや、生徒も自分を得心させる余地について考えない、教育すれば対象が変化するという教育主義に陥っている。被教育者が学習者でもあること、教育という文脈だけで回答や行動が見られる訳ではないことに気づいていない。こんな言い方、ごめんなさいね、気の毒である。

「子どものことを思って」懸命にやるのは良いことだという動機を疑うことのない、素朴な発想、これを「教員の学力問題」だという私は、失礼だとはたして石を投げつけられるだろうか。マジメに拙い事態だと思うのだけれど。だから、こんな教育実践「研究」など、捨ててしまおうと。
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by walk41 | 2015-06-18 22:45 | ことばのこと | Comments(0)

謝金

講演依頼の連絡を受けた。とはいえ、来年の話だから、すぐに準備しなくても大丈夫だけれど。

電話口の向こうで、控えめに言われる。「あの、講演料はいくらくらいにさせてもらったら…。」伺うと、このくらいの幅で考えているとのこと。一番低い額でも、教育委員会の仕事のそれを大きく上回るほどだ、大型予算かしら。

「お任せします」と言葉を返すと、「ではこの額でお願いします」と。それで決まり。あとでちょっと思ったなあ、これくらいで…と言っても良かったかしら、って。いやいや、前に私の話を聞いた方が、大会の講師にと推薦されたとのこと、それが一番嬉しいことなのだから、謝金の多寡はどちらでもいいの。ご縁を得られたことが喜ばしいこと。

それにしても、何を根拠に決まるのか、研修や講演の謝金。口八丁だけの怪しげな仕事だから、いっそう丁寧に臨まなければね。

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by walk41 | 2015-06-17 06:43 | Comments(0)



教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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