学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

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道徳というものの怪しさ

沖縄県の恩納村博物館の展示から。

モーアシビ(毛遊び)

かつて沖縄の農村には、仕事を済ませた若い男女が野原に出て、遊ぶ習慣があり、これをモーアシビといいました。モーとは、野原のことで、若者たちば集落のはずれの野原で落ち合い、歌や踊りに興じました。しかし、明治以降不道徳な習慣であるとみなされ、教育者やシマの指導者によって、禁止され、すたれていきました。
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男女の仲について、どうあることが道徳的なんだろうね。A.ビアス『悪魔の事典』(1911)に次の項目がある。「道徳的(moral)…形容詞:地域的で、移ろいやすい善の基準に準拠する。広くご都合主義的性質をもった。」(http://www1.bbiq.jp/kareha/trans/html/devils_dictionary,_the.html より拝借)

教科化される道徳は「考える道徳」と言われる一方、現政権の主張を踏まえた教科書検定がなされたとも報じられている。はたして、ご都合主義のそしりを免れることができるだろうか。
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by walk41 | 2017-03-30 21:59 | Comments(0)

体組成計の謎

久しぶりにトレーニングセンターに行き、汗を流した。

その終わりに、置かれていた体組成計に乗ったのだが、体年齢のことがとても不思議だ。実年齢よりは数歳、若く出たのだけれど、これは実年齢の入力を偽った場合でもこうなるのかしら、という疑問だ。メーカーも目安に過ぎないと言っているから、気にしなくてもいいのだろうけれど。

みなさんの経験ではいかがだろうか。たとえば、私が80歳あるいは20歳を実年齢として入力した場合、体年齢はいくつと出るのだろう。ちなみに、このメーカーのホームページを見ると、私の基礎代謝量は実年齢での値より高めで、18-29歳の枠に当てはまるよ。えへん。あるいは、まあいい加減な計測ということだろうか。ううむ。
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by walk41 | 2017-03-30 20:55 | 身体 | Comments(0)

海学校・山学校

沖縄県恩納村の博物館を訪れる。昔のこの地の暮らしが伝わる展示になっており、勉強になる。失礼ながら、村立の施設にしては頑張っているなあと感じた。

この中に、海学校、山学校という言葉のあったことを知り、とても興味ふかく説明を読んだ。曰く、学校に向かうも、途中の海や山で時間を過ごして、結局学校には行かずじまいで終わることがあったこと、子どもたちは学校はつまらないところとわかっており、学校的な勉学はしなかったけれど、生活上の知識はしっかり身につけていたと、1915年生まれの人の回想が紹介されている。そして、海や山で過ごしたことを、子どものたちの間で海学校、山学校と呼んでいたということも。

面白いなあ。学校が日々の労働とはかけ離れた知識や技術を扱っていたこと、それを子どもは経験的にわかっていて、海学校、山学校としてやり過ごしていたことがわかる。そして、学校も来ない子どもの家に連絡するすべもなかっただろうから、おそらく、学校の方もなあなあで済ませていただろう。海や山で遊んだ子どもは家に帰って「行ってきました」と親に報告したのだそうだから。

現在、学校の位置づけはずいぶんと変わってしまったけれど、人工物としての学校という視点の大切さを持ち続けるためにも、歴史を学ばなければならないと強く思う。当たり前に見えることが決してそうではないことを、繰り返し確かめるために。


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by walk41 | 2017-03-27 06:58 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

重ねて自分を疑う

15年くらい前に小学校時代を過ごした人から、当時の悲しい思い出を聞く。

習字も習っていたその人は、流れるように「氵」を書くと「冫」のようにも見える習字の先生の筆致を真似して、学校のテストプリントの氏名欄に、自分の名前を書いたそうだ。後日、プリントの返却時、その氏名欄に赤ペンで「×」が記されていたという。教員に尋ねると、「それは大人の書き方だから(子どものあなたが)書いてはいけない」旨を言われたとのこと。

いかがだろう。今なら児童から保護者、次に管理職か教育委員会に連絡がいって、教員が事情を訊かれることが十分に想定される。けれど、当時の当人は辛い思いを抱えて、そこで終えてしまったそうだ。問題にならなかった。

驚くべき行為と発言かと私は思う。氏名欄に何と書いてあるか判別できないのならまだしも(その場合でも、「?」マークをつけるまでが関の山だ)、そうではなく、私の辞書では好みのレベルに過ぎないことに、目くじらを立てて注意することで、「指導者」としての自分をまずは自身で確かめ、そして他者に知らせようとする。

教員は自分で存在照明ができず、他者に認められることで初めて教員になることができる故である。そんな自分の存在を確かめるために、その人を示す優れて象徴的な氏名に対して赤ペンで×をつけるなどまったく無神経なことをする、何と恐ろしいことだろう。

この人は、その後、テストプリントの氏名欄に、ひらがなで自分の名前を書くようになっていたとも聞いた。漢字について指摘された悲しみを避けるように、気づいたらそう記していたのだという。このエピソードは、指導の効果や結果というものが、その場においてとか1時間の授業内で現れるといった教育実践論がいかにいい加減なものか、を示す事例でもある。

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by walk41 | 2017-03-25 07:25 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

卒業式の別れの言葉

そろそろ終わりだろうか、各地の卒業式は。

ご縁があって式に伺うこともあるが、卒業生が在校生に向かって話す、別れの言葉というのだろうか、私は苦手だ。ネット検索すると、「一人一度以上は発言できるように配慮」された文言がすでに用意されており、児童名を入れれば出来上がる、お手軽ファイルもダウンロードできる。

何が苦手なのかを考えると、男女、強弱と様々な声を連続して聞くことのしんどさがあるのだと気付いた。一言、一文ごとに違う児童が声を上げるこの方法は、当人はいつ発言するかをわかっているけれど、初めて聞く立場としてはひたすら落ち着かない。次の声が予想できない状態というのが結構辛いのだ。また、その児童にとっては限られたチャンス、勢い力も入るというものだろう。一人の発言が続く時に見られる緩急のリズムや間合いがないので、単調な発言が繰り返されるように思われる。これがしんどさの理由ではないかしら。

一度しかない卒業式だから、それぞれの子どもの活躍を、との思いはわかる。だからより聞きやすいように、人数は少なく、かつ台詞も細切れにしないである程度の長さを、と強く願う。



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by walk41 | 2017-03-23 12:25 | ことばのこと | Comments(0)

たぬき

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関西に在住のみなさんは、お気づきだろうか。家々の前には、けっこうな確率でたぬきが鎮座していることを。

おそらくは滋賀県の信楽産で有名なたぬきの置物の影響だと思われるけれど、失礼ながら他人様の玄関先に目をやると、多くのお家にたぬきのいることがわかる。

小さいものから大きなもの、あるいが酒を喰らっているものや親子狸まで見えるけれど、これはとても面白くかわいい。工事現場のたぬきかな。

こう見ると、関西の多くの地域は、たぬき党の支配下にあるのかもしれない。何となく置かれているようで、実はおもしろいものが、他に見つかるかもしれませんね。
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by walk41 | 2017-03-22 22:39 | Comments(0)

笑いを大切に

中学校を卒業する生徒たちに次のような文章を書いた。大人にも大切だと思って、自分にも言い聞かせるつもりで記したのだけれど、皆さんはどう読んでくださるだろうか。
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笑いが身体にとって、ひいては人間関係においても望ましいという指摘は、少なくありません。
笑いの多くは、その人が快適なこと、喜んでいる状態を示していますし、さらにその多くは、他者を必要とするものです。思い出し笑いなどを除けば、笑っている人はたいてい、誰かと一緒にいますね。一人で笑っている人にはちょっと近づき難い雰囲気も感じるのです。

そんな大切な笑いですが、学校という場ではどちらかと言えば、抑制されていないでしょうか。学校では「真面目」「真剣」「必死」であるべき、どちらかと言えば、笑いとは相性の悪いものに高い価値が置かれ、笑いは、「不真面目」「ふざけている」「いい加減」と否定的に見なされる場合もあるように思います。はたしてこのような見方は適切でしょうか。

笑いの効用に、笑いが緊張を解きほぐし、自分を冷静、客観的に捉えることで、より楽に、楽しく生きることにつながることを挙げるものがあります。ともすれば思いつめたり、深刻になりすぎることで起こるしんどさを解き放つために、敢えて笑おうと心がけることは大切と言えるでしょう。

「お金持ちはお金をたくさん使う」のように、世の中の多くの出来事が、一方向でのみ説明できるのに対して、笑うという行為が感情と双方向の関係にあることは、しっかり踏まえられるべきです。
つまり、楽しいから笑うということに加えて、笑うと楽しくなるのです。楽しいと笑いたくなるのは、わかりやすいですね。これに加えて、仮に楽しくなくても、笑うことで楽しい気持ちがわき上がってくるということが実証されているのです。これは人間に限らないかもしれませんが、とてもユニークなことだと思います。

しんどい時にこそ、笑うように努めましょう。そうすれば、楽しい気持ちが生まれてきます。すると、悲観的に見えることも「それほどでもないかな」という気がしてきます。あるいは、「じゃあ、こんなアイディアはどうかな」と新しいことも思いつきます。悩み苦しむ中で思いつくこともあるでしょうが、「あれもいいな、これもいいな」と楽しく考える方が、アイディアがいっそう生まれると思いませんか。

卒業にあたり、みなさんがよりたくましく生きていってくれることを願います。そのための道具であり元気の源でもある笑いをいつも携えて下さい。
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by walk41 | 2017-03-20 12:08 | 笑いのこと | Comments(0)

万世一系

サウジアラビアの王族が来日していることに関わって、彼らが日本の皇室に強い尊敬の念を抱いていると述べるのは、毎日新聞の「金言」(20170317)。それは、万世一系と世界でも稀な歴史と伝統によるのだそうな。はあ、調子に乗るにも大概にしろと言いたい。

万世一系という言葉の定義をせずに、まあこんな感じ、とものを書く人間が使うべきではない。この言葉が、天皇という地位の人間が父から子へ脈々と引き継がれてきたという意味ならば間違いだし、いやそこには母も含むよ、叔父さんや叔母さんルートでもOKなの、と言いだせば、天皇制との絡みでこの言葉を遣う意味がなくなる。そもそも、私もあなたも万世一系なのだ。誰かからの血を引き継いでいない人など、この世にいないぞ。

最近の研究では人類は四種類くらいのご先祖に辿れるとのことなので、東アジアの一部の天皇ゆかりの人間ということになれば、日本列島近辺に住んでいる人の多くは、どこかで接しているとも考えられる。まさに「人類皆兄弟」である。

あるいは、万が一、天皇というポジションに親子かそれ類する血統が続いていたとして、その何がすごいのだろう。子に地位を譲るためには、たくさん子どもを産むという「保険」を掛けなければならず、しかも「何処の馬の骨」かわからぬ人を配偶者に選ぶこともできないから、結局は近親関係者婚姻が続くことになる。これは種の保存上、危険なことだ。環境が変わった時に生き延びられないリスクが高まるから。

つまるところ、この西川恵という客員論説委員は、考えて書いていない、あるいは考えるのが難しい人の可能性がある。こんな人を使っている毎日新聞、がっかりだなあ。

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by walk41 | 2017-03-17 14:56 | ことばのこと | Comments(0)

教諭の授業担当時数

新年度を控え、新しい校務分掌も決まりつつある。その様子を見ていて思うのは、授業担当時数つまり、校長や副校長はもちろん、教頭や主幹教諭など教諭職でも授業を担当しない教員を除いた教諭の担当授業時数は、どれくらいが適正なのだろうかということだ。

3年ごとに行われる文部科学省『学校教員統計調査』(2013年度)によれば、週あたり教科等担任授業時数は、授業担任ありのみの教員の平均は、小学校で23.8時間、中学校で17.5時間、高校で15.2時間である。これには、学級活動や道徳、総合的な学習の時間が含まれる。小学校は45分授業、中学・高校は50分授業であることを考えても、小高の順に授業担任時数の少ないことがわかる。

ここで、ドイツの教員がフルタイム勤務の場合に担当すべき義務授業時数[Arbeitszeit(Deputatstunden pro Woche) der Lehrkräfte]を見ると、2015/2016年の場合、基礎学校(1-4年生)で27-29時間、基幹学校(5-9年生)27-28時間、実科学校(5-10年生)で24-26.5時間、ギムナジウム(5-13年生)で23-27時間と州単位で分散する。学校段階が上がるほどに授業時数が減る傾向にあることは日本と同様だ。

他方、すべての学校種が45分授業であるドイツの事情を踏まえても、ドイツの教員の担当授業時数は日本よりも少なからず多いと言えるだろう。とはいえ、部活動やあれこれの生徒指導の時間は日本の教員の方が圧倒的に多いだろうけれど。

もちろん、中等学校では教科ごとの担当になるため、担当する教科によっては授業数の少ない場合と多い場合がある。ただし、ドイツの中等教育教員の免許状は、ドイツ語と生物など、二教科の履修を基本とするので、一教科で免許状が発行される日本の場合と比べると、偏りが抑制される可能性は高いだろう。

さて教員のみなさん、ご自身は何時間、授業を担当されていますか。えっ、私ですか。私は2017年度、年間10コマ、半期あたり5コマになっています。大学は90分授業なので45分授業の2倍と見なせば、週あたりの担当時数は10時間ということになりますね。これは少なすぎるかしら。もっと働いた方がいいのかな。結構忙しいとも思っているのだけれど。


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by walk41 | 2017-03-16 17:26 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

またがる言葉

ファミリーレストランに入って思った。ガストってどういう意味なんだろう。

引くと、公式にはスペイン語のgusto「味わい」という意味から取ったそうだが、同じ意味とスペリングはイタリア語にもあるとのこと。さらに引くと、英語にも食べる楽しみや喜びの意味として、"with gusto" といった表現も見つかる。もっとも、発音はガストとは異なり、あえて言えばグストーに近いかしら。残念ながら、似た綴りで当てはまる言葉はドイツ語にはないようだけれど。

複数の言語にまたがる言葉があること、面白いなあって思う。言葉も旅をするんだね。

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by walk41 | 2017-03-16 08:54 | ことばのこと | Comments(0)



教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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