学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

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「先生は…」は自信のなさの現れ?

今週も聞いたなあ、「先生は…」「先生が…」と教員が自分のことを生徒に向かって話すさまを。

これまで何度も主張しているが、「先生」とは敬称であり、他者から投げかけられる呼称である。教員同士での「先生」「先生」の掛け合いは辟易なものの(大学もご多分に漏れず)、それでも他者が誰かに対して遣う表現である点では、上の条件を満たしている。

ところが、自分で自分のことを「先生」というのは、自分で自分を尊敬していることになる。これは、「私のような者が」「愚息が」と謙譲して、つまり自分を実際よりも低めに述べることの対極にある。私はこの傲慢さ、そして傲慢であることを自覚していない様子が自分としては嫌なのだと思う。

この「先生問題」だが、先日、現職の教員たちとの勉強会で「公-私関係」の話をしていたときに、合点した。「そうか、先生という表現は公共性を帯びているんだ」と。確かに、先生という敬称は、ある人ひとりにとっての先生、たとえば「人生の師」といった意味合いでも遣われるけれど、学校という多くの人が関わる場で用いられる先生、すなわち公共性を持つ。教員免許状を有して、実際に学校で勤務しているという公共性を指して「先生」と呼ばれているのだ。ただ大人なだけでは、先生にならない。

このことは、ちょっと飛躍するけれど、戦前の軍隊で頻繁に用いられたと聞く「畏れ多くも天皇陛下の…」と前口上を述べて、自分の命令を部下に行ったという様と同じだと思うのだ。「私は」「自分は」と述べる主体が自身であることを明示せず、「先生が」と話すことで、「先生という公的な立場の人が言っているんだよ」「だから、言っていることは聞くに値する大切なことなんだよ」と、発言の最初に相手に印象づける(流行言葉で言えば、ゴッフマンの「印象操作」)点で狡い。等身大の自分が言っているという格好を取らず、「偉い人が言ってるんだよ」とより思わせる一つの仕掛けになっているから。

これは「僕の叔父が今度、ニューヨークで個展を開くことになってさあ」とか「有名な女優の○○さんと、この間、パーティーで話をしてね」という手合いと同じだ。こう話すことであたかも自分がひとかどの人間と思わせようとする狡猾さ、卑屈さ、自信のなさを見る。

だから「先生」にお願い。虎の威を借る狐のような発言は止めて、自分にもっと自信を持てるように鍛えてください。自分で「先生」と連呼するうちに、本当に自分が偉くなったかのような壮大な勘違いをすることがないように。



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by walk41 | 2017-09-30 14:16 | ことばのこと | Comments(0)

対人サービス労働におけるコスト論

家人に勧められて、青山昌史ほか『社会の中の芸術』(放送大学教材、2010)に収められている坂井素思「芸術価値と経済価値」を読んでいる。ちゃんと理解できたとはまだ言えないが、アメリカの経済学者の立てた次の論理を鋭い指摘と思った。

曰く、サービス産業特有の「コスト病」、すなわち赤字体質が生じるのは、自動車産業などに見られる技術革新が、生産性の増大をもたらし、労働者の賃金を上昇させる。このことは、製造部門比べて生産性が増大するわけではないサービス部門生産性との格差を拡大させ一方、製造部門の労働者の賃金上昇が波及することから、サービス部門の賃金上昇させ、芸術団体などのコスト高を招く。さらに、おしなべて賃金の上昇した労働者のサービス需要が高まる中で、芸術団体の活動への需要も増大し、雇用も増大、結果としてさらなるコスト高に至るというモデルである。

この中で、次のような記述があるのだという。「人間の発明の才によって自動車の生産に必要な労働を減少させる方法が考案されてきたが、シューベルトの四重奏曲を45分間演奏するのに必要な人間の労働を、合計3時間の延べ労働時間以下にまで減少させることに成功したものは誰もいない。」

その通りである。PDCAサイクル論を振りかざし、右上がり目標達成へと鼓舞しようとも、これまで一年間かけてやってきた授業を例えば8ヶ月へと短縮する教育課程は作れないし、授業者の話すスピードを例えば3割増しにして児童・生徒の理解をより早く促そうというわけにもいかない。ましてや学び論が席巻する昨今、そのスピードは落ちることこそあれ、早まるとは考えられないだろう。

これを敷衍すれば、子どもの成長をもっと早めようという議論に繋がるが、これがいかに馬鹿げているかは論を待たない。いつまで子どもで、いつから大人になるかは、時代や地域によって一様ではなく、社会的な眼差しに基本的に規定されることを思い返してみよう。あるいは客観的にも、他の生き物と同様、成長のスピードや習得の適時性が、せいぜい数百年の「教育の発明」によって左右されるシロモノでないことも明らかである。

かくして、対人サービス労働の生産性の上昇があまり見込めないにもかかわらず、製造部門と同じかのようなモデル設定そのものが不適切なことがわかる。なのに、上昇するはず(しなければならない)という神話に支えられた教育論議をしていること自体が、当事者の「低学力」を示すことに気づいていないということ、まさに大いなる不幸と言うべきだろう。

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by walk41 | 2017-09-28 23:41 | 身体 | Comments(0)

連立政権を前提にした政治

2017.9.24のドイツ連邦議会選挙が終わった。

A.メルケル首相が率いるキリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟CDU/CSUは第1党を維持したものの、四年前の選挙から得票率は7.5%減、連立を組んでいた社会民主党SPDも5.2%減らした。これに対して、「ドイツのための選択」AfD、自由民主党FDP、左翼党Linke、緑の党Grüneは、いずれも得票率を増やした。ちなみに投票率は76.1%、1949年の連邦議会選挙以来、70%を割ったことはない。

比例代表制が完全に実現されているドイツでは、得票数が議席数に直接に結びついており、どこかの国のように、得票率が5割を下回っているのに、5割を大きく上回る議席を得るといったことはない。299の選挙区で一位だった候補者は議席を得ながら、得票数に応じた議席配分が比例的に行われているのである。個人も選び、政党選択もできるドイツのような仕組みに、日本はなぜしないのだろうか。

さて、この結果、どの政党も過半数を得られず、連立政権を余儀なくされる。前回も連立政権だったが、今回は「ドイツ・ファースト」を唱えるAfDが躍進したこともあり、支持政党の多様化がより進み、3つの党での連立も視野に入ってきた。

CDU/CSUが246、SPDが153、AfDが94、FDPが80、Linkeが69、Grüneが67(合計709)という議席分布では、第1党が政権に入るものの、そのパートナーは色々にあり得る。SPDとの連立で過半数を制することはできるが、それでは新味がないとの批判をかわせない。かといって、「人道としての難民受け入れ」を進めるメルケル首相にとって、AfDは連立相手になり得ない。 また、FDPやGrüneとの連立はあり得るのかも論点だろう。

いずれにせよ、価値多様な社会のもとでは、一党だけで政権を担うことは難しく、それゆえ交渉と妥協、修正が当然のように求められる。教育政策もこれと無縁ではあり得ず、いわば異なる色が混ざり合ったものとして位置づけられる。「権力の意思として教育政策」(宗像誠也)といったシンプルな命題が、いかに古ぼけているかがわかるというものである。


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by walk41 | 2017-09-27 03:18 | ドイツのこと | Comments(0)

知らないことが偏見を助長する

ドイツの連邦議会選挙結果、外国人排斥を掲げる政党、「ドイツのための選択」AfDが躍進、13.5%を占めるに至った。

この結果について分析が進められているが、次のページの結果は大変興味深いものだ。
https://www.buzzfeed.com/karstenschmehl/afd-waehler-waehlen-aus-enttaeuschung?bffbdeutschland&utm_term=.ffEjLA9JW#.mbbjQAnzD

どこの、どの世代の、どちらの性別が、この政党に投票したかを示す結果では、旧東ドイツの、70代以上を除く世代の、男性の投票が多いことがわかる。が、それ以上に興味深いのは、移民の背景を持つ住民が人口に占める割合と、AfDへの投票率がマイナスに相関しているというデータだ。

身の回りに移民の背景を持つ住民が多いと、彼ら/彼女らを排斥しようと主張する政党が支持を集め得ることは想像できる。両者は正に相関するという仮説である。けれど、今回の結果はその反対を示しており、移民の背景を持つ住民との関わりが少ないであろう人ほど、彼らを忌避、あるいは排斥しようとする可能性が考えられる。

知らないことが不安を掻き立て、遠ざけようとする。これが正しければ、共存するにはまずは知ること、関わりを持つことが肝要と導ける。書物を通して、あるいはwebを通してでもいいが、可能ならば、直に知ること、感じることがより豊かな理解を形成する。そのための手がかりとして、言葉を学ぶことも優れて重要だと言える。

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by walk41 | 2017-09-26 12:10 | ドイツのこと | Comments(0)

挙手の際の指

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南西ドイツの中等学校、9年生の授業風景です。中等学校でも、いわば普通に手が上がることを、自分が知っている中学生と違って面白いなあとは思っていましたが、何回となくこうした場面に居合わせているのに、次のことには、はっきりと気づいていませんでした。

その一つ、基礎学校の児童を含め、授業中に挙手して教員に当てられたとき、立ち上がる生徒はドイツで見せてもらう学校にはいません。日本でも中学校あたりになれば同様のこともあるでしょうが、小学校では指名されて立ち上がり、加えて椅子を納めることまで求められ、ようやく発言できるという、神経質なまでの行儀が強いられます。これは違いと言っていいでしょう。

もう一つは、手を挙げる際の指の格好です。人差し指を突き出すように挙げる様を、日本とは違うとは思っていましたが、その背景に、ナチズムが支配した時代の挙手仕方、「ヒトラー総統万歳!(Heil Fühler Hitler!)を忌避するべく、子ども頃から躾けられるゆえとは知りませんでした。複数の友人から聞いたことです。五本指を突き出すと、確かにそのようにも見えますものね、なるほど全体主義を再来させてはいけないという一つの知恵なのでしょう。

見慣れているからこそ、気づきにくいことがまだまだあるのだと、今回も学ぶことができました。

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by walk41 | 2017-09-25 09:35 | 身体 | Comments(0)

やっぱり美味しいBretzel

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ドイツに来ると思います。このパンBretzelの美味しさは、日本でなかなか味わえないなあと。

学校訪問先で、中休みの時間などに出して下さいますが、ご配慮と合わせて、有難いなと思います。ごちそうさまでした。



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by walk41 | 2017-09-25 08:31 | ドイツのこと | Comments(0)

学習環境を整える

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ドイツに限ったことではさらさらありませんが、教室に花や鉢を置くというのはいいなあと思わされます。

いわゆるロッカー置かれた観葉植物、気持ちを和ませてくれます。一つ部屋に二つくらいあるのを見ると、勉強もきっと進むことだろうと感じます。

この鉢はどこから、と校長に尋ねると、学校予算から生徒に買ってきてくれるようお金を渡すそうです。現金だとするとちょっと大らかなだなと思いますが、それでも自分たちが使う部屋を快適にしようとのメッセージは十分、生徒に伝わるでしょうね。

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by walk41 | 2017-09-24 17:13 | ドイツのこと | Comments(0)

強烈な皮肉

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「私たちは、あなたに暗殺者を送り込もうという訳ではありません。けれども、あらゆる万引きは図書館への立ち入り禁止と告発を招くことになります。」

南ドイツのある市立図書館内に貼ってあるポスターから。ユーモラスかつ強烈なパンチが効いていると思いませんか。

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by walk41 | 2017-09-20 12:26 | ことばのこと | Comments(0)

全体主義を支えるもの

南ドイツのある街の比較的小さな博物館を訪れた。常設展に加えて行われていたのは、魔女狩りをテーマとした特別展だった。

恥ずかしながら勉強不足で、何となくしか知らなかったテーマだが、今回わずかでも学ぶことがあり、大いに刺激を受けた。というのも、歴史的な出来事ではあるけれど、そこに流れる物の見方や行動は、現在にもすぐれて通じると思われたからだ。

1480年あたり、南ドイツや北フランスを中心に天候不順が続き、作物が壊滅的な打撃を受けた。あるいは、犯罪者の増加が顕著であった。いわゆる異常気象や気候変動を説明できない状況にあっては、その原因を以前から存在を信じられていた魔女によるものと結論づける可能性が高まったのだろう。カトリックの司祭が、魔女狩りを始め、わずか数年の間にこの街では、46人もが処刑された。その多くは生きたまま火あぶりにされたと伝えられる。

この凄惨な出来事は、多くの研究者の対象となっているが、次のような着眼ができるようだ。それらは、説明できないことを何かにこじつけて説明しようとするメンタリティ(認知的不協和を解消しようとする傾向)、裕福な女性、あるいは美しい女性に対する嫉妬や不安といった、驚きべき女性蔑視に裏打ちされた人間観、自白が唯一の根拠とされた時代にあって、本人がそう言っているのだからという合理化などである。

この特別展に行ったとドイツ人の友人に話をしたところ、次のようなエピソードを紹介してくれた。魔女狩りの被害にあったのは女性が多かったが、男性も例外ではなかった。ある男性の妻が魔女として捉えられた際、彼は妻に家族のことを話をしてはいけないと手紙を送ったそうだ。というのは、家族に関わる出来事は魔女の仕業によるものだという論理が強かったために、そう結論づけられる、つまり妻が魔女と認定されることを恐れたのだ。

ところが甚だ皮肉なことに、その手紙が魔女裁判の中で発見され、家族のことを話すなということは、何かやましいことが家族にあるからだ、つまり、家族の問題を知っている夫は魔女(魔男というべきだが)であり、その妻も同様であると結論されたのだという。結局2人とも、処刑されたのだと。

このさまは、事実が何であれ、捉えた人物が魔女であると言う結論が先にあり、それを合理化するための論理が形成されたことを示している。つまり、ある論理の推論の仕方によって、結論は大きく異なり得ることを学べる。

拷問の道具、例えば鋲でできた椅子なども展示されていたが、これに15日間も耐えられる人間はそうはいないだろう。このほか、水責めなどもあったとか。自白すれば、「本人がそう言っているのだから、間違いはない」と結論づけられてしまう。

かつて、拙ブログに記したことを思い出す。ある学生が小学生の頃、クラスメイトのものがなくなったと騒ぎになり、たまたま同じものを持っていた彼女が盗んだのではないかと学級担任に疑われた。驚き、涙を流す彼女に、その教師はこう言った。「泣くってことは、本当のことを言われたからだよね。」魔女狩りや魔女裁判は、現在も生き続けている。

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by walk41 | 2017-09-20 06:01 | Comments(0)

全校集会

南ドイツの初等・中等学校にお邪魔した。9月から始まる彼の地の学校にとって、新年度が始まって間もない時期に来客を迎えるのは、決して容易ではないと思う。訪問を快諾下さった校長先生ほか皆さんに深く感謝したい。

さて、新しい学年の始まりは、特に新入生にとって重要だ。どんな学校なのか、どんな人たちがいるのか、多くの児童・生徒に不安と期待が押し寄せているだろうから。そこでこの学校は、「褒める文化」(Lobkultur)を育てるべしと、校長の発案で、全校生徒およそ400人と教職員が月に一度、全校集会を開いていると聞いた。ちょうど、訪問した日がそれに当たり、日本から来た客と紹介されたとともに、ほんの少しだけご挨拶もした次第だ。

そこで驚かされたことの一つは、夏休み中に新校舎建設に関わって尽力した施設管理者(Hausmeister)、新しい学習材開発に取り組んだ教員ほか、と紹介して立ち上がらせては多くのメンバーを褒め、拍手を繰り返した校長の進行手腕だった。新しい教職員、一年生と五年生という、新入生の紹介の際も、楽しくこれからの学校生活をワクワクさせるすすめ具合だった。ともすれば、儀式は厳かであるべきと考え、言い方を変えれば暗く、重苦しいものにしがちな当事者に一人として、こんな進め方もあるのだと反省もさせられた。

もう一つの驚きは、集まったメンバーの座り方である。一年生はここ、二年生はその隣、そして一列に並ばせ、その順番も決まっている、集会が始まる前には学級担当などが生徒の様子を見て回り、服装や格好について「指導」する。そんなスタイルとは全く異なり、大人の集会のよう、つまり、司会を中心にいわばぐちゃっと集まっているだけで、列をなすわけでも、順番があるわけでも全くない、混沌としたさまである。どこに誰がいるかを全体としては掌握できない。好き勝手にいるのだ。

もちろん、起立、礼といった所作もなく、「顔を上げて話を聴くように」といったお小言もない。私のそばでは、寝転んでクラスメイトの膝に頭を預けていた女の子もいた。教員も適当にその辺にいるというだけである。さすがに、今日が登校初日の一年生の担任は、固まって座る児童たちの側にいたけれど。

それでも、決められた時間まで集会は静かに進み、かつ拍手と口笛も飛び交った。いい雰囲気だったと思う。そしてさらには面白いことに、予定された時間(5時間目だった)が過ぎると、生徒たちはとたんに騒がしくなり、ヤッケを着込むと帰り支度を始めた。

司会の校長が「最後に…」と話を終えるかどうかくらいで、みんなは立ち上がり、むろん一斉の「礼!」などあるはずもなく、校長が「ではまた明日」と上げる声もかき消されるくらい勢いで、蜘蛛の子を散らすように、ぱあっと去っていったのだった。ああ面白かった。





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by walk41 | 2017-09-19 06:32 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)



教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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