学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

学生にはどう聞こえるのだろうか Wie hören die Studentinnen das?

いまお世話になっている大学で、同僚の授業を聴かせてもらっている。過日、授業中に質問をしたのだが、その時のやりとりを思い出し、この会話が日本ならば、きっとないことだろうなと思ったのだ。

というのは、同僚と私はすでに友人なので、相手を指す時に敬称的表現でもある“Sie“は用いず、“du“を遣う。いわば砕けた感じになる。翻って、同僚は学生に対して、“meine Damen und Herren, Sie sind ...“と、丁寧に話し、質問に対しても同様に“Sie“でやりとりをしている。つまり、「ミュラーさん、あなたの問いはこういうことなんですね」とやりとりする学生たちもいる中で、私に対して「ヨシヒロ、君の言っているのは、こういうことだよね」と話すということだ。

どうだろう、違和感を感じないだろうか。私の想定では、たとえ授業外では気軽な関係であったとしても、学生がいる前では「先生然」としなければならないと考えて、「山田先生はそうおっしゃるのですね」モードに変えるように思う。そして、学生に対してはむしろ砕けた表現もあり得る。「こういうことが、君の質問だよね」と。これに対して、同僚の振る舞いは、この逆のように見えるのだ。

会話の際に第三者はいかに位置づけられるのか、それはどのように自身と相手が捉えられることを期待してのものなのか。また、教育の世界ではなぜ「先生」という呼称がなくならないのか等、「他者を意識した」コミュニケーションについて、考えるべき点は少なくないように思う。

# by walk41 | 2019-01-18 16:36 | ことばのこと | Comments(0)

ことほどさように so.. dass..

もう30年は前のこと、先達と論文を書かせてもらっていたときに、「ことほどさように」という、自分の知らない表現を見つけたので、尋ねたことがある。すると「そんなことも知らないのか」と呆れられ、「(今の若い奴は)言葉を知らないなあ」いう話になったのだ。

それから長い月日が流れ、今に至ってようやく知った。広辞苑、研究社、ベネッセと複数のページを引いたところ、いずれも「ことほどさように」とは英語の“so ..that.. „の訳語からという説を示していることに。まあ、諸説あるのだろうけれど。

なるほど、だから、ぎごちない感じが否めないのか、また、特に知らないからといって恥ずかしいことではなかったのではないか、とも思う。たかが言葉、されど言葉、である。

# by walk41 | 2019-01-17 22:14 | ことばのこと | Comments(0)

エコとは思われないなあ ich glaube nicht es passt der Öko.

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ドイツのある銀行の口座記録です。この銀行の場合、通帳がなく、入出金やお知らせがA4用紙に打ち出されます。写真のように、営業時間の案内までもが印刷されます。空欄が目立ち、紙がもったいないなあと感じます。ところが奇妙なことに、振り込み手続きをすると「環境に配慮してプリントアウトはしません」と画面に表示されるのです。この仕組み、あんまりエコロジカルとは思われません。

Bei der Comerzbank gibt es zwar keine Banknotiz, aber ist das A4 Papier jedesmal gedrückt. In anderer Seite, wenn auch die Infos um die Öffnungszeiten mit vieler weißen Flach gedrückt wird, finde ich es im Öko-Sinn schade.



# by walk41 | 2019-01-17 20:28 | ドイツのこと | Comments(0)

「他者を気にせずに自分で行動する能力」 „Fähigkeit, die selber spontan akten, ohne anderen die Aufmerksamkeit zu geben

今回の南ドイツ滞在で感じたことの一つが、「他者を気にせずに自分で行動する能力」の重要性だ。日本語風に言い換えれば、「自分を主張するためにKYであることを厭わない」という辺りだろうか。わがままと言えるかもしれないが、それだけ他者に依らず、自主・自立を前提にしているとも捉えられる。

大人数での講義にて、授業中に教授の説明がよくわからないと、ある学生が声を発する。「こんなに訊いて、回りに悪いなあ」という雰囲気は感じられない。それが終わり、しばらく講義が続くと、別の学生から手が上がった。理解が難しいモデルの説明箇所だったので、質問が出るのもなるほどとは思うが、「日本的」な感覚からすれば、「このシーンで尋ねるなんて、勇気があるなあ」という様子である。

しかもいずれの学生も、着席したまま質問、教員とやりとりをしている。古典的には「ちょっと失礼ではないか」という姿勢でもある。そんなこんなで今回は、一つの授業で3人から質問があった。授業後、別の学生が教員のところに向かった。何かを尋ねている。熱心な学生が少なくないことに感心する。

別の日に同僚から聞いたが、彼ら/彼女らは18、19歳、稀に基礎学校に1年早く入学したために17歳の学生もいるという。そんなに若いようには見えないのだけれど。とまれ、日本でもこんな懸命な学生に囲まれたいなあと思う。それとも、それはこちら授業者の力量不足ゆえの憧れだろうか。

# by walk41 | 2019-01-17 06:13 | ドイツのこと | Comments(0)

活発なゼミ beteiligtes Seminar

いまお世話になっている南ドイツの大学では、学部生が中心のゼミナールにも参加させてもらっている。卒論の一つ手前の授業と言ってよいだろう。

学期末が近づき、授業もいよいよ大詰め。今回は19人の学生が発表者の提案を受けて議論を行った。テーマは「平和教育の理論と実際」と難しい内容だったが、前半は担当の3人の学生が、平和教育の系譜と原則について、パワーポイントスライドを示しながら説明した。次いで、これを学校で実践するには何が障壁なのか、また、既存の条件を無視してファンタジーを描くならば、どのような発想や方略があるのかと問いかけ、配られたマジックと色画用紙を用いながら、個人あるいは数人のグループで考える時間が与えられた。その後、椅子を車座に並べて、全体で議論するように授業は進められた。

私の見たところ、学生のプレゼンテーションが特別に上手かったというわけではなく、また、投げかけられた問いが優れて焦点化されていたとも思われなかった。けれども、ゼミに参加した学生たちの懸命さを大いに感じた。大学教員もひとりの参加者として話すのが精々で、初めからそのようには考えていないことだろうが、指導的役割を特段果たそうとつもりしているわけでもなさそうだった。つまり、教員の出番が要らないくらいに、多くの学生は主張したがり、また聴きたがっていた様子だったのである。最後に担当者から短いコメントがあり、拍手で授業は終わった。

今回に限らず、学生の話ぶりには感心させられる。幼い頃から、主張しなければいけない環境もあるかもしれないし、中等学校などで設定されるプロジェクト学習の効果かもしれない。あるいは、現職教員や修士課程の学生の参加があることも幸いしていると思う。そして何よりも、教員に近々なっていく身として、自分にとって重要なテーマと捉えていることが、この熱意を生み出しているのではないかと思われた。次の発言を予約するべく、いま話をしている最中に、手を挙げて待っている学生の姿も印象的だった。

大学でも教授法や授業の進め方といった議論はあるが、その大元は学生のありように全く規定される、と強く感じた時間だった。

# by walk41 | 2019-01-16 15:36 | ドイツのこと | Comments(0)

私はベルリン市民だ Ich bin (ein) Berliner

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ドイツにはベルリーナという、中に木苺や季のジャムなどが入った揚げドーナツがあります。地域によって名前は多様ですが。このドーナツが有名なのは、1963年6月26日に、アメリカ合州国大統領だったJ.F. ケネディが、当時の西ベルリン市を訪問した際に行った演説に、次のような一節があったことがきっかけです。

「すべての自由な人々は、どこにいようともベルリンの市民です。それ故に、自由人として私は誇りを持って言いましょう。私はベルリン市民だと。」

1961年8月に突如として築かれたベルリンの壁に象徴される、厳しい東西冷戦の時期にあって、ソ連を盟主とする東側陣営に対峙していた西側陣営への連帯を示した、ケネディの演説は熱狂的に受け入れられた一方、ベルリン市民であることを、“ich bin ein Berliner“ と、ドーナツを指すかのようにドイツ語で彼自身が述べてしまった(これには、英語オリジナル原稿をドイツ語に訳した人が関わっています)というエピソードを生み出しました。この一文はあまりに有名で、今なお写真のように冗談めかして使われるほどです。

もっとも、ドイツ語版wikipedia には、このドーナツは当時ベルリーナという名前ではそれほど知られておらず、ケネディの演説は違和感なく「ベルリン市民」として受け入れられたとの説明もあります。

とまれ、この演説から今年で56年、ケネディは西ベルリンを去って5ヶ月後の11月22日にアメリカ国内で暗殺されました。そして26年後にベルリンの壁が崩壊、今や壁の崩壊から30年を迎えようとしています。いつの時代もそうでしょうが、振り返ればこの時代に生きているのだなと思わされます。

# by walk41 | 2019-01-14 20:44 | ドイツのこと | Comments(0)

チューリップ Tulpen

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朝市で求めたチューリップとヒアシンスです。尋ねると、すべてオランダからのものとのこと。市では蕾が固く閉じた様子だったのに、部屋に入れると半日も経たないうちに、こんなに花開きました。春だと勘違いしたのでしょうか。

Tulpen und Hyazinthe, die wir am Wochenmarkt gekauft haben, haben sich so gesehen, dass sie noch nicht blühen werden. Allerdings hat sie in der Wohnung nach einem halben Tag so schnell, wie das Foto geblüht. Vielleicht haben sie die Jahreszeit den Frühling missverstanden?

# by walk41 | 2019-01-13 17:23 | ドイツのこと | Comments(0)

パスする passen

ドイツ語でよく聞く言葉の一つ、“passen“は、「大丈夫」とか「OK」の意味で用いられます。友人間で“passt?“とは、約束などの確認の意味だし、店で支払い金額がぴったりの時などに店員が客に対してそう言うのです。「お勘定があっています」の意味だけれど、「これでいいよ」と、どうも許可を得たように聞こえて落ち着きません。とまれ、了解できるという意味で捉えてよいでしょう。

おそらく英語でもそういう意味あいでしょうが、「大丈夫」から「通過できる」の意味に転じたのか、翻って日本語のパスには、「試験を無事にパスする」とあわせて、「自分を越えさせる」の意味も含まれます。「私はパス」とは「自分を抜いて進めてちょうだい」ですね。ちなみに、数年前、マレーシアにて知人に連れて行ってもらった店で、一度頼んだ料理をキャンセルしたいと、彼が両手を大きく交差させて「パス!」と店員に言った時には驚かされました。言葉の拡大解釈ではあるものの、その様子から、要らない旨は伝わりました。

元々は外国から入ってきた言葉で、それが外来語として定着する過程で、意味の変化が生じるという現象、とても興味深く思います。ほかの言葉でもきっとあるでしょうね。

# by walk41 | 2019-01-13 05:52 | ことばのこと | Comments(0)

けっこうな降雪です erheblicher Schnee

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雪が断続的に降っており、日中は多少溶けるものの、それなりに残ります。南ドイツとオーストリアでは豪雪のところも出ており、自治体はもちろん、連邦防衛軍(Bundeswehr)兵士も屋根の雪下ろしに出動していると、ニュースが流れています。

同僚の一人は、ここよりも雪のよく降る町の住まい。雪が降って大学まで来れないと、別の同僚に連絡がありました。彼に連絡を取ると、家の雪下ろしに追われていること、今夜は100センチの新雪だと天気予報は伝えている、と返信がありました。

バイエルン州を含めてこのエリアは降雪のため、多数の電車やバスが運行停止、雪崩の懸念もされています。冬本番というところでしょうか。


# by walk41 | 2019-01-13 00:39 | ドイツのこと | Comments(0)

新年度に向けて für das neue Schuljahr

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ある私立の基礎学校への入学申請を知らせる地元紙です。新年度は秋からなのですが、申請締め切りが1月半ばまでとは、慌ただしいことですね(同校の幼稚園から上がってくる子どもについては、2月下旬までで構わないとのこと)。

それにしても、ドイツ語の文字数の多いことを改めて思わされます。記事中の「受け付けします」が (werden) ...entgegengenommen って、長いなあと思われませんか。


# by walk41 | 2019-01-11 17:12 | ドイツのこと | Comments(0)

雪で混乱 Chaos im Schnee

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南ドイツでは雪が降り、スリップして建物に衝突、ボンネット変形のダメージを受けて自走できなくなったクルマを運ぶべく、写真のような様子になりました。友人から聞くに、10月中に冬タイヤに履き替えなければいけないというルールがあるとのこと(追記、インターネットで調べると、冬タイヤを履くべき明確な時期を示した規則はなく、「状況に応じた冬タイヤ義務(situative Winterreifepflicht)」のみが定められている。)こんなシーンに出合うと、北国だなあと思わされます。

# by walk41 | 2019-01-11 15:38 | ドイツのこと | Comments(0)

酔っ払いの運転士 betrunkener Lokfühler

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Stuttgarter Zeitun 20190110

日本からは、飛行機の機長やスチュワーデスが酒気帯びと聞くが、こちらでも驚くべきニュースが流れてきた。ドイツ東部で、ドイツ版新幹線ICEの運転士が、停車すべき駅を通過、警察によるアルコール検査の結果、血中アルコール濃度が正確には2.49プロミル、約0.25%であることが判明した。

ドイツでは、血中アルコール濃度が1.1プロミル以上(Blutalkoholkonzentration von 1,1 Promille und mehr)の状態でクルマを運転をすると交通違反になる。これは、体重にもよるが、500mlのビールを2杯少し飲んだくらいで摂取するアルコール量だ。

よって、2.5プロミルになるとは、ビールを5杯近く飲んだことになる。ワインならば、720mlの瓶を1本半ほど空けたことと同じだろう。これだけ呑んで新幹線を運転するとは(ローカル鉄道でも同じだが)、何と恐ろしいことかと思う。ドイツ鉄道はすでに、頻発する遅延や間引き運転で世論の反感を大いに買っているが、これに加えて飲酒、しかも泥酔に近いまでの酔っ払い運転とは。まさにびっくりドイツである。





# by walk41 | 2019-01-10 21:41 | ドイツのこと | Comments(0)

学生の教職志望 Wunsch von Studentinnen Lehrerinnen zu werden

大学で同僚と話す。同じ教育大学に務める身として、学生の教職志望をどう見るかという点についてだ。

私からはこんな話をした。日本の教員養成制度の特徴であるいわゆる開放制が影響して、教職資格を得るための条件、具体的には単位数が少ない(日本では一種免許状の場合、最低51[幼稚園〕、小学校以上で59単位に対して、ドイツでは州によるものの、初等学校教員養成の場合、例えば学士課程で180、修士課程で120、合計300単位(Leistungspunkt)である)。

このため、特に「一般大学」で多く行われている中等学校教員の養成については、専攻分野への付け足しとして教職課程が履修されることが多く、教職志望も低い場合がある。たとえ、教育大学に来ている学生でも、必ずしも教職を志望していない場合があり、大学としては悩ましいことだ、と。

いま南ドイツにいて、今まで見えていなかった、当たり前のことに気づかされる。言語教育または算数・数学教育に関する履修が51、教科・領域に関する領域選択必修が51、教育学が30、心理学が18、卒論・修論が合わせて21、学校実習が30(学士段階で15週間)といった、量的に圧倒的なドイツの教員養成制度であるから、学生も教職を専攻すること(他の分野でもおそらく)に覚悟を要するのだろうと。いわば「退路」を絶つことで自身を方向づけるのではないか、ということである。

これに対して、日本は、戦前の師範学校批判が苛烈であり、その結果、「良い教員とは教員らしくないこと」さらには、「熱心に教員養成に臨まないことが良い教員養成につながる」といった、矛盾する信念も生み出してきた。さらに私立大学を含む教員養成を行う(有資格者を多数輩出できる仕組み)ためには、必要単位数を大きく引き上げることが政治的に難しかったのだろう。とりわけ中等学校教員の養成については「付け足し」(教員にもなれる)の域を出ない条件設定に留まってきたと思う。

もっとも同僚は、日本とドイツ(とはいえ、バーデン−ヴュルテンベルク州に即してだが)の仕組みの大きな違いに驚く一方で、あわせて私が話した学生の様子、たとえば、学校実習に遅刻する、不十分な準備のままで授業に臨もうとする、といった怠学傾向については、ここでも同様のことが見られると話し、二人してうなづいたことだ。この点はひょっとして共通するのかもしれない。



# by walk41 | 2019-01-10 17:46 | ドイツのこと | Comments(0)

大学教員の悩みは同じ Similarität der Pein beim Dozent

ドイツの大学の冬学期の授業も終わりに近づいてくると、作業課題が出され、学生はこれに臨むことになる。

ある講義で、先に出されたミニレポートへの講評が行われていたが、その提出に関しては、次のような留意事項が挙げられていた。

⚪︎提出期限は12月20日、紙媒体で提出のこと、メール送付は認めない。
⚪︎遅れた提出については、考慮されない。
⚪︎12月5日までの講義に、最低5回は参加していること。
⚪︎講評は一般化して行い、個々に対しては行わない。
⚪︎明瞭に記述されているほど、教員がいっそう読み取りまた理解できる。

熱心な学生は少なくないが、そうでない場合もあるのだろう。評価の明瞭さを巡って、学生と教員の間での「攻防」を見る思いがした。

Genauso wie in Japan, ergibt Konflikt zwischen Studentinnen und Dozent auch in Deutschland. Sie kann man in der Anzeige um kleinen Arbeitsauftrag in der Vorlesung finden.






# by walk41 | 2019-01-10 02:43 | ドイツのこと | Comments(0)

主張しなければいけない man muss unbedingt sich behaupten

いま南ドイツにいるからと言って、「ドイツでは‥」と代表して言えるわけではないけれど、日本では経験したことのない、新鮮なワンシーンだった。

というのは、2人分の席が横並びに置かれているバスにて、窓側に女性が座り、通路側の席に自分のリュックサックを置いていた。そこに、次のバス停から乗り込んで来た壮年の女性は、そのリュックサックを持ち上げて彼女の方に置くと、空いた席にごく自然に座ったのだった。その真後ろの席も空いていたが、隣が男性だったので、ひょっとすると避けたのかもしれない。

乗客が空席に座ることは権利であり、どこに座るかも自分で決めることができる。荷物のための席ではないのだから、座りたければ荷物をどけてもらえばいい、という発想を見る思いがした。「自分のことを思って荷物を動かしてくれないかな」とか「こうして自分が立っているのに、荷物を座席に置いたままなんて、なんて厚かましい」などと思わずに、そこに座りたければ座る、という主張を行動に移すたくましさを感じたことである。

# by walk41 | 2019-01-09 05:56 | ドイツのこと | Comments(0)

セクシャルなスリ Sex-Trickdiebstahl

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Stuttgarter Zeitung 20190107、記事から。

州都Stuttgartの性的歓楽街(Rotlichtviertel)の近くで、連続して起こったスリ事件。42歳の東ヨーロッパから来た女は、通りかかった61歳の男性に性的誘いをかけるも、断られると、今度は彼にいきなり抱きつき、男性のポケットから数百ユーロを盗んだ。

住所を持たないこの女は、近くで同様のことを繰り返しており、共犯者を伴うこともある。25歳の女とともに67歳の男性に抱きつき、現金を盗んだほか、男の共犯者とは、嫉妬劇を演じるありさまである。つまり、女が男性に抱きつき、それを嫉妬した男と口論をしているうちに、71歳の犠牲者は高価な腕時計を取られてしまったのであった。

日本でもこんな感じのスリってあるのかしら。


# by walk41 | 2019-01-07 20:55 | ドイツのこと | Comments(0)

残業を許さない gegen Überstundenarbeit

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Zeit online 20190105 https://www.zeit.de/politik/ausland/2019-01/budapest-zehntausende-demonstrieren-gegen-ungarische-regierung?utm_content=zeitde_redpost_zon_link_sf&utm_source=facebook_zonaudev_int&utm_term=facebook_zonaudev_int&utm_campaign=ref&wt_zmc=sm.int.zonaudev.facebook.ref.zeitde.redpost_zon.link.sf&utm_medium=smより。

ベルリンの壁の崩壊を始め、中欧、東欧諸国における共産党系政権による独裁政治が終わりを告げた1989年から、今年で30年になる。興味深いのは、当時の闘士で今や大統領になったほどの人物、例えばハンガリーではViktor Orbánが「右派国家主義的」(rechtsnational)と評され、批判の対象となっていることだ。

上の記事によると、首都とブダペストで行われた、野党と労働組合による1万人のデモで人々は「我々は奴隷にならない」「汚いFidesz党(与党)」と叫び、市内中心部から国会議事堂までを練り歩いた。昨年12月に可決された法律が、雇用者は労働者を年間400時間まで超過して働かせることができ、かつその分の賃金あるいは休暇を3年間引き延ばすことができるというものであり、これにオルバン政権の与党が賛成したことに対する抗議である。

こんな記事を読むと、年間400時間、月あたり33時間、労働日あたり1時間半ほどの残業で、大騒ぎになるハンガリーから見れば、残業(しかもサービス残業!)は当たり前で、さらに月に80時間(ハンガリーの法律の上限の2倍以上)を「過労死ライン」に設定している日本は尋常ではない。

「おもてなし」の精神は尊いけれど、それ故に心身の健康を破壊してしまうのならば、本末転倒だろう。だから重ねて思う。日本のサービス水準を今より下げて、みんなの可処分時間を増やす方向に舵を切ろうと。




# by walk41 | 2019-01-07 02:11 | Comments(0)

次はカーニバル dann Fasching

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クリスマスが終わり、新年が始まったと思ったら、こんなコーナーがスーパーマーケットに現れました。2月中旬に行われる謝肉祭カーニバルの雰囲気です。Fasching というドイツ語に加えて、南ドイツではFasnacht, Fasnet とも言います。ちょっと商魂たくましいという感じでしょうか。

# by walk41 | 2019-01-07 00:12 | ドイツのこと | Comments(0)

ドイツでも振り込め詐欺 Abzocken

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以前の拙ブログでも触れましたが、写真は銀行に貼られている警察のポスター、「振り込み詐欺に注意!」です。

高齢者を狙った電話が掛かります。それはニセ警官だったり、孫を装ったり、宝くじに当たったという3つがよくある手口で、いずれもお金を請求します。怪しいと思ったら、すぐ警察に電話をと呼びかけています。

実に困ったことですが、どこでも似たようなことを考える輩がいるのですね。

# by walk41 | 2019-01-06 06:14 | ドイツのこと | Comments(0)

雪が降っています Es schneit

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雪が降っています。これまでと違って解ける暇なく積もり始めました。牽引をしてもらうクルマも出てきています。ホワイトクリスマスからは2週間遅くなったけれど、ここでも雪の風景が見られるようになりました。

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# by walk41 | 2019-01-05 22:43 | ドイツのこと | Comments(0)

少なくないかしら Ist das nicht wenig?

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開けたばかりの食器洗浄機用の洗剤の箱です。箱の3分の1くらいは空洞ですが、どんな意味があるのでしょうか。中身をより多く思わせる商法と見えるのだけれど。

Das Foto zeigt eine Packung, die gerade geöffnet ist. Wie finden ca. ein drittel ist leer und es gibt wahrscheinlich keine Bedeutung außerhalb ein Verkauf, der die Produkt mehr als Realität zeigt.

# by walk41 | 2019-01-05 05:11 | ドイツのこと | Comments(0)

多様な性 diverses Geschlecht

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地元紙に載った、市の老人介護施設の職員募集です。そこに示されている、m/w/d とは何でしょうか。mはmännlich男性、wはweiblich女性、そしてdはdiverse多様な、という意味、つまり、従来の男か女のどちらかという枠組みではなく、勢い少数者になりがちな、それ以外の多様な性自認をも認めていることの現れとして、最近増えてきた表記です。

ドイツ語話者の間でも、この「d」について、deutsch(ドイツ人)の略記かという質問もあるようですが、もしそうならば、ベクトルは反対、他の国籍の人を排除しかねない点で時代に逆行する表記ですね。




# by walk41 | 2019-01-05 00:10 | ドイツのこと | Comments(0)

できるだけ元データを示すべきだ

以下の3つの文章を読み比べてほしい。①と②は、ある事件に関するドイツのメディアによる報道で、③は日本語話者による時事紹介である。

①年末、バイエルン州のAmbergで、難民申請をしている17歳から19歳の男4人が、無差別に12人を襲い、うち1人は病院で手当てを受けることになった。警察情報によれば、彼らのうち3人はアフガニスタンから、1人はイランから。1人はシリアからという最初の報道は誤りである。現在、いくつかの留置所にて彼らの取り調べが行われている。危険な傷害罪(gefährliche Körperverletzung)の容疑である。(Zeit online, 20190102, https://www.zeit.de/politik/deutschland/2019-01/angriffe-amberg-joachim-herrmann-csu-pruegelei-asylbewerber-untersuchungshaft)

②12月29日の夜、12人が無差別に襲われ怪我をした。同夜、警察は容疑者4人を逮捕。いずれも若い難民申請者で、当時酒に酔っていた。検察による現在の情報では、加害者4人のうち2人はアフガニスタン、1人はシリア、もう1人はイラン国籍だが、うち2人については国籍に疑問がある。 ・・・ 12月30日の県警察の発表によると、怪我をした12人は16歳から42歳にわたり、駅あるいは旧市街の境で、殴る蹴るの暴行により怪我を負った。ほとんどは軽傷とのことだが、17歳の青年は病院に留まらなければならなかった。(Bayerischer Rundfunk20190103 https://www.br.de/nachrichten/bayern/angriffe-auf-passanten-in-amberg-was-bisher-bekannt-ist,RE5DSgJ)

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(川口マーロン惠美、日本メディアが伝えない「ドイツのまったくめでたくない年始め」現代ビジネス20190104)

いかがだろうか。③について、もちろん原稿締め切りの制約があるだろうから、一度報じられたことの訂正までは追いかけられないかもしれない。しかし、国籍について疑問があるとも述べられているのだから慎重であるべきだし、そもそも「その同じ夜」とあるが、12月29日と31日では明らかに違う(まさか「夜は同じ」の意味ではあるまい)。そして、29日は新年を祝う日ではまだないので、続く文言も誤りである。こう書いたドイツ語記事があったのだろうか。

また、難民問題という多くの人の関心が高いだろうテーマを取り上げるならば、「信じられない残酷さ」と記す際に、どんな加害だったのか複数の資料を参照すべきだし、何よりもニュースソースを示さなければならない。③では加害の様子について「残酷」とだけ述べ、読み手の想像力任せにしているが、②によれば素手での行為である。自ずと限りがあるだろう。

こうした③の書きぶりが、「難民怖い」へのミスリードを狙っているのではと思うのは、下手な勘ぐりだろうか。

ちなみに、③の前段、別の事件の起こった時間について「カウントダウンの打ち上げ花火の準備をしていた頃」とあるが、ドイツでの報道は「新年が明けた直後」(https://www.tagesstimme.com/2019/01/02/bottrop-essen-haftbefehl-nach-amokfahrt-in-der-silvesternacht/ )、あるいは「午前0:03」(https://www.presseportal.de/blaulicht/r/Bottrop )とある。なお、https://www.presseportal.de/blaulicht/pm/11187/4155570 では、「大晦日の23:45に犯人は歩行者への攻撃を試みたが、誰も怪我をすることはなかった」と報じた。いずれにせよ、③は不正確だろう。

これらから推測すれば、③の筆者はいい加減に記事を書いている可能性がある。「日本メディアが伝えない」というふれこみは結構だが、「ドイツメディアが伝えない」ことを捏造されては困る。


# by walk41 | 2019-01-04 14:37 | ドイツのこと | Comments(0)

街の今昔 Damals und jetzt in der Stadt

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1914年まで開かれていた「子ども市場」を描いた絵と似た構図で撮った写真が上のようです。塔はもちろん、建物もあまり変わっていないように思いますが、いかがでしょうか。

家族のために山を越えて、また船に乗って南ドイツまで出稼ぎに来た子どもたちがここにいたんだと感じること、なおさらです。

# by walk41 | 2019-01-04 06:13 | ドイツのこと | Comments(0)

情報操作 Information Manipulation

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南ドイツの学校博物館にて、年配の方から話を聴く。ナチズム期、家々にはラジオを置き、毎日聞かなければならないとされていたのだという。写真の右にあるように、そのラジオからは、音楽と太鼓、そして勝利万歳の叫びと歌声が連日流されたのである。

今でこそ、一方通行ではない複数のメディアを通じて、情報が刻々と飛び交っているけれど、新聞とラジオに限られた当時の環境では、それに抗う術もほとんどなかったことだろう。

# by walk41 | 2019-01-03 22:38 | ドイツのこと | Comments(0)

「子ども市場(Kindermarkt)」

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2018年8月に「山地の農家の子ども」https://walk41.exblog.jp/28612200/ と記しました。1914年まで、今のオーストリアやスイスから山の貧しい地域の子どもたちが仕事を求めて、ここ南ドイツまでやってきたのです。彼ら、彼女らに畑や家事の労働力を期待した農家と、子どもたちを連れてきた大人、多くは司祭が交渉して労働条件を決め、それぞれに働き手として引き取られていったという児童労働の悲しい歴史です。

今回、その様子を描いた絵を見ていて気づきました。この街で有名な塔が真ん中に描かれているではありませんか。市役所の横に立つこの塔は、100年以上前のそんなシーンも眺めていたんだなと感じるものがありました。

# by walk41 | 2019-01-03 07:02 | ドイツのこと | Comments(0)

子どもを利用する die Kinder ausnutzen

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「最年少のヒトラー青年」と紹介された、ドイツ第三帝国(1933-45)期のプロパガンダ写真です。同時期の日本はもちろん、第二次世界対戦後の社会主義国家でもそうでしたが、子どもをイデオロギーに染めて大人を鼓舞させるとともに、従わない大人を批判させる、さらには告発するように仕向けるといったように、子どもを政治利用する方法をここに見ることができます。南ドイツの学校博物館にて。


# by walk41 | 2019-01-03 03:40 | ドイツのこと | Comments(0)

ニュースもグローバル化 Globalisierung der Nachrichten

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Stuttgarter Zeitung 2019.1.1 記事によると、ノルトライン–ヴェストファーレン州で、元旦の未明、花火を打ち上げるなど通りを歩いていた人たちの、外国人と思しきグループを狙って、クルマで複数回に渡って轢こうとした同州の50歳の男を逮捕した。男は少なくとも4人に怪我を負わせ、うち46歳の女性を生死の境に陥れた。男は外国人を殺そうと思ったと逮捕当初から語っており、意図的な外国人殺傷を狙ったことが明らかとなっている。

同記事では、ほぼ同時刻に日本の東京においてクルマに乗った男による、歩行者に対するテロ行為が起こり、9人が怪我をしていること、男が責任能力を問う精神鑑定を受けることを、共同通信社による報道として記している。

年始当初から、「外国人排斥」に関わる暗いニュースが流れたことを悲しむとともに、まるで同じ場所での出来事かのように、1万キロメートル近くも離れたところでの事件も合わせて報道される状況を興味深く思う。

Mit der Nachricht vom Angriff von Ausländerfeindlichkeit in Nordrhein-Westfahren, ist ein Terroanschlag in Tokio im Silvester mitternacht auch in diesem Artikel berichtet. Ich führe mich einer Seits traurig solche Verfälle zu hören, noch andere Seits finde interessant, als ob diese zwei Fälle ganz nahe einander passiert sind, trotz sie ca. 10000 Kirometer entfernt sind.

追記、日本でも以下のようにドイツの事件が報じられた(読売新聞)。報道のされ方の国際比較研究も面白いかと思う。
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# by walk41 | 2019-01-02 18:19 | ドイツのこと | Comments(0)

大晦日の花火のあと nach dem Silvester-Feuerwerk

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https://www.sueddeutsche.de/muenchen/verbot-privates-feuerwerk-boeller-silvester-1.4270024 より。Süddeutsche Zeitung 2018.12.31.記事。

ドイツの大晦日は花火と言われるものの、実際に見たことはなく、ひとつ経験にと出かけました。夜の11時半も回ると、あちこちから人々が集まってきます。手には大きな花火あるいは新年を祝うための発泡性ワインとグラスです。すでに花火を放つ人もいて、ここかしこでヒューヒュー、ドンドンという大きな音と硝煙、そして強い臭いが鼻を突きます。

いよいよカウントダウンという段になると、待ちきれないかのように至るところで花火が上がりました。それぞれが勝手に持ち込んだ花火なので、そこに置かれていることを知らず、足下からいきなり炎が飛び出したりもします。しかも100連発はあるようなロケット花火です。一方で、ほんわかと線香花火を楽しむ人もいます。私たちも、近くの人から分けてもらいました。

けれども、回りを見渡せば、眩い閃光、つんざく音、明らかに霞むほどの煙、そして咳き込みかねない臭いが充満。もし実弾だったら、さながら戦場ではないかと思わされるほどです(あくまでも想像の限り)。あちこちでゲリラ戦が展開されているのでは、と慄くほど。花火のほか、爆竹をやる輩もいて長くバチバチと音と煙が続きます。通りに面した家の窓には硝煙の跡が付くほど。怪我人が出ても不思議ではないように思います。

そして朝、おびただしいゴミが残されました。写真はミュンヘン近郊ですが、市はこのゴミ処理に多大な労力を要することになると書かれています。大晦日の花火だけを取り上げるならば、「エコな国、ドイツ」など、残念ながら的外れもいいところでしょう。






# by walk41 | 2019-01-01 22:46 | ドイツのこと | Comments(0)

ゲマインシャフトという言葉 Bedeutung der Gemeinschaft

ドイツの社会学者、F. テンニエス(1855-1936)の分類、ゲマインシャフト(共同社会)とゲゼルシャフト(利益社会)に拠れば、前者は血縁や友人といった情緒的な結びつきが強い社会を指し、後者は会社や国家といった利益や機能上の結びつきが強い社会を指す。どのような社会であれ、この両者の間のどこかに位置付けることができるだろう点で、すぐれた説明モデルだ。

さて、日本の学校教育では「学びの共同体」と称して、授業づくりや学級経営を進めようという人たちがいる。あるいは、「一人の百歩よりも百人の一歩」「みんなで進む」といった集団主義的な発想もあまねく見られる。けれど、これはイメージ戦略とも言うべき物言いで、理解のミスリードを誘いかねない(そして、おそらく既に誘っている)、いわばズルい言葉遣いである。

なぜなら、テンニエスの分類にもとづけば、学校や学級は、個々の児童・生徒の広い意味での学力獲得を目指す機能的な場所であり、友情を育む、共感して涙を流すといったことは、あくまでも副産物だからである。もし、人工的組織としての学校でゲマインシャフト(共同社会)の性格を強めたいのなら、基本的に同一年齢の人間で学級や学年を編成するのは間違っており、高齢、壮年、青年、子どもと多様であってこそ可能である。もちろん、いわゆる健常者と障碍者、「外国人」などの存在も重要だ。それぞれの得手と不得手を活かし補いあってこそ、助け合いと信頼を育む基盤を築くことができる。

学級ー学年制および教科を軸にした教育課程(内容・方法・時間数)の仕掛けで、投下される資源を最大限に活用して学力獲得を目指す学校は、明らかに利益志向、機能重視の機関である。たとえ盛り上がっていても、時間を気にして授業は次に移らなければならないし、一緒に勉強しても最後の評価は個々に返される。「みんなを代表してテストを受ける」とか「班で協力してテスト問題を解く」ことが許されないのだから。

にもかかわらず、目標や効率を無視しかねないゲマインシャフト的(共同社会的)な姿こそ望ましい学校だと論じるのは、現実を超えて錯覚や幻覚を求める宗教的色彩を帯びている。くわえて、ユートピアとして夢想するだけならまだしも、ゲマインシャフト的ではない状態を指弾するに至っては、認知の錯誤も甚だしい。

けれど、倒錯していることに気づかない、気づきたくない「迷える子羊」は「神様」に帰依しようとする。近代人として求められる主体性の放棄である。そこでは、事実に即して説明を試みるという科学的精神が忘れられ、「こうあるべき」と規範論が先行して、これにそぐわない事実を批判する。ガリレオが地動説を唱えたがゆえに、カトリック教会から聖書に反すると終身刑を命じられた過ちを、繰り返すことになる。学校がゲゼルシャフト的に設計されているのにそれを認めず、ゲマインシャフト的であるべきと唱えることは、自身の信念や信条を事実に優位させる「頭でっかち」「机上の空論」である。

ちなみに、現在のドイツ語のゲマインシャフトGemeinschaft は、「共同体」とは異なる意味でも用いられている。Sportgemeinschaft はスポーツ協会、Gemeinschaftsküche は共同キッチンなど、共通利益の擁護と追求をするための繋がりをも指しており、この点ではゲゼルシャフト的でもある。つまるところ、学校「共同体」論は、学校がゲゼルシャフトとしてデザインされていること、そして、ゲマインシャフト自体にゲゼルシャフト的要素が含まれうることのいずれも軽視、看過する点で、議論に耐えない言説である。



# by walk41 | 2019-01-01 13:52 | ことばのこと | Comments(0)



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