http://www.stuttgarter-zeitung.de/,2012.2.2付、より
学校制度の改変に関する記事に掲載された写真、注目してほしいのは、子どもたちの手の挙げ方だ。
何度となく学生たちに話していることだが、こうした挙手の仕方っておもしろくないだろうか。右手を挙げる子、左手の子、人差し指を突き出す子が多いけれど、そう決まっている訳でもない。この写真では多くの手が挙がっているけれど、そうでない子ももちろんいる、という具体。また、人差し指を突き出す時に、親指を弾いて音を出す子もいる。要するに、いろいろなのだ。
これに対して、日本の教師は挙手の仕方をどのように子どもに教えているのだろうか。「良い手の挙げ方」と「悪い手の挙げ方」を説明するのだろうか。それとも、特段、何をする訳でもないが、私たちが知っているような手の挙げ方になるのだろうか。知らないのは私だけ?
ここで、みなさんに問いたいこと。
教員として、子どもの挙手の仕方をどこまで定型化すべきと考えるか。また、その理由は?
この答えから、挙手は子どもが学ぶためというよりも、教員の「好み」ゆえに定型化されていること、つまり、教員が子どもたちをコントロールすることに(子どもの学びをマネジメントするのではなく)意味を見つけていることがわかるのではないかな、というのが私の仮説だ。言い換えれば、教室の秩序維持が、それぞれの子どもの表現や学びに優位するという論理と、それを支える(教員に強いる)教室という仕組みが確かめられるのではないかな。
いつもながら、教員の方々には辛口で恐縮。でも、何気なくやっていることに隠された意味を探ることって、新しい活動をする上でとても大切だと思うので、どうかご海容のほどを。