学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

暴走族は遠くになりにけり

警察庁によると、2011年の暴走族は1982年の約5分の1に激減、「80年代の若者は、そろいの特攻服で社会に抵抗することへのあこがれもあったが、今は『格好悪い』と感じるようになった」と語られている。費やすことのできる費用が限られていることもあるとのこと(毎日新聞、2012.3.17)。

社会が活性化している状態は、混乱や混沌でもあり、秩序を重んじる「大人」は避けるべきと考えるが、かといって、「大人しくなる」と、「今の若者は元気がない。俺たちの頃は…」と説教あるいは鼓舞される。どっちがええのん、と突っ込みたくなるなあ。

かくも大人は、子どもや若者に自分好みの眼差しを投げかけるものだから、子どもや若者は「話半分」くらいに聞いておけばよい、自分の直観を信じればよい、という辺りがヒントだろうか。

そういえば、社会が老いていくとガーデニングが流行るとか。日本でも、バイクをうならせて走り回る若者が消えて、動かない草木に、そして最後には石に味わいを見出す老人が主役になっていくのかも。

こうした時代に「未来に向かって」というメッセージと合わせて教育するのは、なかなか難しいのかもしれない。
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by walk41 | 2012-03-18 09:31 | 学校教育のあれこれ | Comments(2)
Commented by まさ at 2012-03-18 22:36 x
今を生きる子どもたちが未来の物語をどう描くのか。
特に義務教育学校においては、教員の指導によって子どもたちに描かせるのか。それとも教員から何かを学びとり描き始めるのか。はたまた、教員から学ぶべきものなしと自発的に独自の物語を描くのか。
子どもたちを目の前にして日々教育の難しさを感じながら過ごす毎日です。 しかし、少し離れたところから、自分自身を分析しようとしている自分を感じられたとき、以前よりわずかではあるものの ゆとりを持って今起こっている現象を見られるようになっているかなと思います。
Commented by walk41 at 2012-03-19 09:14
複眼的思考が大切とは言われますが、実際にはなかなか難しいことです。

実践的であろうとするならば、その世界に自分を関与させねばならず、そうすると、相対的な感覚が薄れます。かといって、距離をとった見方に努めれば、その世界を実感することができなくなります。

この両者のぎりぎりのところを、綱渡りしていけるようなセンスと体力が必要なのだろうなと思うところです。
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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