2003年に公開された映画、有名俳優が出演した話題と合わせて、新渡戸稲造の「武士道」がよく読まれるきっかけにもなった。
武士に対する評価は様々だが、近代化を旗印にした明治維新が、個人の解放、つまり職業と住居の自由を宣言した点で、生まれ落ちた村落共同体とそれに繋がる君主への忠義を柱にした社会が終わったのは確かだろう。もっとも、国民国家として日本人を育成し、天皇を頂点とする共同体への著しい同調を求めた以降の流れも、同じ構図かもしれないが。
ここで、last を「最後の」という意味とともに、「最新の」の意味でも捉えるならば、サムライの話だけではないことに気づく。時間の流れを止められない限り、ラストはつねに最後尾、「前の時代」の最新である。この後を追いかけて新しく塗り替えてしまおうとする「次の時代」に抗おうとする、燃え尽きる炎が見せる輝きのようでもある。
つまり、次にやってくる者に対しては、誰もがいずれラストになる。その価値は、「前の時代」の最新をいかに示しえているか、「前の前の時代」からどれほど違っているかを自負して、「次の時代」に敗れるかにあるのではないだろうか。