NHK朝のニュース」(2012.3.26)、「元気な中小企業」では、トンネル検査で急成長する北九州市の会社を取り上げる。
これまで道路を閉鎖して、1ヶ月かけて行われていた人の目によるトンネルのひび割れなどの検査。これを、特殊な車両に16台のカメラを装着、時速50キロで走行しながらトンネル内を記録する。1秒間に30枚の写真を撮影できる技術で、わずかなひび割れも見つけ出し、検査日数も費用も大幅に短縮・削減できるという。
「誰でも気づく技術だったと思う。でも誰も手をつけていなかった」と社長が語る。
これはどこにでも当てはまりそうだ。変えていくヒントはいっぱいあるはずなのに、問題はそれになかなか気づかない、ということ。
かつて、「理屈は要らないから、どうすればいいのかを教えてほしい」と大学院に来て話す現職教員が少なくなかった。どうすればいいのかは自分で見つけ出すしかない。大学のできるのは、当たり前に見えがちな教員に、違う角度から、あるいは異なる光を当てるという思考上の実験方法について教えることである。
見えにくい学校教育に実践的であろうとすれば、いきおい見たいものしか見えなくなる。そこで岡目八目の役割を果たすのが学問や教養だから、それらが実践的だというのは論理矛盾である。「実践に役立たないけれど、学問は大切だ」ではなく、「実践に役立たないからこそ、学問は大切だ」なのだ。