本屋でたまたま見つけて、(申し訳ないことに)Amazonの中古で買った『日本人の知らない日本語』(メディアファクトリー、2009)が、きょう届きました。
この分野の方には当たり前に過ぎることばかりなのだろうけれど、知らなかった私には面白かったあ。日本語学校の先生をめぐるエピソードに絡ませて、たくさんの例を紹介してくれます。
たとえば、変体仮名、漢字をみんな好き勝手に崩した結果、ひらがなは何百もあったのに、今やそのごく一部、「開店お祝い、○○さん江」とか、「あ”か”わろし」(「可」をくずしたのだけれど、「か」とは違う形の)とか花札にたくさん出てくるような言葉しか残っていないとのこと。ときどき、古いタイプの暖簾にありますね。
この本のコラムに書かれた「大根」(だいこん)の話には感心しきり。焼いた秋のサンマに添えたり、おでんとして煮込むとたまらない美味しさの、あの「だいこん」は、もともと古い和語で「おおね」といったところに漢字を無理矢理当てはめて「大根」(おおね)にして、それから、これを音読み(だいこん)にしたという、実にややこしいさ極まりない遍歴をもった言葉だそう。ううん、不思議だ。
こんな風に今の日本語を見ると、まるで外国語のように見えなくもない。そして、言葉ってほんとうに自由奔放に作られてるんやなってことを思わされる。筆者の海野さんが、将来は<(_ _)>な顔文字も、新聞の見出しに踊るかも、にはまったく同意、というか、これって象形文字な点で、いわばご先祖帰りとちゃうのん。
こんな言葉に思考が枠づけられて、(英語には「肩こり」という単語がないから、これが起こらないって本当?」)、私たちの毎日のお喋りが成り立っているなんて、まったく人間の世は、ワンダーランドだと思われませんか。