春はじめの授業はなかなか慌ただしい。新入生が慣れない様子でキャンパスの教室を動くためもあるだろうが、いずれの回生(関西では、学年よりも回生という方が多いかな)も、年度が改まったゆえの仕切り直しというか、ちょっとした高揚感を感じるのだ。
そういう彼らも、4月の下旬に入るとそろそろ疲れがたまるのか、体調を崩す学生が出てくる。授業中に「トイレに行っていいですか」とたずねる学生、教科書が売り切れたために課題ができなかったと半泣き顔の学生、思わず睡魔に襲われる学生などさまざまだが、「みんな、よう頑張ってんなあ」と感心すること、しきりである。
以前だったら、トイレくらい休み時間に行っとかんかい、しっかり起きやと、口にはしなくても、目でガンを飛ばしていたように思うが、今は、トイレなんていちいち授業者に言わんでも黙って行ったらええのに、とか、まあ座りっぱなしやったら眠たくなることもあるわな、と早くも好好爺ではないけれど、たとえば20年前の自分と比べれば、明らかな眼差しの違いがあると感じる。
教育-学習の関係は、相手の意欲や関心をいかに高めるかがその正否、という言い方に倣えば、「被教育者」である彼らが、自分たちはいかに見られているかに敏感であることを踏まえて、教育者側である自分がどう彼らを見つめるかだろう。…こういうことに気づくのに、20年もかかったということだ。
もっとも、これは以前から思っていたことだが、自分が大学生のころ、教授陣の授業はおしなべて悲惨、学生も全くあんぽんたんだった。これに対して、今の学部生、大学院生は何と賢明で優秀なのかと思わされる。「俺たちの頃にくらべて、おまえ達は…」なんて、とても言えない。これは本音である。学生には大いに自信をもって学んでほしいと思う。