脱肥満が叫ばれるアメリカだが、米疾病対策センター(CDC)の肥満に関するフォーラムにおいて、2030年には、BMI値30以上の肥満の割合はさらに高まり、42%に達する見通しだという(SANKEI EXPRESS、2012.5.14)。
この紹介記事で面白く思ったのは、本人の意志の問題というよりも、環境が太るように仕向けているという見方だ。人間の主体性と環境による影響、つまり、規定性と被規定性の議論は、哲学の基本問題でもあるが、主体性そのものが環境によって形成される部分をもち、環境そのものが人間の主体性発揮の結果でもあるという、人間社会の自己言及的性格から、容易には解けない問いになっている。
このため、意志の問題とも、また、環境のためとも、いずれの説明も可能だが、意志の問題で帰れないならば、環境に即して考えてみる、環境の問題で変えられないようならば、意志に即して考えてみると、実にいい加減だが、柔軟に発想をしてみてはどうだろうか。
つまり、学校教員の多忙問題であれば、1.自分の意志を変えられないのなら、環境を変えるようにしてみる。嫌でも何でも6時には帰る、ことを客観的なルールにする。2.あるいは、どうしても、環境が変えられないのなら、自分の意志で要求水準を下げて、ここまでしかできないけれど仕方がない、と諦める。気持ちの持ちようを変えるのだ。
対人関係の悩みでは、相手が変わることを期待するのは無理だから、自分を変えようとアドバイスされる。これは後者の発想によっており、前者の発想によれば、自分や自分たちで何とか変えられそうならば、環境を変えようと社会活動に向かうことになる。いずれも有効な方略だが、大切なのは、いずれを今、採ればよいかの見極めである。
対人関係で相手に期待しても仕方ないように、社会問題なのに個人の意志の問題にしても仕方がない。両者は切り離せないものでもあるが、まず求められるのは、いずれの方向で考えるべきかという私たちの思考上の「技」ではないかと思う。