卒論代行、ネットで受注 1本10万円台(朝日新聞デジタル、2012.10.20)を読んだ。
数十件という単位のようだが、卒論を委託、1文字5円くらいで請け負う人がいるとのことだ。
同上の記事にもあるが、これは学生の問題だけではなく、直接には指導教員の問題であり、さらにはそうした教育状況になっている大学の問題というべきだろう。
毎週のように顔を合わせて、卒論の進捗をたずね、数回に1回はゼミメンバーの前で報告させ、1時間以上は議論する。それ以外にも指導する機会が多くある中で、これまで見たこともない文章が上がってくるようなことは考えられない。いったい、どういうこと?? というのが正直な感想だ。
卒論は突然に現れるのではない。その提出に至るまでに、何度も相談にのり、アドバイスという名で方向づけする。それでもなかなか伝わらないから、先行研究や関係文献を読ませて(その前に、探し方を教えて)、メモらしきものを作らせる。それでも、ちんぷんかんぷんな場合が少なくないから、何度も書き直させる。こうして、ようやくそれらしい格好をした文章が、卒業予定者から示されるものの、その後も何度も修正し(学部生の場合は、てにをは、から手を加えなければならない)、加筆し、苦労して書いたものを最後の段になってばっさりと削られ、と泣くような思いを何度もしながら少しずつ作っていくものである。こうしたプロセスの果てに、ようやくたどり着くのが、卒論や論文の提出というものなんやから。
それなのに、「はい、卒論です」と登場し、あまつさえ、それが認められてしまうというようなことが起こるなんて…。そんな大学が存在するらしいことに絶句する。
今や学士も学位と称してよくなった。ならば、それに恥ずかしくないように学生をやろうよ。そして、卒論を書いてもらうなんて思う学生を生まないように、しっかり、かっちり指導しましょうね、大学の先生たち。