この週末は、高校・大学関係者にとっての一大イベント、大学入試センター試験が行われている。
57万人もの受験生に対して、公正・公平な試験を実施するという壮大なプロジェクトが毎年のように実施される。よく知らないけれど、こんなことをする国は他にあるのだろうか。その見立てはともかく、昨年は、配布ミスが複数箇所で起こり、大学関係者の意識の低さが挙げられたこともあり、例年以上に周知徹底が行われたように感じる。
分厚い監督者のマニュアルには、一言一句、伝えるべきことが掲載され、そのように話したかチェックもすることになっている。どう言うべきかが文字通り、すでに実に詳細に書き示されているのだ。これに対して、試験室を担当するのはいろいろな試験監督だから、自分のものではない言葉を伝えざるを得ない。どうしても違和感が拭えない。
自分だったらこういう言い回しはしないかなと感じる。ここは助詞が足りないのではとも思う。何よりも、すでに何回も会っている受験生にどうして同じことを伝えなければならないのか、とも思う。でもがまん、がまん。「公平な試験」のためには仕方がない、とも思う。
アドリブ(ad lib)、 ad libitum の略。もともとは音楽関係用語で、速度、声や楽器の加除を演奏者に任せることの意味という。その場の広さ、聞くべき人数、なんとなくの空気やタイミングなど、即興性に富むことと書かれたものを読み上げることとは相性が悪いから、受験生に伝えていて何かギクシャク、ちぐはぐなことを免れないのだろう。
相手に合わせられない、だからこちらにも合わせてもらえない。受験生とこうして向かいながら、互いに能面のようになることがとても残念だ。でも、試験では没人格的なスタイルにならざるを得ないのかなとも思う。その時の不快感が、その後も長く心象風景として残るのかもしれない。