学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

偉大な無駄

週刊エコノミスト2013/2/19号、「問答有用」というコーナーに、開成高校硬式野球部監督の青木秀典氏が登場。

卒業生のおよそ半分が東京大学に合格する(浪人を含む)この高校で甲子園を目指す監督の話、こうでなきゃと楽しく読んだ。
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記者:大人は野球などの部活動を通じて、精神面を鍛えるとか、チームワークの大切さを学ばせようとしますが、青木監督のお考えは。

青木:大人はスポーツやこうした部活動に教育的な意味を持たせようとしますが、私は野球に教育的意義はまったくないと考えています。野球がしたいという自然な欲求を持つ子どもと一緒に、野球がしたい大人が集まってボール遊びをしているだけです。小学生がやる影踏みや鬼ごっこと同じ。やってもやらなくても、どちらでもいい。はっきり言ってしまえば、無駄なんです。(後略)

記者:無駄ですか。

青木:試合になると、私よりも年上の先輩が大勢応援に来てくれたり、たくさんの人たちに支えられていることを考えると、ただの無駄というよりは「偉大な無駄」ですね。今の学校教育というか社会の風潮として、すぐに役立つことだけを効率的にやらせようとします。そういう観点からだと、野球にしても「役に立つ」ことにしたいんだと思いますが、何が子どもにとって役に立つことなのか、私にもよくわからない。(同紙, pp.44-45)
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いかがだろうか。爽快な問答だと私は思うのだけれど。

「教育的意味がなければやらなくていいでしょう」と、お怒りの向きもあるかもしれない。だけれど、そんなわからないことをあれこれ言うよりも、例えば野球をやりたい、楽しい、それでいいではないか、という発想がどうして難しいのかを考えるのも一興だろう。

この後で青木監督は、部活動での「体罰」問題について、指導者が優勝や好成績が圧力となって、やめたくても止められない状態で発生するのではと、こうした「エリート」化した世界は異常でもあると述べているが、これも慧眼と読んだ。

学校経営についても、目標設定をすることは構わないけれど、「まあ、だいたいこんな感じで」と構え、客観的よりも主観的な物差しを大切にして、「良かったね」「満足だ」と関わった人が笑いあえるような場、そんなものとは反対の方向を目指すものの、それが実際にはどうもできないから、学校評価や教員評価では公然の嘘が横行する。みんな「そんなことないやん」と思っているのに、一人歩きする結果や数値は、「そういうことになってるんです」とツッパる役目だ。

こんな不幸な状態を何とかするためには、目標管理とか評価の「見える化」、あるいはサイクルに基づく活動といった言説を批判し、何が現実をもっとも「合理的」に説明できるかに腐心すること、「こうでなければならない」といった説教や鼓舞ではなく、冷静で分析的な努力こそ求められているのではないだろうか。
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by walk41 | 2013-02-25 17:08 | ことばのこと | Comments(2)
Commented by まさ at 2013-02-25 19:28 x
少し論点がずれて申し訳ありません。私は2月25日付京都新聞の吉川宏志「若手が問う言葉の暴力性」という記事を興味深く読みました。その中で、第24回歌壇賞を受賞された20代の服部真里子氏の言葉が引用されており、それは次のようなものでした。
 
 私は、人間の本質を暴力だと思っている。暴力とは、相手を自分の思う通りの姿に変えようとすることだ。私は気づかないうちに、誰かの歌を自分の側に引き寄せて読み、思う通りの姿にねじ曲げて、歌やその作者をひどく傷つけているのかもしれない。

 このワンフレーズ、自戒を込めて読みました。知らず知らずのうちに子どもたちの作品を、自分のイメージの中だけで評価していないかと。
子どもたちには、私には感じられない(感じることができなくなった)思いや視点で、周りにあるものを見つめているのではないか。私の思い込みで、授業中のやりとりや会話をしていないか・・・。
 改めて、子どもたちは「ダイヤモンドの原石」であり、磨き方次第で大きく変化することを心して教育に向かいたいと感じました。
Commented by walk41 at 2013-02-26 05:33
大学生や大学院生と接する立場としても、耳の痛い話です。議論といいながら、自分のスキーマにしたがってやり込めようとしてきたのではないか、と。また同時に思います。その「暴力」が、守破離のうちの「守」までであれば、許されるのではないかとも。「対話」と銘打つ一方、話すことを強要もするように、教育-学習の関係を価値づけることは難しいですが、そこに潜む思惑や当事者の都合に思いをはせることは、大切なことだと感じます。
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