学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

教育問題の作られ方

中央政府の「教育再生実行会議」がとりまとめた「いじめと体罰対策」、いつものことだがいたく脱力する。こうして教育問題が作られるんやなあって。作られ方の妥当性は検討されないままに。

曰く、思いやりや規範意識などを育むよう、道徳の教材を充実させ、新たな枠組みで教科科する。すべての教員が習得できる指導方法を開発し、教員の指導力向上に取り組む、と。

このロジックはこんな感じだ。①子どもの問題がある。⇒②それは、教育が不十分だからだ。⇒③教育の根幹は学校教育、だから教員の指導力が高められなければならない。⇒④すべての教員ができる指導法を開発、実施し、子どもの問題を減少させ、根絶する。

う~ん、ちゃうんやな、ことごとく。どのように状況を認識するかは、語り手の世界観(物の見方)の投影だから、「どうするか」の前に「どう見るか」を吟味しなければならない。見方をまちがうとやり方もまちがうからだ。

①子どもの問題ってどういうこと? 挨拶をしない、決まりを守れない、自己肯定感が低い…、これって子ども時代の特徴ではなくて、今の子どもならではの問題なの?

②現代に顕著な問題だとして、それは教育の不足から生じているの? むしろ教育が過剰ゆえの現象では? あるいは教育とは無関係な話かもしれないよ。

③ひょっとして学校教育の課題になったとして、教員の指導力の問題なの? 学校の環境や学習のあり方の問題とか、どこでも教員が出てくること自体に問題があるかもしれないのに。

④だから、「ちゃんと教育したら、問題のない子になるはず」という思い込みが危ないのでは。そもそも、こうした資源投下と予測される効果とのバランスを考えた上で、やるべきほどのことなのかな?

…こんな風に分析しなければ「より良い方法」には辿り着かない。でも、旗を振りたがる人はこんなことどうでもいいんやろね。「四の五のいうより、さっさと実践しろ」ってね。あ~あ、こうして学校はさらに忙しくなり、効果らしきものも見えず(見えたことにする報告書が上がり)、徒労感が高まるというシステムが、快調に作動するのである。
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by walk41 | 2013-02-27 11:06 | ことばのこと | Comments(8)
Commented by いつき at 2013-02-27 13:35 x
教室でお会いできないので、コメント欄にて…。
ほんとうに書かれているとおりです。
あと、「教育再生実行会議」の不思議なところは、教育学の研究者、すなわち教育学のプロが誰ひとり入っていないことです。
プロ野球に置き換えたら、アマチュアばかりでプロ野球について論議をしている。わたしには単なる「居酒屋談義」にしか見えないのですが…。
Commented by まさ at 2013-02-27 16:49 x
先生、いつきさん、こんにちは。専門家が入ったとしても、当為論ばかりでは現実を変えられないように思います。専門家(文科省等も含め)の語りに右にならえでは。たとえば、先述のブログ記事にもあったように「I like dog=私は犬の肉が好き」「I like dogs=私は犬が好き」であると専門家が講演会で話されると「さすが!なるほど」「ためになる話が聞けて良かったです、我が校に持ち帰って伝達します」・・・と多くの教員が述べる。一様に偉い人の話は素晴らしいと考えがちなのだ。これでは、議論が進まないというかできない。あたかも神のお告げなのである。だからこそ、問い直す体力(思考上の)を身に付け、学校における授業研究のありようを考えていきたいと私は思っています。
Commented by walk41 at 2013-02-27 18:53
お久しぶりです。「居酒屋談義」の指摘もっともと思いますが、教育学者が入るとどういう提案ができるかというのも、実は心許なく思うのです。野党的で申し訳ないのだけれど、消えては浮かぶ泡沫ような教育言説を、メタ的に問い返し、より強く批判すること、そして「大したことはできないだろうけれど、まあ頑張ろうよ」くらいのトーンに世の人がなってくれること(「こうすれば問題が解決する!」という語りとは対極の)により貢献できること、これが教育学という分野の社会的責務かと考えています。
Commented by walk41 at 2013-02-27 22:16
自分の若い頃の反省を含めてですが、権威主義に負けてしまうこと、これがなかなか居心地が良かったりするのではないでしょうか。「~さんもいってるもん」「~に書いてある」と。思考することへの怠慢です。

学問により、構築していくことが役割の分野と、脱構築していくことが役割の分野に大別できますが、観察すべき対象とそれへの眼差しの変化の早いことを踏まえれば、社会科学系は明らかに後者でしょう。だとするならば、的確に批判することにその分野が存立する意義がある。つまり権威を批判してこそ「ナンボ」なのです。

K.マルクスの言とされる、「私はマルクス主義者ではない」、このことを胸に刻みたいと思います。
Commented by いつき at 2013-02-28 16:42 x
んー、おそらく意図が伝わっていない気がします。
わたしは「野党」がいないことが問題じゃないかなぁと思っています。

あと、そういう「居酒屋談義」で決まった「徒労感が高まるシステム」をやらなきゃならないのは、わたしたち教員(プロの端くれ)であり、そのあおりを食うのは生徒たちであるということがわかっているだけに、そこですでに「徒労感」が(T_T)
Commented by walk41 at 2013-03-01 00:02
なるほど。「野党」の入れてもらえそうな審議会やなんとか会議があるかどうかですね。入れでもらうには、威勢のいい無責任な物言いをしなければならず、かといって、「どうかなあ」とか「それがよい方法とは言えない」などと発言したら、外されます。少し古風な言葉ですが、ここが「御用学者」になるかどうかの境目ということでしょう。

なお、「疲労感の高まるシステム」に対しては、実践段階でいかに無力化するか、つまり、システムの換骨奪胎をいかに図るかがターゲットになるでしょう。教育に関わる解釈の余地の大きさを利用して、いかに「やり過ごす」か、そのための図太さとしなやかさが求められるのだと思っています。
Commented by いつき at 2013-03-04 10:20 x
「御用学者」との境目…。たしかに…。モヤモヤ感は残りますが…。
「やり過ごす」については、もちろん今まで通りやり過ごすわけですが(笑)。
Commented by walk41 at 2013-03-04 23:34
「野党」的との言い方にも連なりますが、おそらくは新たに現れる語りを批判することで、視野の裾野を拡げること、それによって収束したつもりの理解を解体し、次の思考課題を間接的に提示することのこそ、学者と呼ばれるべき立場の仕事なのでしょう。

いかに最前線の現場が、後ろめたさを感じることなく「やり過ごす」ことができるか、研究の成果の一つは、そこにも見出されるだろうと思う次第です。
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